5:医者の不養生
「ちょっと待ってください! 今、疫病って言いました!?」
私の剣幕と大声にキーファさんも勇者様も少し仰け反っています。
驚かせ過ぎたでしょうか。
他の焚火の方からも、なんだなんだと様子を伺う声が聞こえて来ます。
「あぁ、疫病と言ったよ。乞われて祈りを捧げて来た」
「疫病って何の病気なんだい? ポムに聞こうと思って急いで帰って来たんだ」
「伝染病、もしくは感染症の事ですよ勇者様」
キーファさんはそれがどうしたと言わんばかりの表情でお茶の準備を始めますけど、勇者様は私の答えにようやく焦りを含んだ表情で腰を浮かせます。
「じゃあ防疫しないと!」
「はい。ただ、原因がわからないと対処が空回ることがあるので少し待ってくださいね。・・・・気付かれぬ未来、弱きに耐える心、身体に秘められし数多の謎よ・・・・」
少し迷いましたけど、勇者様を対象にして詠唱を始めます。
一緒にいたキーファ様ではなく勇者様を対象にしたのは、普段から診ているので比較が容易なこと、そして、今朝から熱があったというガナデちゃんの供述を聞いていたことが理由です。
体力を消耗していると発症しやすくなりますからね。
「・・・・祈り、願いに応え、我が知り得ざるを見つけて教え給え。〈身体検査〉!」
〈治癒術〉は無事に発動し、勇者様の症状が判明します。
しかし、これは・・・・。
「勇者様、村で何か飲食なさいました?」
「あぁ、村長の家でお茶とお菓子を少し・・・・」
あぁ、やっぱりです。恐らく原因はそのどちらかに潜んでいたのでしょう。
「原因の特定ができました。犯人の名は腸管出血性大腸菌です」
勇者様の病名、それは腸管出血性大腸菌O157感染症でした。
腸管出血性大腸菌O157感染症とは、読んで字の如く、腸管出血性大腸菌O157に感染することで起こる出血を伴う激しい下痢です。
それだけなら清潔にさえしていれば治りやすい病気なのですけど、溶結性尿毒症症候群を併発した場合は危険性が跳ね上がります。
菌が生産する毒素によって腎機能が低下し、毒素が体外に排出できなくなって全身の臓器がダメージを負い、子供や老人など体力のない患者が死に至ることもあるのです。
また、この感染症の更に恐ろしい点は、食中毒菌としてはかなり強い感染力です。
普段、動物の糞に含まれているこの菌は、蠅などの衛生害虫を始め、内臓から精肉業者の手を通して広がり、また土壌を汚染して野菜などの作物にも付着することがあります。
予防のためには、手をしっかりと水洗いし、食べる前に食材を加熱処理する事が重要です。
「やばい! 風評被害で畜産が死ぬ!」
勇者様も病名を聞いて軽く恐慌に陥っているようですけど、どうやらこの症例に知識があったようで少しは安心できそうです。
「しかし旅人ですか。どんな人だったか分かりますか?」
「黒いコートと帽子と鴉の顔のような仮面を身に着けて、手提げ鞄を持ってたらしい」
「それですっ!」
原因菌が判明したものの、私はこの状況に違和感を感じていました。
腸管出血性大腸菌は空気感染ではなく経口感染で広がります。
つまり、旅人が持ち込む疫病としては不適切なのです。
けど、人為的ということなら話は違ってきますよね・・・・。
「キーファさん、祈りを求められたとのことですけど、どのような祈りを?」
「疫病とのことだったので〈厄除け〉を」
「では、勇者様にもお願いします」
私の脳裏には、この事態を引き起こせる、そんな相手が思い浮かんでいました。
*
「掛けまくも畏き、天獣王ネルガートの御前に仕へ奉り、大難は小難に、小難は無難にと、家の内外すべてに禍事なく神守り幸はえ給へと白す・・・・〈厄除け〉!」
「掌から零れ落ちゆく運命の砂よ。祈り、願いに応え、生命の輪を鎖と成し、永遠へと繋げ給え・・・・〈療治〉!」
そこから私たちの疫病対策が始まりました。
キーファさんには詳細を説明して〈白毛騎士団〉の団員への周知をお願いして、感染拡大を阻止してもらいます。
勇者様ご本人はとても手伝いたそうにしていたのですけど、今の体調で無理はさせられません。
〈厄除け〉と〈療治〉を重ね掛けして感染防止をした上で、ガナデちゃんに頼んで寝かしつけてもらいました。
まずは挨拶や食料調達で村に向かった騎士団員を全員集めて〈厄除け〉をかけてもらいます。
貰ってきた食料などの物資も積み上げてもらいます。
ただし、ヨーグルトや漬物は避けておいてもらいます。
「偉大な獣王のように吠え立てよ。最も強き力を以て吼え立てよ。汝の名は菌である!汝の名は菌である!汝の名は菌である!・・・・〈殺菌〉!」
範囲内の微生物をすべて抹殺するこの魔法は、手術室の滅菌などを目的に使う事が多いですけど、注意の必要な魔法でもあるんです。
人体には害を及ぼす菌の他に、体調を整える働きをする菌が大量に住んでいますし、発酵食品も菌の力で長く保存することができます。
そういった有益な菌も含めてすべて抹殺するので、漬物が駄目になったり、人体にかけるとダメージを与えたりするのです。
ヨーグルトや漬物に含まれる乳酸菌は、今回のような食中毒への抵抗力を上げてくれるので、皆さんにはしっかり食べて貰いましょう。
これで宿営地の防疫対策はなんとかなりそうなので、次は村の方です。
そうは言っても、私はあくまでも騎士団に雇われた冒険者でしかありません。
村の防疫対策、既に出ている患者への対処、治療や情報収集など村の代表者との話し合いはキーファさんの主導で行われます。
「詳しい事情も聞かないといけないしね。それはそれとしてポムクルスちゃんは充分休めたかい?」
「いえ、大丈夫です。それどころじゃありませんから!」
優しく尋ねるキーファさんの問いに元気一杯の返事をしたら、少し眉を寄せて困った表情になりました。
私よりもキーファさんの方が大変なのは確かですし、少しでも苦労が減るように私も頑張らないといけませんね。
その後の村長との会談はおおむね順調に進みました。
キーファさんは村長を相手に発症前後の詳しい聞き取りを行っていました。
特に感染源と思われる旅人について念入りに質問したところ、単身、徒歩でふらりと村に現れたことがわかりました。
旅人に指さされ「お前は〈冥獣神〉様へ捧げる」と言われた村人が最初に発症したという話を聞いて、私の予想は確信に変わりました。
私はその間に、村長の叔父だという村の〈治癒術士〉と対策について協議しました。
防疫に関しては、患者は村外れの農作業小屋を一件借り切って、そこで隔離されているそうなので、他の注意事項――保菌者になり得る小動物の封じ込め、食前の手洗いの励行、火を通して食べる事、排泄物の処置、亡くなられた方の遺体の扱い、今後の予防策、etc.――について話し合いました。
「特に〈治癒術士〉が倒れると一巻の終わりなので、感染予防と体調管理はしっかりしてくださいね」
村長の叔父様へアドバイスしていると、キーファさんがこちらを見て、疲れたような表情になっていました。
後で疲労対策をした方が良さそうですけど、その前に隔離病棟を視察しなくては!
*
「思い当たる節があるようだね」
隔離病棟の視察を終えた帰りにキーファさんが口を開きました。
不浄に慣れの少ない人(しかも公王家の御曹司です)ではとてもじゃないですけど現場で口を開くことはできなかったでしょうから、このタイミングなのは納得です。
患者を隔離していた農作業小屋は無数の蠅が集っていて、遠くからでも一目でわかるほどでした。
床の張られてない土の上に直接患者を転がして布団も藁も無く排泄物の処理も食事の差し入れもないという対応は、何を原因に感染するのか分からない、原因不明の伝染病に対する対応として大きく間違ってはいないでしょう。
村長も叔父様も他の村人も、別に患者が死ぬに任せておきたかった訳ではなかったので、妖精女王様から教わった対処法を伝えると(一部はおっかなびっくりながらも)喜んで対処してくれました。
そんな作業を手伝ってくださいながらも、ほぼ無言だったキーファさんに私も口数少なく返事します。
「はい。あります」
「教えて貰えるかな?」
「はい。旅人は〈妖術師〉でしょう」
「それは俺にもわかった。俺が聞きたいのはその先。〈妖術師〉ってことは〈冥獣〉が関わってるでしょ?」
「はい。伝染病の原因、感染源は〈冥獣ドゥルジナアス〉です」
〈暗黒魔導士〉が〈禍獣神〉を崇めて禍獣を操るように、〈冥獣神〉を崇める〈妖術師〉は冥獣を操ります。
鳥の嘴を模した仮面を被っていた旅人が〈妖術師〉なら、この疫病をもたらした冥獣がいる筈だろうというキーファさんの予測は、私の確信と合致していました。
〈ドゥルジナアス〉 分類カテゴリ:冥獣
〈冥獣神カサラ・イル・テリオン〉が支配する冥界で疫病を司るとされ、天究星の獄卒とも言われる冥獣の一種。頭頂高は百六十センチ程度。
頭部の上半分、前肢の肘から先、後肢の膝から下、背中に生えた一対の羽と平均棍はイエバエに酷似しており、それ以外の部分は〈獣耳人〉の女性に似ている。
食性は排泄物や腐肉などから液体を啜る屍肉食。
体長数センチから十数センチ程度のイエバエに似た眷属を率いており、それを操って感染症を蔓延させる。
〈禍獣ウェンディゴ〉との戦いでウェンディゴ病について思い出すのが遅れたことで被害を拡大を許してしまった私は、その戦いの後、病気を引き起こす異獣について徹底的に勉強し直しました。
その時に目に留まったのがこの冥獣です。
蠅に似た眷属を操って感染症を蔓延させるこの冥獣は、私たち〈治癒術士〉にとって怨敵と言える存在。
その存在に早い段階で気づけたので、勉強し直した甲斐がありました。
その後、〈冥獣ドゥルジナアス〉についてキーファさんに説明しながら野営地に戻ってきました。
「おーい、サワラいるかー!」
「きゃっ!?」
到着するや否や、キーファさんは大声で勇者様を呼びつけると、私の肩と膝裏に腕を回して抱き上げました。
勇者様の持っていたライトノベルを読んでいた私は知っていますよ、これ、お姫様抱っこという奴じゃないですか!
その体勢と、キーファさんが大声を上げた事でなんだかんだと集まってくる視線に、段々と顔が熱くなってきます。
キーファさんは一体何を考えて、って言うか拒否しないと!
「あ、あの、キーファさん、降ろしてくだ・・・・」
「サワラ、お前ん所のポムクルスちゃん、本調子じゃないぞ。ちゃんと寝かせとけな」
「あぁ、わかった。わざわざありがとうな」
拒絶の声は遮られ、いつの間にか側にまで来ていた勇者様にお姫様抱っこのまま手渡されてしまいました。
キーファさんは空いた手で〈厄除け〉を私にかけて、さっさと焚火に向かいます。
「あ、あのあのあの、勇者様!」
触れた所から勇者様の腕の力強さが伝わってきて、キーファさんと比べても軽々と抱えてるのがわかります。
自分自身の脈が早くなって頬の血液循環が良くなって、これは間違いなく血圧が上昇しています。
「医者の不養生は勘弁してくれよな。ポムが倒れたら俺だって困る。頼りにしてんだから」
そんな風に言われるのはズルいです。
結局、〈ドンキの廃街〉に向かう前夜、勇者様の手で天幕に運ばれた私は、早々に眠りへ付くことになったのでした。




