3:打開策
〈ノース・キティ公国〉の歴史を紐解くと、その最初は〈ジャモン帝国〉の侵略による〈ネルガート王国〉の滅亡と、その後の故国奪還戦争に行き当たります。
ただ一人生き延びたネルガート王家の遺児が当時の勇者と共に立ち上がり、集う仲間達と力を合わせて玉座を取り戻して、帝国を山脈の東に追い返したのです。
こうして再建されたのが現在の〈ネルガート聖王国〉です。
私も子供の頃から何度も聞かされた、人気のある英雄譚の一つなのです。
その初代聖王の仲間の一人に、ネルガート神殿の司教クリストファー・ノースがいました。
彼は〈ジャモン帝国〉による弾圧を避け、廃墟で隠遁生活を送っていたのですが、王子の挙兵を聞きつけて参戦し、知識と白魔術、そして老獪な立ち回りで若い王子を助けました。
〈ネルガート聖王国〉が再建された後、彼はネルガート教団を立て直し大僧正に位を進めたのですが、同時に初代聖王より大公爵に叙されたことで〈ノース・キティ公国〉の公王となったのです。
以降〈ノース・キティ公国〉の公王はネルガート教団の大僧正が兼任することになっています。
その結果、現在の〈ノース・キティ公国〉は二つの派閥に分かれています。
一つは公国の政を担い、治世を行い、領地を経営する貴族の派閥。
一つは教団を運営し、天獣王を奉り、祈りを捧げる聖職者の派閥。
この二つの派閥は同じ頭を戴きつつも、互いに相容れない存在なのです。
(勇者様は「犬猿の仲」って言ってましたね)
そして、この国にはそんな状況を形にしたかのような、二つの騎士団があるのです。
「一班はこの者たちを地下牢へ連れて行け。後で私自ら取り調べを行う。二班から四班は街に出て聞き込みを行え。まだ仲間が居るやもしれん」
私たちの目の前で漆黒の外套を翻しながら引き連れていた部下たちに指示を飛ばしているのは、そんな騎士団のひとつに属する人物でした。
部下たちと意匠の同じ、しかしより高級そうな漆黒の鎧、そしてマントの留め具にも刻まれているのは、〈赤い盾に黒い蹄鉄と黒馬の正面顔〉。
それは聖王国最強の重装騎兵軍団と言われる、貴族派閥の騎士団〈黒蹄騎士団〉の紋章です。
「おいおい。いきなりなご挨拶じゃあねぇか」
剣呑な気配を纏ってシャムシエルが身構えます。武器に手を伸ばしていない分、彼女にしては自制しているのでしょう。
「俺も、いきなり牢に入れられるような謂われは無いと思うけどな」
勇者様もユリア様を庇うように前に出ます。ちらりと見えた表情からは、勇者様には珍しく怒気が浮かんでいるように感じられます。
「面会の予約を取り付けるのに投獄される国とはワシも初めて見たのじゃ」
ガナデちゃんは興味深そうな様子でゆらりと身じろぎます。余裕のある佇まいで、しかし皆の隙を埋めるような位置へと歩を進めてゆきます。
「あ、あの・・・・」
ユリア様は事態の急変に対して理解が追いついていない様子。折角、目的地まであと少しという所で予想外の横槍が入ったのだから、それも当然でしょう。
「はい、抵抗します。この方達が本当にこの国の騎士であるという証拠もないですし、もしも誘拐犯だとしたら大変です」
剣の柄に手を伸ばした黒髪の騎士をはじめ、その部下たちも一斉に気色ばみましたが知った事じゃないのです。
私だって怒っているんですから。
「プッ、アハハハハハハ!」
そんな私の怒りに水を差すかのように、我慢しきれず噴き出したと謂わんばかりの笑い声が大神殿の宮殿入口に響き渡ります。
「もう、団長。見てたんなら早く助けてくださいよ」
宮殿入り口を警備していた兵士さんが、黒騎士と私たちの板挟みにされた不満を笑い声の主にぶつけます。この人も大変でしたね。
「何が可笑しい、キープシャイニング・ノース!」
慌てて柄から手を離した黒騎士が呼びかけた通り、笑っていたのは金髪碧眼の美形白騎士、買い物の時に出遭ったばかりのキープさんでした。
「そりゃあ、名高き黒蹄騎士団のウネントリッヒ・モルエラン団長さんが誘拐犯呼ばわりされてるんだ。まさか、こんな度胸のあるお嬢さんだとは思わなかったよ」
ウィンクを一閃。相当浮名を流していそうな第三公子は、安心させるようにユリア様の頭に手を置いて撫でます。
そして表情から笑みが消え、黒騎士と対峙しました。
「俺の招いた客を誘拐しようなんて、どういうつもりだ?」
片や黒髪黒眼で白磁の肌、黒鎧に身を包んだ怜悧な偉丈夫。
片や金髪碧眼で日に焼けた肌、白鎧を纏った陽気な美青年。
二人が睨み合う姿は一服の絵を見ているように錯覚しますけど、それも一瞬のこと。
「私は職務に従って、怪しい動きをしているものを取り調べようとしているだけだ」
「俺から見たら一番怪しい動きをしているのはアンタだが、地下牢で取り調べの順番待ちをするかい?」
「侯爵家の後継ぎであるこの私を地下牢に入れて良いとでも?」
「同盟国の国家元首の令嬢を地下牢に入れようとした人が何を言ってんのさ」
「元首だろうが令嬢だろうが所詮は平民。知った事か!」
どうやら黒騎士は貴族主義を拗らせているようです。
平民しかいない〈地鼠人〉など、敬意を向けるに値しない、と本気で信じているようですね。
〈ノース・キティ公国〉の治める地域は元々だだっ広い草原に遊牧民たちが暮らす土地でした。そこに公国ができたことで定住する者が増えます。
元から〈騎兵〉の多かった遊牧民ですが、公国の常備軍は重装騎兵への道を辿ることになります。定住して財を成し、政治の中核に食い込んでいった貴族の子弟が自身と馬を守るために装甲を身に着けたのです。
それにより突破力の上がった重装騎兵隊は大陸最強となったのですが、その代償として維持費が跳ね上がり、充分な財力や権力が背景にないと黒蹄騎士団には入れない、そんな風潮が出来上がってしまったのですね。
一方で、定住せず未だに遊牧生活を続けている人達や都市部とは離れた地域に定住した人達は、自然と触れ合う生活をしているためか信仰心が強いのです。
そういった人達は生産力を背景にして神殿を盛り立て、結果として貴族と対立する聖職者の派閥ができあがりました。
今目の前で繰り広げられている黒騎士と白騎士の諍いは、その派閥間対立と無縁ではありません。
しかし、地下牢へ直行と言う形にはならずに住みそうですけど、このままでは埒があきません。
と思っていたら、先ほど取次ぎをお願いした衛兵さんが静かに手招きをしていました。
「とりあえず、これはいつものことなので、今の間に手続きを済ませて良いですか?」
「あっはい」
「〈ペンドリ共和国〉評議長令嬢ユリア・イェールド様でしたね。なにか御本人であるという証明になるものを提示してください」
「はい。この護符は以前来た時に大司教様からいただいたものです」
衛兵さんの問いにユリア様は懐から大事そうに護符を取り出して手渡します。
これまでの状況からこの衛兵さんが白騎士さんの部下だという事は判りましたけど、上司とその政敵とも言える人が対峙している横で、よく平然と業務を遂行できるものです。
「では、ユリア様とその御一行。今謁見されるとの事です。お入りください」
衛兵さんが扉を開けて出てきたもう一人の衛兵と交替で中に入ってから、白黒騎士の口論を聞きながら過ごす事しばし。私たちは神殿の中に招き入れられました。
そして通されたのは謁見室でした。
私達五人の他に白騎士と黒騎士、そして案内してくれた衛兵さんの八人でそこまで向かう途中、それまでの騒乱が嘘のように騎士団長二人は静かに睨み合っていました。
謁見室の扉を開けると、まず見えてくるのは部屋の奥に向かって伸びる赤い絨毯の道と、その両側に立ち並ぶ、キープさんの物と同じ設えの白銀の鎧を着た騎士の列です。その道に沿って視点を部屋の奥に動かすと、そこに玉座が見えました。
壁に嵌め込まれた彩色硝子から降り注ぐ日差しを受ける〈天獣王ネルガート・マキ〉の女神像を背にした玉座に腰かけるのは白い法衣に身を包んだ小柄な人物。百二十センチほどの身長に少年のような顔立ち、馬の耳を生やしたこの人が大司教様なのでしょうか?
ユリア様を先頭に、私と勇者様、シャムシエルが絨毯に膝をつき、ガナデちゃんも腹ばいになります。ユリア様を挟むように、キープさんとウネントリッヒさんも左右に控えています。
「まずは久しぶりだね、ユリアちゃん。報告は聞かせて貰ったよ。大変だったね。そして供の者たちよ、僕が第八十二代大司教クリストファー・ノースだ。よくユリアちゃんを無事にここまで連れてきてくれたね。ありがとう」
サイズの合わない大司教の玉座に腰かけて足をブラブラさせていた大司教は姿勢を正してユリア様の苦労をねぎらい、私たちに頭を下げました。
「そしてキープ、モルエラン卿。毎度毎度、大神殿で騒ぎを起こすのはやめて欲しいものだね」
「すみません猊下」
素直に頭を下げるキープさんと違い、ウネントリッヒさんは往生際悪く足掻きます。
「評議長令嬢に扮した偽物が大神殿に侵入しようとしていた可能性があったのです。それを阻止するのは騎士団長として当然の事でしょう!」
「ふむ、そうかい。ところで卿は本物なのかな? 黒蹄騎士団には神殿での調査権は与えていなかったと思うけど、偽物が騎士団長に扮していたら大変だねぇ。キープの手が空いて取り調べを行えるようになるまで地下牢に放り込んでおいで」
大司教様の鶴の一声。居並ぶ白銀の甲冑騎士たちによって両脇を抱えられた黒騎士団長は絨毯に二つの筋だけを残して退場させられてしまいました。良いのでしょうか?
「うん。これで静かになったね。しかしどうしたものか、あいつらにペンドリまで行ってもらおうと思ってたんだけど、信用に欠くからねぇ。キープの方は今押し付けようと思ってた案件があるし・・・・」
「それなら、俺に良い考えがある」
大司教が考え込んだ瞬間キープさんが顔を上げ、御丁寧に人差し指を立ててこう宣わったのです。
「ユリア達が俺の仕事を手伝ってくれないか?」




