5:追走
つくづく〈快盗術〉というのは面倒な魔法がそろっているものです。
私の目の前で、〈森蛮人〉の〈盗賊〉シャムシエルは、〈透明化〉によって完全にその姿を消し去りました。
取り落していた〈大振りの短剣〉こそ床の上でその姿を晒していますけども、本人が身に着けている物は、頭を覆う頭巾や覆面も、下着のような衣服、手足の防具、暗器を仕込んだ腰の革帯まで、すべて本人と同じく消え去っています。
これではシャムシエルが口上通りに逃げるのだとしても、逆にユリア様を攻撃するのだとしても、対処するのは困難になります。
特にユリア様の身は危険です。
私は、耳を澄ませて反響定位で相手の位置を把握しようとしました。
「「「「懲りないねぇ、アンタも」」」」
「キャァァァァァッ!」
そうでした。
シャムシエルが使っていた〈腹話術〉によって、私の反響定位は封じられていたようなものでした。
この状況、どうしましょう・・・・?
「ポムさん! ここはわたくしが・・・・〈追跡術〉!」
今回は飛んでいなかったので墜落こそしなかったものの、三半規管を揺さぶられたことによる頭痛と吐き気に苛まれながら悩んでいると、ユリア様の声が聞こえました。
〈追跡術〉は〈狩猟術〉の一つで足跡を発見し、追い続ける魔法です。
自然の中で獲物となる動物を見つけ、追い詰めて狩る〈狩人〉ならではの魔法と言えるでしょう。
これならば、床面を移動する限り、シャムシエルの移動先はユリア様へ筒抜けになるのです。
こうして目の当たりにしてみると、〈盗賊〉と〈狩人〉って同じ〈技術職〉だというのに対照的なのですね。
「やっべぇ! 〈浮遊〉は・・・・もう使ってる余裕ねぇか。仕方ねぇ!」
シャムシエルの呟きが聞こえてきましたけど、流石にもう反響定位を使う気にはなれません。
そして、シャムシエルにも余力はない・・・・そりゃそうですよね。
私が遭遇してからでも立て続けに〈真闇〉に〈闇視〉そして〈腹話術〉を、更に今しがた〈透明化〉まで使っています。
しかも、〈真闇〉以外はコストの重い高レベル魔法です。
施療院への侵入にも魔法を使っただろう事を考えると、流石に空を飛んで逃げる程の余力は残っていなかったのでしょうね。
では、余力のないシャムシエルがどう出るのか・・・・。
「ポムさん、危ない! よ、避けるのです!」
考えてる間にユリア様から警告が飛びました。
咄嗟に床を蹴り、翼を広げて天井近くまで避難した途端、真下を凄い勢いで何かが駆け抜けて行きました。
なるほど、素直に外へ逃げようと窓に向かったらユリア様に撃たれそうだから、廊下に繋がる病室の入り口を塞いでいる私を体当たりなりしてどかそうとしたのですね。
ってことは、私、避けなかった方が良かったでしょうか?
「あ・・・・そうですね」
しょぼんとするユリア様。
どうやらまた口に出してしまっていたようです。
いえいえ、心配しないでくださいね。
避けていなければどんな怪我をしていたか分からないのですから、忠告に感謝なのです。
ともあれ、廊下に出たシャムシエルを追わないといけません。
ユリア様と違って私は足跡を追うことはできませんけど、そう思いながら天井から廊下を見下ろすと、灯りに照らされた床に点々と赤黒い染みが続いています。
これなら、私でも追いかけて行けそうです。
「けど、この行き先は・・・・勇者様の病室です!?」
いけませんっ!
今、病室で眠っている勇者様は碌に身動きのできない無防備な状態です。
もしも切羽詰まったシャムシエルが自棄になって勇者様を傷つけようとしたり、人質にとろうとしても、勇者様には抵抗の余地がありません。
私は翼をはばたかせ、血の跡を追って隣室の扉に向かおうとしたのですけど・・・・。
ばごんっ!!
「「「「んのごぉっ!!」」」」
その瞬間に響き渡ったのは、何か硬いもの同士がぶつかり合い砕け合う音と、シャムシエルが放ったであろう悲鳴でした。
四方八方から響いてくる大音量の悲鳴が建物の中で反響し、反響定位を使ってもいないのに私の三半規管を狂わせます。
あっという間に失速し、床に叩きつけられました。
「あいたたた・・・・。一体、何があったのでしょう?」
壁に手を突いて身体を支えながら、脚を引き摺るようにして勇者様の病室に辿り着きます。
〈投石器〉を構え、えいやっと意を決して開いたままの扉から室内を覗き見ました。
開かれた扉から室内に差し込む灯り、そして扉の正面に位置する窓から差し込む月光、二つの光源によって病室の中央は明るく照らされています。
間口と窓の影が交錯し、灯りに照らされた範囲には、動くものの姿はありませんでした。
「ポム・・・・助けてくれ」
今だ反響の残る耳に勇者様の声が聞こえた気がして、彼の寝ている寝台に目を向けます。
寝台とその周りは散々たる有様でした。
勇者様はすっかり眠りから目覚め、しかし身体を起こすことも叶わず、私の方に助けを求めていました。
ギプスで固められていた筈の四肢は右腕だけが天を突くが如く天井に向けられ、拳から前腕にかけてべっとりと濡れそぼり、テラテラと僅かな月光を反射しています。
かすかに鉄錆の匂いがするので、その液体が血なのだろうとは思いますけど。
右腕のギプスが何処に行ったのかと思ったら、砕けた欠片が寝台の上やその周辺に飛び散っています。
そして、やはり血に塗れた勇者様の胸の上には、シャムシエルが力なく俯せに横たわっていました。
急いで勇者様の所に駆け寄って、慌てそうになる気持ちを落ち着けながら、サイドテーブルの上に残しておいた角燈に火を灯します。
勇者様の方は、目が開いて意思表示できているので、血塗れではあるものの大丈夫なのでしょう。
いえ、全然大丈夫じゃないのは以前と変わらないので、後で診察と治療が必要ですけど、より緊急性が高いのはシャムシエルの方でした。
顔面、というか鼻面が潰れ、大量の鼻血が出ており、口内からも出血が見られますね。
瞼を開けて眼球を確認します、失神してますね。
「一先ず、安心しても良いみたいですね。ユリア様」
そう背後に声をかけて気が付きました。
ユリア様が付いて来ていません。
もしや、と思って隣の部屋に戻ってみると、ユリア様は元いた通り寝台の上に座って〈重弩弓〉を構えていました。
ほっと胸を撫でおろす私のことを、ユリア様は潤んだ瞳で見上げます。
そして、少し震えた声が聞こえてきました。
「あの、腰が抜けてしまってたようで・・・・どうしたら良いでしょうか?」