5:屍人
チャッ・・・・チャッ・・・・
地面に足裏が触れる度、軽くて硬い物同士がぶつかる音が聞こえてきます。
何故なら、その足裏は毛にも羽にも鱗にも皮膚にも覆われない骨だけだからです。
前足に五本、後足に四本の指趾を持ち、趾先のみを地面について歩く指行性の構造をした脚は身体全体の大きさに比して短く思えます。
頭胴長は三メートルほど、肩までの高さは二メートル弱くらいで、五十センチほどの尻尾を振りながら悠然と歩いています。
頭骨の形は〈狼狗頭〉の〈森人族〉に似ています。
四足歩行する関係から首の位置は異なりますし、側頭窓や頬骨弓の幅や頭骨そのものの大きさも大分違うのですけどね。
「狼・・・・いや、ダイアウルフか?」
勇者様の呟きを拾いました。故郷の世界に似た生き物がいるのでしょうか?
「そうじゃないんだけどな。俺が知ってるのは昔生きてた動物の石化した骨格の標本だし、そいつはこれほどデカくはなかった。というかポムの言い方だと、この世界では普通って訳でもないんだな」
「はい。動く骸骨といえば冥獣〈竜牙兵〉ですけど、四足獣の姿をしているなどという話は聞いたことがありません」
「アタイも十年以上〈冒険者〉やってあちこち流離ったけどな。こんな化け物とお目にかかったことはねぇぞ」
「ポムさんやシャムさんが知らないものを、わたくしが知る筈もありませんわ。少なくとも、これまでの追手には居なかったと思うのです」
どうやら勇者様の世界には過去にこれと似た骨格の生き物が居たみたいです。
その光景を思い浮かべようとした矢先に投げかけられた問いに意識を向け、女王様や師匠たちから教わった内容を思い出します。
よーく耕した土に竜の牙を蒔いて収穫される冥界の兵士〈竜牙兵〉は確かに動く骸骨の姿をしていますけど、基本的に画一的な姿をしています。
冒険者として長年各地を旅してきたシャムシエルの経験にもなく、ユリア様の故郷を襲撃した帝国兵の使役する異獣の中にも居なかったとなると、私たちの知識の中にはこの魔獣は存在しないことになります。
「のぅ、お前さん達。検証している所悪いのじゃがね、ワシを魔物扱いせんでもらええないかな?」
年経た老女のような、そして童女のような、柔らかく優しい声が耳朶を震わせます。
声が聞こえた先にはくつくつくつと喉(?)を鳴らして苦言を呈する骸骨の四足獣。大きく伸びをしたあと、ぺたりと地面へ腹ばいになり、両前足で香箱を組んで頭を載せます。
完全にくつろいでいますね。
ふわり。
骸骨獣の首に巻かれていたスカーフが大きく広がってブランケットのように背中へと覆い被さります。
ぱさり。
「って、おい、喋ってるぞ!」
「しゃ、喋りました!?」
「え? 何? 喋れんのこいつ?」
「骸骨が喋ったのです獣が喋ったのです」
骸骨獣が姿を現してから何処か現実味の無かった光景に一枚の布が加わった事で、私たちの精神も現実を取り戻したのでしょうか。
一気にパニックが伝播しました。
「いい加減に話を聞いてもらいたいのじゃがね。仕方ないのぉ。〈仮装容姿〉」
「なっ・・・・姿が変わっただと!?」
一向に話が進まない様子にいい加減辟易したのでしょう。
骸骨獣が呪文のようなものを唱えると、その姿が粘土細工のように変わり始めます。
やがて骸骨獣は寝そべって香箱を組んだ姿勢のまま、美しい一頭の獣になっていました。
顔立ちや全体の体格は元々の骨格に肉と筋と皮を足したような感じで、走るのに適した鋭い爪を持つ足や、肉を噛み裂くのに向いた強靭な顎、立体視のできる目と嗅覚に優れていそうな長い鼻面を備えています。
骨格から想像できなかった部分は青く輝く毛並みにピンと立った三角形の耳、そしてふさふさな尻尾くらいでしょうか。
「さて。いい加減に、ワシの話を聞いては貰えないかな?」
「あ、あぁ・・・」
「申し訳ありませんでしたわ。立て続けに不思議な事が起きてびっくりしたのです」
流石に、これだけ驚かされると一周回って冷静になれたようで、骸骨獣・・・・青い獣・・・・に応対できるようになっていました。
「こう姿が変わっては呼び辛かろうな・・・・まぁ、当面〈骸骨獣〉とでも呼べば良いじゃろ」
「じゃあ、骨っ娘。オマエ、一体何なのだ?」
「何者かと問われると困るのじゃが、ここは〈幻術師〉と言うておこうかのぅ。」
色違いなシャムシエルの姿をしたまま香箱を組んだ姿勢で話を続ける骸骨獣へと真っ先に問いかけたのは、驚きから抜け出したばかりのシャムシエルでした。
ただ、その問いへの返答は初めて聞く〈職業〉の名前で、謎ばかり増えて疑問の解消にはつながりませんでしたけど。
「ではこう聞けば良いのです。あなたはわたくし達の敵なのですか?」
「敵と言えば敵じゃし、お前さん達次第では味方にもなるじゃろうよ」
ユリア様の問いに返ってきたのは判じ物めいた返答。その下にあるものを私達に見せようと、香箱を組んでいる前足を動かしてスカーフの位置を動かします。
けど、私達の行動次第では味方になる、というのはどういう事でしょうか?
「あぁ、この首輪によってワシは今〈剣悪〉軍の操り人形と化しておる。この首輪からワシを解放さえしてくれれば敵である必要はなくなるのじゃ」
スカーフの下、骸骨獣の首には革と金属でできた首輪が着けられていました。シャムシエルもチョーカーを着けていますけど、そんなお洒落な物ではなく、鎖を繋ぐ金具まで付いている武骨で荒々しいデザインの物です。
「〈剣悪〉か。また知らない言葉が増えたな」
「産まれながらにして屍の身体を持つワシ等の故郷の種族〈屍人〉の一種じゃ。腐り溶けた身体をした〈溶怪〉、身体を持たず器物に宿る〈喪霊〉、ワシのように身体が骨だけの〈狂骨〉などがおる」
産まれながらにして死んでいるってどういう状態なのでしょうね?
そもそもそれは生きているのか、医学的に考えると・・・・と沈みそうになった思考をシャムシエルの声が浮上させます。
「ややこしいわ!」
「簡単に言うなら、〈ジャモン帝国〉に協力している別世界の民じゃ」
「〈帝国〉に協力している軍・・・・じゃあ〈ペンドリ共和国〉にも?」
情報量に頭を抱え始めたシャムシエルの叫びに律儀に応えた〈骸骨獣〉の言葉に食いついたのは、案の定ユリア様でした。
ですけど、そこが気になるのはユリア様だけではありません。
「話してやりたいところじゃがね、今のワシは情報漏洩になり兼ねん事は言えぬのじゃ」
あぁ・・・・。
隷属の首輪を指してそう言われては無理強いもできません。
むしろ、情報を聞き出す手段を最初に提示してくれているだけ、私達にとってもありがたいことなのです。
「解放するにはどうしたら良い?」
そして、勇者様は既に解放するつもりで居られるみたいですね。
「鍵じゃ。首輪の鍵は〈剣悪〉軍の将〈長我部 豊寿〉が持っておる」