4:魔境へ
「行き先は〈ドンキの廃街〉なんだ」
〈ドンキの廃街〉。
それは〈公都エクウス〉の南東を東西に走る〈オノケン山脈〉に穿たれた渓谷の底に取り残された、今は住む者のいない街の痕跡を指します。
北の温かい海から吹き付ける風は、険しい山脈を越えるために重い荷物を落として行きます。
そのため、山脈の北側は山肌を洗い流すような激しい雨が絶えません。
降り注いだ雨水は斜面を駆け下りて再び海に流れ込むのですけど、その際に、道中にある柔らかい土壌を削って持ち去ってしまいます。
最初は浅い川だったその道程も、段々と深い渓流となり、最終的には谷と呼ばれる深さになりました。
そんな〈ドンキ渓谷〉の底にはキノコのような形の岩が無数に乱立しています。
水の流れが柔らかい土や石灰岩を削って行った結果、残されたのは柱状の岩と、その上に載っている、かつて水面に出ていた屋根のような形の岩。
このキノコ岩こそ、かつてこの地にあった王国が帝国の侵略に敗れ、王の遺児と勇者によって〈ネルガート聖王国〉が再建されるまでの時期に、大司教を始めとした〈ネルガート教団〉の〈司祭〉たちが潜んでいた隠れ里でした。
当時の支配者だった〈ジャモン帝国〉は〈霊術師〉が信仰する滅びた獣神を崇める者たちの国なので、自分たちが滅ぼした王国の国教であり、獣神たちを滅ぼした〈暴獣王レックス・テリオン〉の娘である〈天獣王ネルガート〉への信仰を許容しませんでした。
仕方なく、天獣王の〈司祭〉たちは〈ドンキ渓谷〉に逃げ込み、乱立するキノコ岩を礼拝所に改装して隠れ住んでいたのだそうです。
天獣王と勇者の加護を受けた王子が〈ネルガート聖王国〉を再建国し、彼の戴冠を行ったノース大司教が公王の一人となって〈ノース・キティ公国〉が成立した後、この谷に住んでいた〈司祭〉たちは一人また一人と〈公都エクウス〉に移り住み、この谷底の街は誰も住まない廃街ゴーストタウンと化したのです。
キープさんの話を聞いてみると、手伝って欲しい仕事というのはこの〈ドンキの廃街〉の調査でした。
「廃街に異変が発生したとの報告が入ってね、黒騎士たちには任せられないし・・・・」
〈ドンキの廃街〉は〈司祭〉たちが苦難の時代を隠れ過ごした思い入れのある土地なので、調査を行うにしても貴族の子弟たちで構成された黒騎士よりは〈聖戦士〉が集う白騎士に任せたいと思うのは当然でしょう。
また、石柱が乱立する谷底という地形も〈騎兵〉を中心とした黒騎士には不向きと言えます。
「ただ、どちらにしても騎士団は同じ職種クラスが多くてね。〈魔境〉の調査には荷が重い。そこで君たちに手伝いを頼みたいんだ」
「〈魔境〉・・・・ですか」
「あぁ。廃街の地下に〈魔境〉ができた可能性がある・・・・」
「おいおい、〈ドンキの廃街〉っていやぁ、公都ここから数日の距離だろ?」
「そんな・・・・それじゃ公都が・・・・」
思わず発した私の問いに、キープさんが返した答えには緊張が滲んでいました。
そんな雰囲気が伝染したようにシャムシエルは頭をガシガシ掻き、ユリア様は口元を抑えて呟きます。
「〈魔境〉とは何か、ワシにもわかるよう教えて貰えないかな?」
「あぁ、俺も詳しい訳じゃないんだけどな。〈魔境〉ってのは強力な異獣が居座る等の理由で魔力が溜まって発生した異空間のこと・・・・らしい」
視界の端で〈魔境〉について知識のないガナデちゃんが勇者様に質問していました。
〈冒険者〉講習で教わった内容を思い出しながら勇者様が一生懸命に答えています。
〈魔境〉は魔力災害の一種で、強い魔力が一カ所に溜まることで空間が変容し生まれた異空間です。
魔力溜まりの原因として最も挙げられるのは勇者様の言う通り、強大な異獣が居座るという場合ですね。
ここまでの旅で遭遇したウェンディゴの猛吹雪やドールの地底トンネルなんかも時間をかければ〈魔境〉に変貌する可能性があったのです。
「ガナデさんの〈幻夢の森〉も放置すれば〈魔境〉になるか、近い扱いをされる可能性があったのですよ」
「ほうほう。それは知らぬ間に助けられておったのじゃな」
ユリア様が説明に補足を入れてくださいました。
しかも、そのまま放置され魔力が溜まり続ければ〈魔境〉の範囲も広がって行くのです。
成長した〈魔境〉には異獣や猛獣が集まり、財宝や資源が生みだされ、それを狙った〈冒険者〉や犯罪者も集います。
そうなっていれば、被害者も増え、更に足止めされていたかもしれません。
「では〈ネルガート教団〉として正式に依頼しよう。勇者サワラと仲間たちは〈白毛騎士団〉へ協力し、〈魔境〉の探索を行って欲しい」
「アタイらは高いよ?」
「勿論、急な話で重要性も高いから相場価格に上乗せして払おう」
「そう来なくちゃ!」
なんということでしょうか。大司教様から直々に依頼されてしまいました。
こういう場に慣れたシャムシエルが交渉を纏めますけど、私達にこの依頼を断る気はありません。
この依頼をこなせば〈白毛騎士団〉の助力を得て、ユリア様のお母さんを救出に行けるのですから。
出発の準備は迅速に行われました。
といっても、その殆どはキープさんが部下である白騎士たちに命じて行わせたものです。
それはそうでしょう。
騎士団の行軍に比べれば〈冒険者〉数人の出発準備など微々たる手間でしかありません。
そもそもキープさんと出会った時、既に私たちは買い物を楽しんだ後だったのです。
矢弾を始めとした消耗品の補充、装備の補修、〈テイワ武装商会〉を離れた事による生活物資の新調、といった汎用的な準備は終わっており、今回の依頼を受けたことで発生した追加の物資は騎士団から提供を受けています。
強いて挙げるとすれば乗用馬が一頭貸し出されました。
〈黒蹄騎士団〉に比べて〈騎兵〉の少ない〈白毛騎士団〉ですけど、乗馬が苦手という訳ではなく、急ぎの行軍なら騎馬で向かうのが早いのは当然です。
その行軍に足並みを揃えるために貸し出された馬にはシャムシエルとユリア様が相乗りします。
勇者様は巨大化したガナデちゃんの背中に跨り、私は基本的に空から付き従います。
出発した当初は、その借りた馬で目的地まで行くのかと思っていました。
名前も付けて可愛がっていたんですけど、その日の内にお別れすることになりました。
〈公都エクウス〉から数日の距離と言っても、本来なら大人数での移動にはそれ以上の時間がかかるものです。
訓練された乗用馬といっても一日中歩き続ける事はできませんし、疲労も溜まります(底なし体力のガナデちゃんは例外中の例外です)。
荷物や武装を積んでいれば尚の事。
その問題をキープさん達は知恵を使って解決していました。
〈ノース・キティ公国〉は乗用馬・軍馬の産地として名を轟かせています。
つまり公国内の草原には馬を育てている畜産の村が数多くあるという事です。
キープさんは、道中にある畜産村のいくつかにあらかじめ伝令を飛ばしておき、食料と替えの馬を用意させていたのです。
なお、重装騎士に従者も連れ、軍馬が必須な〈黒蹄騎士団〉ではこの速度はどうやっても出せないだろうことがよくわかります。
「なるほど。これが駅伝って奴なんだな」
勇者様が感慨深げに呟いていました。以前に「道の駅」という言葉を聞きましたけど、関係する言葉でしょうか。
ですけど確かに、これが制度として定着すれば流通に革命が起きそうです。
三十人近い〈聖騎士〉の集団に襲い掛かろうという剛毅な野党も猛獣もいなかったようで、道中はとても平和に過ぎ去り、10日はかかるだろう旅程を7日に短縮して明日には〈ドンキの廃街〉に到着するという所にある村までやってきました。
私達を含む〈白毛騎士団〉の一行は、村外れの空き地を借りて野営キャンプを設営します。
〈巨大角鹿〉が引切り無しに通るような主要街道とは違って、この辺りは〈隊商〉のような旅人が宿泊できるような施設はないようです。
これまでの道中でも六人ずつの五班に分かれ、水や燃料などを村から買い入れて野営しながら進んできました。
今も私とガナデちゃんで火の番をしている間に勇者様とキープさんが村に買い出しに、ユリア様とシャムシエルが川へ水汲み(とついでに洗い物)へと出かけています。
何故か、さらっとキープさんが私達と同じ班に入っていますけど、勇者様も同性で同年代のキープさんが一緒にいることで気楽そうにしています。
二人で一緒に行動することも増えてきました。
そんなキープさんの提案で、私とガナデちゃんは火の番と言う名の休憩を取らせてもらっています。
馬を交替しながら進んできた一行の中で、この二人だけずっと自力で移動して来ていたからでした。
と言っても、勇者様を背に載せて駆けていたガナデちゃんと比べ、私は時折ロープを投げて貰って滑空してもいたのですけど。
「・・・・のぉ。ぽむぽむよ」
「なんです? ガナデちゃん」
火の側で丸くなり、香箱を組んだ両前足の上に顎を乗せたまま、ガナデちゃんが話しかけてきました。
私は立てた両膝を腕で抱えた座り姿勢のまま、それに返事を返します。
パキと細い木の枝を一本圧し折って焚火に投げ入れると、炎が揺らめいて二人の顔にかかる陰影も踊って表情を隠します。
「お前さんも疲れておるのじゃろうがね・・・・さわら君、今朝から少し熱っぽいのじゃぞ」
「えっ!?」
思わず、乗せていた膝の上から顎を上げてガナデちゃんの方を見ます。
ガナデちゃんの指摘に、私は随分とショックを受けているようでした。
介添人として勇者様の体調変化に気付けなかったこと。
それを自分以外、つまりガナデちゃんに指摘されたこと。
あとついでに、ガナデちゃんの身体で体温の変化に気付けるんだ、という素直な疑問。
それらが綯ない交ぜになって、何から考えれば良いのか、咄嗟に判らなくなっていたのです。
それでも深呼吸を一つして、勇者様の元に向かうため、私は翼を広げました。
結果的には、その必要は無かったのですけど。
飛び上がってすぐに、深刻そうな表情で言葉を交わしながら、荷物を担いでこちらへ向かってくる勇者様とキープさんを発見できたからです。
とはいえ、その行動は無駄にはならなかったようで、二人は私を見つけて早足に焚火まで帰ってきました。
私は勇者様を焚火から少し離れた席に座らせて、診断を始めます。
確かに少し熱っぽい気がするので〈身体検査〉も使っておきます。
その間にキープさんが買い出しの報告をしてくれます。
「今、村では疫病が流行っている。どうやら数日前に来た旅人が持ち込んだらしい」




