3:霧に煙る森
「ふわぁぁぁ・・・・」
「へぇ、良いねぇ」
「あぁ、これは凄いな」
「え? きゃあっ!」
森を切り開いて作られた街道を歩んでいたユリア様の口から感嘆の声が漏れます。
先導していたシャムシエルがその声に振り返り、勇者様も最後尾で足を止めました。
ユリア様の隣にいた私も思わず目を開き、そして一瞬、目が眩んで落ちそうになったので、濡れた石畳に降り立ちます。
私たちが進んでいるのは〈角鹿車〉が余裕ですれ違える、ちょっとした広場ほどの幅をもつ街道ですが、夜明け前の森は街道の左右から伸びる樹冠が頭上を塞ぎ、樹々の枝が作るアーチは閉塞感を与えてきます。
そんな中で靄が立ち込め始めたため、私は反響定位に切り替えて目を瞑って進み始めたばかりという時だったのです。
眩しさに目が慣れてみると、皆が立ち止まるのも納得の光景が広がっていました。
いつの間にか登っていた朝日が樹々の合間を縫って、左の方から差し込んでいます。 木漏れ日と言うのともちょっと違う、朝靄をスクリーン代わりにして柔らかな光の帯、光芒が広がっていく様は、幻想とも神秘とも形容されるべき光景だと感じました。
勇者様の美術の教科書に載っていたオリジウム光線だったか、カピラリア七光線だったか、そんな名前の構図を思い出させます。
ユリア様の声がなければ、この光景を見落としていたかもしれませんでした。
感謝しないといけませんね。
ふと気づくと、勇者様が私の顔をじぃ〜っと見ていました。
何でしょう?
「それはレンブラント光線な。使い方間違ってるし」
呆れたような勇者様の呟きは聞こえなかったことにしましょう。
*
依頼を受けた夜のうちに準備を済ませた私たち四人は、夜が明ける前にピースサムセットの街から〈幻霧の森〉に向かって出発していました。
〈神樹海〉の出身で〈冒険者〉としての先輩でもあるシャムシエルを先頭に、私とユリア様を間に挟んで、最後尾を勇者様が守るという隊列で進んでいます。
後衛である二人を前衛の二人が守れるように、という意味もあるのですけど、勇者様だけ暗闇での行動に難があるというのが一番の思惑です。
そして意外なことに、その配慮が重要だったのは日の出前よりも夜が明けてからの方でした。
光芒のもたらす風景に感銘を受けてからしばらくの後、私たちは街道を外れて舗装されていない細道に入っていきました。
背の高い樹木で構成された林冠はおよそ四〇メートルほど、その合間を縫って差し込む光で育つ下層の樹木も一〇メートルを超えています。更に低木やソテツ、蔓植物が密集し、藻類や地衣類がぬかるんだ地面を覆っています。
石畳で舗装された街道と違って、狩りを行う猟師や材木を切り出す樵、炭焼き職人に薬草師といった森の恵みを日々の糧にする人たちが通い時に木材が運ばれて行く道は、長い年月に踏み固められています。
細道といっても隊列を組んだままでも通れるだけの幅はありますけど、土の路面はでこぼこしており、至る所に木の根が飛び出したりぬかるんだりしていて不注意だと脚を取られ転んでしまいかねません。
そのため夜目の効くユリア様と反響定位のできる私で地面の異常を確認していたのですけど、早朝の森はその目論見を打ち砕きにきました。
乳白色の靄が重く立ち込め、私たちの足元やその下の地面を覆い隠し始めました。
私は反響定位に切り替えて目を瞑ったまま進んでいたのですけども、靄を構成する微細な水滴に音が乱反射して、見えてくる画像がぼやけてしまいます。
そんな、集中を要する作業の中です。
「うわっと!」
勇者様が何かに蹴躓いたのです。
「勇者様っ!」
「危ないのですっ!」
「大丈夫かっ!?」
私とユリア様、シャムシエルが異口同音に叫んで勇者様の元に駆け寄ります。
初期位置と移動速度の関係で、最初に着いたのは私でした。勇者様を背中から羽交い絞めにし、大きく翼を羽ばたかせて制動をかけますけども、力不足で倒れる速度を緩めるだけでしかありませんでした。
けれど、その間にユリア様が間に合いました。倒れこむ勇者様の下に潜り込んでがっしりと足を抱え込みます。勇者様が倒れるのは止まりましたけど、残念ながら上背が足りないため、その姿勢のまま止まってしまいます。
そうしている内にシャムシエルが到着します。勇者様の顔を胸に挟むように抱え込みました。私の位置からだと顔は見えませんけど勇者様の耳があっという間に真っ赤になっていくのが見えます。どさくさに紛れて何やってんですか、この女!
「いやぁ、悪ぃ悪ぃ。慌てちまった」
「慌てちまった、じゃないですよ!」
「ねぇ、二人とも。勇者様がそろそろ窒息しそうですの」
「「あ″・・・・」」
林業で生計を立てるピースサムセットの街があり樵が出入りするこの森は、間道の至る所にこうした切り株があります。
ようやく解放された勇者様を休ませるため、私たちは手ごろな切り株を見つけて休憩を取ることにしました。
「ぷはぁ。こんな事で死を覚悟することになろうとは思わなかった」
勇者様を切り株に座らせて手袋を外してもらいます。
爪と唇の色を確認してチアノーゼが起こっていないことを確認。顔面や眼球の鬱血、溢血もなかったので一安心しました。
躓いた時に足も痛めていないか診察するため、靴も脱いで脚を見せてもらいました。
足首の腫れも爪先の損傷もなかったのですけど、勇者様の場合は捻挫してても骨折してても痛みがないので念のために〈小治癒〉を施しておきます。
「悪かったな、サワラ。アタイの所為だ」
「いや、あれは仕方ないって。気にするなよ。むしろ手間をかけてスマン」
勇者様が躓いた原因は、道に転がっていたそこそこ太い枝でした。普段は目で見てこういう障害を避けている勇者様ですけど、皮膚感覚以外の五感が阻害される霧の中では不便がありました。
落ちていた枝を拾って断面を確認したシャムシエルは責任を感じているようで、珍しくしおらしい表情を見せています。
今回の探索にあたって勇者様を最後尾にしたのには、こういう事故を防ぐ意味合いがありました。先頭を歩くシャムシエルは邪魔になる枝や根を鉈で切り払い、ユリア様は磁気感知能力で地面に異常がないかを、私は反響定位で空間に異常がないかを確認するのが役割だったのです。
「良いのです。適切に小休止を入れた方が安全性は高まりますから・・・・」
「他にも植物や虫によって怪我をする可能性もありますし、足を止めて診断の時間を作るのは構いません・・・・」
けど、靴を履きなおしている勇者様にシャムシエルがべったりくっついているのは納得がいきませんけど。
ユリア様もこくこくと頷いています。
だと言うのにシャムシエルは私とユリア様を交互に見てから、挑発的に自身の胸を寄せ上げて抱え込み、鼻で笑うのです。
「せめて目だけでも悦ばせてやろうかと思ったんだがね。大きさには自信あるし」
「・・・・それ以上言ったら戦争ですからね」
「わたくしの堪忍袋もそろそろ・・・・待って、何かいるのです! 〈光源〉!」
街道を外れたために天蓋からの木漏れ日も減っていた上、診断と喧嘩をしている内に霧も濃さを増し、森の中は薄暗くなっていました。
そんな薄暗い森の切り開かれた一角でユリア様の魔法が炸裂します。
以前、シャムシエルが寝込みを襲って来た時にも使っていた〈光源〉の魔法によって周囲の闇が追い払われ、霧で範囲を狭められているものの周囲の様子がよく見渡せるようになりました。
そして、ユリア様が指示した方向には・・・・。
巨大な見たこともない魔獣の姿がありました。
赤い縞のある黒い肌、二本の角が生えた頭部は牛に似ていながらも口は耳まで避け、異様に吊り上がった目と頭頂部から背中にかけて生えた背ビレは鮫に似ています。
全体的に筋肉質で逞しい四肢には鋭い爪を備え、槍のように三叉に分かれた尾は蛇のように自在にしなり、背には猛禽の翼が一対。
そんな力強い姿をしていながらも、その魔獣は腐り果てていました。
片方の眼球は眼窩から垂れ下がっており、艶のない表皮はあちこちが剥がれ、胴体や翼からは骨が露出しています。
そんな、どう見ても生きている筈はない姿だというのに、その魔獣は光に照らされながら、ゆっくりと動き始めたのでした。




