1:草原の公国
第五章です。
「大きな森が見えてきましたよー!」
大声を出したあとで、これでは誰にも聞こえないだろうという事に気が付いた私は、翼を広げたまままっすぐ降下して行きます。
身体が風を受けて減速できるよう、なるべく地面と平行にしていると、自然に地表の様子が目に入ります。
視界に広がるやや背丈の高い草が生い茂る乾燥した草原を切り裂くような一本の街道は、荒れた原野に人の手が入っていることを示しているようです。
この〈ノース・キティ公国〉は様々な家畜を連れて旅をしながら畜産業を営む遊牧民達が多く住んでいる土地です。
周囲に広がる乾燥した草原も、遊牧民が連れ歩く鹿や羊や牛や馬が通るたびに食べられる事で生育が調整されているのですね。
なお、多少なら兎も角、大量の草を刈り取るような真似をすると、縄張りを荒らしたと遊牧民の皆さんから怒られることになるのだそうです。
隠れるものの少ない草原ではあるものの、背の高い草の陰など獣や刺客が潜む場所には事欠かないのです。
とはいっても、所詮は草の陰なので真上から見れば一目瞭然。という訳で私が空から偵察をすることになったのでした。
視線を遮るもののない上空からは、街道の延びる先に大きな森の姿がいち早く発見できたのです。
◇
テイワ武装商会の隊商が〈ノース・キティ公国〉に入ってから早くも一週間が過ぎました。
「一週間ぶりの人里ですわね」
「はい。ようやくです」
「まさか街道沿いに人里がまったく無いなんてな・・・・」
そうなんです!
関所を出てからこの一週間というもの、人里と呼べそうなものは何一つ見当たらなかったのです。
行き交う遊牧民によってモノが移動してゆくこの地域では、定住民達が何かを他の地に運ぶ場合は遊牧民を介することが多いため、定住民自身が遠方に足を延ばす機会はあまりありません。
そして、遊牧民というのは家族も家畜も家屋も共に移動する集団なので、旅の途中で宿泊する施設を必要としません。
必然的に、宿場町というものが成立しづらくなっていました。
この地域を行商ルートに選んでいるテイワ武装商会の隊商が〈角鹿車〉を使っている理由はここにありました。
街道沿いには勇者様が「道の駅」と称した駐輪所があり、そこは井戸を始めとした宿営用の設備が整っています。
一行はこの街に着くまで、そういった設備を使って〈角鹿車〉の中で夜を明かして来たのでした。
「もしもアタシ達の仕事が行商じゃなくて畜産だったら、遊牧と言ったかもしれないわネ」
流石は旅慣れたテイワさんです、というか久々の街に舞い上がっていたのは〈冒険者〉として旅立ったばかりの私と勇者様、ユリア様だけでした。
シャムシエルも一人であちこち旅していたらしく、余裕綽々だったのが癪に障りますけど。
「まぁそう邪険にしてくれるなよ。久々の街なんだからゆっくり楽しもうじゃねぇか」
「そうなのです。折角テイワさんが宿を取って下さったのですし」
テイワ武装商会は行商を生業とする集団ですので、当然ながら街に着いてそのまま通過するなんてことはなく、行われるのは商談です。
森の中に築かれたこの街〈ピースサムセット〉でもテイワさんはメリーさんを伴って人ごみの中に消えていきました。
残る私たち護衛は、テイワさんが確保してくれた宿で交互に休みを取ることになったのです。
獏の〈獣耳人〉が多く住むこの街〈ピースサムセット〉は、意味もなく森の中にある訳ではありません。
木の実や果物、茸類などの採集品、質の良い材木や木の枝、それらを加工した細工品、森の中で放牧された牛や鹿などの肉・皮・角・乳と、この立地ならではの特産品は山ほどあります。
それらを仕入れ、〈キノケファルス〉から運んできた〈干鱈〉や〈燻製鮭〉などを売り払ってスペースの空いた倉庫に積み込んでいくのがテイワさん達の流儀なのですね。
久々の人里にテンションの上がっていた私たちを見かねたのか、ガラガさんとチャーリーさんは初日の張り番をかって出てくれました。
二人一組で〈角鹿車〉の警備を行うのです。
そんな訳で、私たち四人は翌日以降に向けて英気を養う意味も兼ねて、冒険者組合の一階に設けられた食堂で夕食を取っていました。
「うお、春巻きに肉まん、ピラフもあるんだな。なんか、昔喰った中華を思い出すぞ」
勇者様の前にはチーズ入りの皮で包んだ揚げ物、挽肉を詰めた団子、出汁で炊いた炒め飯などが並んでおり、どれから食べようかと目を輝かせて喜んでいる姿は微笑ましくなります。
故郷の料理に似ているのでしょうか、後世の勇者様が来られた時の勇者祭に備えて、後で記録にとっておかなくてはなりませんね。
「さぁさ、お待ちかねの肉が来たねぇ」
串焼き肉が山盛りになった皿が置かれた途端、蒸留酒の盃を空け、両手に三本ずつ掴んで齧り付いたのは言うまでもなくシャムシエルです。
肉食獣なのは言うまでもありませんけど、もう少し慎みを持って食事ができないものでしょうか?
「まぁまぁ、食事は楽しみながら感謝していただくものなのです」
上品にスプーンを動かしてレンズ豆のスープを啜っていたユリア様がナプキンで口元を拭きながら険悪になりそうな空気を和らげてくれます。
肉詰め焼き茄子やを胡瓜を醍醐で和えたサラダといったバランスの良さそうな品が彼女の前には並んでいます。
「それもそうですね。では、私も遠慮なくっ!」
私が注文したのは削ぎ取った羊の焼肉をサラダと一緒にパンにはさんだケバブサンドでした。
勇者様のお勧めということで選んだそれを両手で掴み、大きく口を開けて齧ります。
前言撤回ですね。シャムシエルの事を言えた義理ではありません。
◇
「いやぁ、喰った喰った」
「はぁ、美味しかったです。御馳走様でした」
「うん美味かったな。ちょっと食べ過ぎたか」
「食べ過ぎには気を付けてくださいね?」
食後、それぞれに飲み物を注文して一息入れます。
ユリア様は紅茶を、シャムシエルは発泡甘酒を、私はここしばらくの定番となった珈琲を飲みながら。
食事中に危うくチーズ春巻と小籠包で口の中を火傷しそうになった勇者様は、冷やす意味もあってドンドゥルマという伸びる冷菓を舐めています。
「それで、この街を出た後は森の中を進むんだよな?」
「そうなるなぁ。森を抜けるのに数日、それからまた草原を十日くらいかな」
「それで〈エクウス〉に着きますのね!?」
「予定はそれで合ってますけど、この街を出る日取りはテイワさん次第ですよ」
解散前に聞いていたこの先の予定を確認する勇者様に、記憶を辿りながら答えるシャムシエル。
ユリア様は気が逸っているようですけど、それも当然でしょう。
彼女の故郷は〈ジャモン帝国〉の支援を受けた反乱軍によって制圧され、議長であるお母さんの安否も知る術がないのですから。
そんな話をしているとテイワさんがメリーさんを伴って私たちの席にむかって歩いてきました。
「呼べば招く」と言いますけど、案外莫迦にできないものですね。
二人の顔色は少し悪いような気がすると思ったら、テイワさんの口から飛び出した言葉がその予想を裏付けてくれました。
「何だか事件が起きたみたいで、この先の森が通行禁止になってるの。どうしたものかしら・・・・」
さぁぁぁぁぁっと血の気の引く音が聞こえるくらい劇的に、ユリア様の顔色が変わったのでした。




