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ヒーラーストップ勇者様!  作者: 大きな愚
六章:ノース=キティ
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6:魔境の主

「ああ、河川敷なんだな、此処は」


 谷底へと降りていく坂道の途中、隣を歩いている勇者様の呟きが聞こえました。

 左右を崖に挟まれて閉塞感を感じる道ですけど、私にとっては故郷の〈風の谷〉(ウインドバレイ)を思い出させるので、懐かしさを覚える光景です。

 懐かしいと言えば、〈霊廟〉から故郷の村へと降りていく坂道でも、こうやって肩を並べて歩いていました。

 あれから立て続けに色んな事がありましたけど、思い返してみると、勇者様と肩を並べて歩くのは随分と久し振りな気がします。

 あの時は強風に攫われて海に落ちないように歩いていました。

 〈木行世界(リーフ)〉に転移して初めて外の世界を歩く勇者様の緊張をほぐすように、互いに互いの知らないことについて話しながら歩いていました。

 しかし、今は少し事情が異なります。

 空を飛ぶことで遠くの敵を見つけやすいだだっ広い平原の旅とは違って、渓谷を降りていく道中では谷底を見下ろし続けることになるので飛ぶ意味はあまりありません。

 むしろ谷底に敵がいた場合、飛ぶことで発見されやすくなる危険(リスク)を負うことになるのです。

 そして、何処に〈妖術師〉(ネクロマンサー)やその手先が潜んでいるかわからない中で、騎士団と共に行軍しているのですから、自然と口数も少なくなり、緊張を孕みます。

 そんな中で勇者様の呟きが聞こえてきて、私の気持ちはフっと弛みました。

 思えば、テイワ商会の皆と離れてからこっち、気持ちが張り詰めていたのかもしれません。

 それで自分のも勇者様のも体調管理に失敗したのでしょう。


「あ、あの。勇者様、昨日はごめ・・・・」

「谷底に着いたぞ! 全隊停止!」


 謝罪の言葉はキーファさんの指示に掻き消えてしまいました。

 いつの間にか谷底についていたのです。

 それは周囲の光景が目に入っていなかったという事でもあり、気が弛んでいたことを改めて自覚させます。

 谷底はそこそこの広さをもち、其処彼処(そこかしこ)に茸にも煙突にも見える奇岩が立ち並んでいます。

 窓や入り口として使うために奇岩には四角く切り出されたような穴がいくつも開けられています。

 立ち並ぶ奇岩の壁面は、上の方は黒っぽく、下の方は白っぽく色分けされているのですけど、その分水嶺(ライン)はすべての岩で同じ高さなのです。

 その間を縫うように小川がちろちろと流れており、〈水尖鼠〉(ミズトガリネズミ)が遊んでいます。

 なるほど、勇者様が河川敷と言った訳です。


「このどこかに冥獣〈ドゥルジナアス〉と契約した〈妖術師〉が潜んでいるかもしれないんですね」


 私は耳を澄ませて周囲の音を探ります。

 谷底を吹き抜ける風の音、流れる小川のせせらぎ、散らばって周囲を警戒する騎士さんたちの足音、時折パラリと崖から剥がれ落ちる小石の立てる音、奇岩のひび割れから顔を覗かせる蜥蜴、物陰から物陰へと跳ね回る啼兎(ナキウサギ)、上空を旋回しながら獲物に狙いをつける猛禽、ヴヴヴと高速で空気を立てる蟲の羽音・・・。

 聞こえて来た音が頭の中で像を結ぶのと同時に、私は投石器(スリンガー)を取り出して構えます。


 すくんっ!


 一瞬、こめかみの辺りに痛みを感じ、動きが止まります。

 その遅れのせいか、見つけた冥獣の眷属、金属質な甲殻をもつ大柄な蠅に弾を避けられてしまいました。


「やっぱり眷属がいます! 皆さん気を付けてください!」


 周囲に警告を放ち、また反響定位(エコーロケーション)に集中します。


 ぱきっ! ぽきっ!

「ぽぉぉぉぉむぅぅぅぅ?」


 これは勇者様が拳を構える時に軟骨を鳴らす音、それと少し怒りを含んだ勇者様の声、とても近くから聞こえ・・・・って!?

 閉じていた瞼を開くと、目の前には口元に笑みを浮かべ、こめかみに血管を浮き上がらせた勇者様の顔が迫っていました。


「昨日、精神力(パワー・ポイント)枯渇を起こして倒れかけてたのは誰だ?」

「わ、私です・・・・」


 野営地と村で防疫と治療のために駆けまわった私は〈治癒術〉(ヒーラーズ・マジック)を使い過ぎていました。

 〈禍獣ドール〉と戦った時などのメリーさんの状態に近い症状で、個人差も大きいのですけど、眩暈、片頭痛、嘔吐感、酩酊状態を感じる人もいるそうです。

 〈聖戦士〉(パラディン)を多く抱える騎士団の団長をしているだけあって回復作業(ヒールワーク)による精神力枯渇の症状をよく把握していたキーファさんによって、私は野営地に帰還後の仕事を禁止されてしまいました。


「魔法使わずに自己診断」

「一晩しっかり休ませてもらったので精神力の回復は万全です。枯渇の後遺症が三半規管に残ってるようで時折、眩暈や片頭痛がある程度ですね」


 もう回復したのだと伝えますけど、勇者様はそれでも少し悲しいような困ったような顔をします。


「それがどんなものかは判らないけど、大事に、な?」

「はい」


 勇者様に心配をかけてしまったのだと反省し、笑顔を浮かべて応えたのですけど、勇者様の表情は更に曇ったのでした。

 私はまだ、勇者様の無痛症について、カルテ上のことしか把握できていないようです。


「おーい! 〈魔境〉の入り口が見つかったぞー!」


 ユリア様と一緒に探索していたシャムシエルの声が聞こえてきます。

 敵がいるかもしれない場所で不用意な、と一瞬思いましたけど、これはシャムシエルが得意とする〈快盗術〉(シーフ・マジック)〈腹話術〉(ベントリロキズム)だと、すぐに気が付きました。

 自分の声を好きな場所で好きな大きさに響かせることのできるこの魔法は、距離を飛び越えて密談をするのにも便利です。

 初対面の時に反響定位を封じられて好き放題されたことを思い出すので、私にとってはあんまり好きな魔法ではありませんけど。


「勇者様、入り口が見つかったそうです。私、キーファさんに知らせて‥‥」

「いや、俺が行くからポムはまだ休んで‥‥」


 また互いに睨み合いが始まりそうになった所にガナデちゃんが通りかかり、呆れたような溜息をつかれてしまいました。


「はぁ。お前さん達ときたら‥‥ワシが伝えておくのじゃ」


 そう言ってガナデちゃんは青い毛並みの尾を振り振り、騎士団の指揮を取っているキーファさんの方へ向かって行きました。

 そこからの展開は迅速でした。

 崖沿いの奇岩をくり抜いて造られた岩窟礼拝所の床に敷かれた絨毯を捲り、梯子を下りた先にある地下室の壁に掛けられた数多くのタペストリの一つを捲り、壁に掘られた螺旋階段を下った先の倉庫に並べられた壺の一つを動かして見つけた穴を潜ると、そこは〈魔境〉というしかない場所でした。

 とてもではないですけど、ユリア様が使う〈狩猟術〉(レンジャー・マジック)〈足跡追跡〉(トラッキング)で足跡を追いかけていなければ、この道は見つけられなかったでしょう。

 木々が力いっぱい枝を伸ばして青々と葉を茂らせる隙間から日の光が差し込み、下草と苔に覆われた地面にまだら模様の影を映し出させ、小鳥や小鹿の鳴き声が聞こえてくる、そんな広葉樹林が、地下に降りた私達の目の前に広がっていました。


「魔法で追えるのはここまでなのです」

「落ち葉が深くて、アタイにも足跡を見つけられないな」


 〈魔境〉に足を踏み入れて小一時間ほど経った頃でしょうか、ユリア様が〈足跡追跡〉の時間切れを宣言しました。

 〈足跡追跡〉は特定の足跡から、その足跡の主を追跡する便利な魔法ですけど、効果時間は三十分で、それ以上の追跡をしたければ運任せ。

 そしてシャムシエルの職能(クラス)である〈盗賊〉(シーフ)〈快盗術〉(シーフ・マジック)の他に、壁登りや罠の扱いといった技術も扱います(以前、敵の武将から鍵をすり盗ったのもその技術の一種ですね)。

 その技術を使ってシャムシエルは〈足跡追跡〉の効果が切れる度に足跡を探しては追跡を継続させてきたのですけど本人曰く「尾行術はあんまり練習してない」とのこと。


「いや、ここまで導いて貰えただけで充分に助かってるよ。じゃあここからは斥候を出して進も‥‥」

「‥‥待ってください。何か聞こえる!」


 二人に礼を述べ、先攻する部隊を手早く整えていたキーファさんの言葉を遮るように、私の耳に高く長い音が聞こえて来ました。


「うぁるるるるるるるぉぉぉぉぉぉぉん!」

「あっちの方!」


 指さした瞬間、組まれたばかりの先攻部隊が駆け出して行きました。


「あ‥‥どうしよう!?」

「気にすることはない。彼らには日頃から自発的に動けるよう訓練しているからな」

「けど‥‥」

「がるぅっ!」「ぎゃあ!」「あ痛っ!「こいつっ!」


 咆哮、悲鳴、怒号、剣戟、詠唱、布を引き裂くような音。

 つまり戦いの喧騒が彼らの向かった先から聞こえて来ました。


「よし、俺たちも行くぞ」


 キーファさんの肩をポンと叩き、勇者様が先頭を切って走り出しました。

 ガナデちゃんが、シャムシエルが、ユリア様がその後を追います。

 もちろん私も、置いて行かれる訳には行きませんから!


「がるるるるるぁぁぁぁぁっ!」


 音を頼りに私達が到着したその場所は、木々が無く少し開けた広場のようになっていました。

 その広場の隅には木々に寄りかかるように数人の〈聖戦士〉(パラディン)達が倒れています。

 いずれも腕や足を押さえて呻いていますけど、地面にはおびただしい量の血が流れています。

 そんな怪我人たちを庇うように身体を壁として立ちはだかっている、キーファさんを始めとした〈聖戦士〉たち。

 その壁の向こうに、この惨状を作り出した獣がいました。

 外見は幻を纏ったガナデちゃんによく似た〈天狼〉です。

 血や土で汚れてはいるものの真っ白な毛並み、背中に背負った炎の輪〈背炎輪〉、間違いありません、幻獣〈神威天狼〉です。

 〈幻獣王〉(ディアマンテ)が守護する紫の月に住むと言われる幻獣、知性が高く穏やかな気性の持ち主と言われています。

 ですけど、その様子は本来の知性も穏やかさも感じられず、目を見開き、口からは血の混じった涎を止めどなく流し、息も荒く周囲を睨みつけます。

 これは‥‥


「〈恐水症〉ですね」

「きょうすい? ‥‥あぁ、狂犬病だな。ならわかる」


 私の一言で勇者様は飛び出して行ってしまいます、止めようとした手はすり抜け。


「大丈夫だ。ワクチン三回打ってる! キーファ、そこを退け!」


 そう言われては勇者様にこの場をお任せするしかありません。

 恐水症は、ウイルス性の病気です。

 発症すると水や風、光や音と外部からの刺激に強いストレスを感じる事から名づけられました。

 この病の最も恐ろしい所は、二週間から二年に渡る潜伏期間の間に、神経を伝って脳に移動し、なんの対策も講じずに発症した場合、脳や全身の筋肉が痙攣し、呼吸困難で死に至るという点です。

 生還率が〇.〇一パーセント以下で、生還しても深刻な後遺症が残ります。

 また、唾液への接触や噛みつきによって感染していきます。

 そうならないための、そうさせないための方法は‥‥私は考えを纏めながら負傷者に近づいて行きます。


「ガナデちゃん、あの子の五感を遮ってくれない?」

「承知したのじゃ‥‥〈仮装暗室〉(クラキムロヲヨソオウ)


 勇者様の指示に従って騎士たちは距離を取っており、幻獣と勇者様が一騎打ちをしている中に、その術は吸い込まれるように浸透していき、ガナデちゃんの幻術にかかった神威天狼は、安らかな表情に変わって身を横たえました。

 私は改めて負傷者と幻獣を見比べ、悲しい思いに捕らわれますけど、それでも治療と予防をしなくてはなりません。

 ようやく大きな声を出せるようになったのですから、ここからは時間との勝負です。


「重軽症関係なく負傷者はこちらに、幻獣の唾液に触れた人も全員です!」


 騎士団の皆さんは〈聖戦士〉ということもあって、治療には協力的で手際も良く、あっという間に傷口の洗浄と清拭、傷の治療まで終わりました。

 問題は、負傷者が発症するまでに対策をしなくてはならないことですが‥‥。


「ユリア様!」

「はい、何をしたら良いですか?」

「頭以外を狙って一撃で‥‥殺してください」


 ‥‥そのためのワクチンは、発症した獣の脳からしか精製できないのです。


〈旋回〉(スピン)! 〈爆熱の矢〉(バーニング・アロー)!」


 ユリア様の構えた重弩弓(ヘビィクロスボウ)につがえられた太矢(ボルト)が旋回し始め、鏃が炎に包まれます。

 私がユリア様にトドメを頼んだのは、私達の中で彼女が一番高い攻撃力を持っているからです。

 五感の全てを幻の安らぎに委ねさせられていながらも危険を悟ったのか〈神威天狼〉が半身を起こしますけど、その動きを見切ったユリア様の指が引鉄を引く方が早い。


 ドシュゥ!

 ズガンッ!


 撃ち出された矢は〈神威天狼〉の胸に風穴を開け、そのまま背中まで貫通しました。

 コフ、と血の混じった泡を口から吐き出し、再び地面に倒れる幻獣。

 心臓を失った胸の穴から、木漏れ日に照らされて赤く輝く命の雫が大地に流れ出てきます。


「皆さん、周囲を警戒してください。幻獣の遺骸から薬を作ります!」


 私は覚悟を決めて外科手術用の短刀(メス)を手に翼を広げたというのに、勇者様が大きく掌を開いて制します。


「いや、まだだ。ポムは安全圏で待機」


 幻獣の遺骸には、金属光沢のある甲殻を持った無数の羽虫が渦を巻くように取り囲もうとしていました。

 蠅の女王、天究星の獄卒、疫病を司る悪魔、すなわち冥獣〈ドゥルジナアス〉が姿を現したのです。


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