3:深夜の襲撃者
〈森蛮人〉は食肉目を祖とする人種です。
私たち〈黒翼人〉を含む〈獣耳人〉とも、ユリア姫のような〈地鼠人〉とも異なる身体的、精神的、社会的な特徴を持っています。
首から下は〈獣耳人〉とあまり変わらないのですが、お尻には尻尾が生えています。この世界の人類で尻尾を持つのは彼女たちだけです。
一方で、首から上はほぼ肉食獣の頭そのものです。この頭部の形によって、集団行動が得意な〈狼狗頭〉、記憶力と魔法に長けた〈狸猫頭〉、高い身体能力を持つ〈豹虎頭〉などの枝族に分類されます。
目の前にいる彼女は〈貉狐頭〉。社交的で機転が利き、聴覚と跳躍力が優れた枝族です。
彼女たちは密林を主な生活の場としており、血縁で繋がった集落ごとに別れて暮らしています。〈リーフ大陸〉南部にある〈神樹海〉には、そういった集落が無数にあり、迂闊に足を踏み入れるのは自殺行為だと言われています。
大陸南部ではちらほらと姿を見ることもあるらしい〈森蛮人〉ですが、集落から遠く離れ密林地帯も殆どない大陸北部で見かけることはあまりありません。ましてや一人でいるなど。
「どうして〈森蛮人〉さんが大陸北部に?」
「そりゃ、アタイよりも強いアタイだけの王を探すためさ!」
どうやら疑問が口から出てしまっていたようです。答えて貰えたのには驚きですけど。
しかし、王ですか。
〈森蛮人〉の集落は基本的に女性だけで構成されており、〈豹虎頭〉の戦士が集落を守り、〈狼狗頭〉の狩人が食料を集め、〈狸猫頭〉の魔術師が知恵を出し、それぞれの枝族が得意分野を活かして集落の為に働きます。
これだけだと、敬して遠ざければ良い隣人だと言えるでしょうが、実際にはこれだけでは済みません。
男子の出生率が極めて低い彼女らは、繁殖の為の雄を外部に求めます。繁殖期になると〈神樹海〉外縁の市町村に集団で遠征にでるのです。俗に「男狩り」と呼ばれ、外周部に高い外壁を備えた町が増える原因となっています。
ごく稀に雄の〈森蛮人〉が生まれることがあります。〈獅子頭〉と呼ばれる立派な鬣を生やした個体を父親とした子は、攫ってきた他種族の男から生まれた子よりも強くなる傾向があります。そのため〈獅子頭〉を王として戴く集落は周辺の集落を吸収して大規模になりやすく、区別して「後宮」と呼ばれます。
とは言っても、〈獅子頭〉もそこに居るだけでは王として君臨することはできません。元からいる集落の長(主に〈豹虎頭〉の長老が務めます)か、後宮の王を倒さなくては王として認められないのです。
なので、若い〈獅子頭〉は力をつけるために森を出て〈冒険者〉として身を立てることも珍しくは無いのだとか。目の前の暗殺者・・・・じゃないのでしたね、〈貉狐頭〉さんも、そういう〈獅子頭〉を探してるのでしょうか?
この〈暗殺者〉さん、意外とロマンチストな方みたいです。
「そんなのじゃねぇよ。あと〈暗殺者〉って言うな。違うから」
「本当ですか? 果てなき生命の向かう河よ、輝かしき波間のものたちよ。祈り、願いに応え、毒素を見出し、居列ぶ車に乗せ、確かめに行かしめ給え・・・・〈毒検出〉!」
唱えたのは、視界内にある毒物や毒をもつ生物が輝いて見える、という〈治癒術〉です。すでに被害者に影響を及ぼしている毒が見える訳じゃないので使い勝手の良い魔法ではないのですけど、こういう場面では重宝します。
そして、この〈貉狐頭〉さんは毒を持っていませんでした。〈暗殺者〉の〈暗殺術〉には触媒として毒薬が必須なので、これで〈暗殺者〉で無いことは確定ですね。
「まぁ、疑われても仕方ねぇけどな。つってもこう暗いと〈地鼠人〉の区別なんざつかねぇな」
照れたのか大きな狐耳の後ろをガシガシと爪で掻きながら話題を変える〈森蛮人〉。腰帯の鞄から羊皮紙の巻物を取り出して広げてユリア様とイルヴァさんの顔を見比べ始めました。
黙って立ってたら妖艶な雰囲気だったのですけど、こうして喋っていると粗野さが目立ちますね。美しいお姉さんから格好良いお姉さんに評価を改めます。
確かに〈森蛮人〉は〈獣耳人〉と比べて夜目が利きます。それでも、窓から差し込む月明かりだけで異種族の顔を判別するのは難しいでしょう。
「これ、見えるか?」
そう言って彼女は私に羊皮紙を向けますけど、夜目の利かない私に見える訳がありません。顔の前で手を振って伝えると、納得してくれたのかヴェールを揺らして大きく頷きました。
「だよな。仕方がねぇ。〈闇視〉!」
彼女が一言唱えると、月光の反射で光っていた瞳の輝きが和らぎます。
「赤味がかった髪ってことはこっちか」
私の知る限り、宵闇の中で色まで判別できる魔法など〈盗賊〉の使う魔法〈快盗術〉だけです。〈貉狐頭〉の彼女はユリア様の寝顔を見下ろします。
「可愛い顔して、何をやったらこんな賞金かけられるのか知らねぇが・・・・悪く思うなよ」
「何をするつもりですかっ!?」
大声でユリア様が起きてくれれば良いと思いながら、私は誰何の声を上げます。同時に、目を瞑って周囲の音に耳を澄ませます。
私のいる廊下から侵入者のいる室内までおおよそ三メートル。〈投石器〉を構えて引き絞り、放ちます。
キィンッ!
硬質のもの同士がぶつかり合ったような音が響きます。
反響定位に集中した結果、侵入者の動きを読み取って振り被った〈大振りの短剣〉に弾が命中しました。
これでも、生き物以外になら当てるのは得意なんです。
「アンタ、アタイの邪魔するんだな?」
攻撃を邪魔された襲撃者の声に殺気が籠ります。
「〈真闇〉!」
あっという間に私の視界から紫色の月明かりが―いいえ、周囲の光景がすべて消えて、闇一色に染められてしまいました。なるほど、私と鉢合わせしたというのに妙に悠長な態度をとっていたのは、この手があったからなのですね。
反響定位が脳裏に形を結ぶ色のない映像。その中で短剣を構える〈森蛮人〉の姿が私の方に向かって急速に近づいて来ます。どうやら標的を私に変更したようですね。
ユリア様たちを守るという意味でこれは助かるのですけど、私も私で今後の治療計画に差し障るような怪我を負う訳にはいきません。精一杯、抵抗します。
彼女の左手が剣帯に伸び、放たれる小さな飛来物が三つ。おそらく仕込まれていた〈投擲用短剣〉でしょう。
一瞬、扉の陰に隠れてやり過ごそうかとも思ったのですけど、鍵の開閉を自在にできる〈盗賊〉相手にそれは悪手です。病室を閉め切られてしまっては対処できなくなります。
飛んでくる短剣と同時に襲撃者本人も斬りかかってくるので、大きく避けて体勢を崩すのも自殺行為です。
こうなっては多少のダメージを負うのも仕方ありません。手に持った〈投石器〉で体幹に当たりそうな一本だけ弾きます。残り二本は剥き出しの二の腕を掠めて廊下の壁に突き刺さりました。
「くぁっ!」
覚悟はしていたものの、あまりの痛さで閉じたままの目に涙が浮かびます。
けれど、相手はそんな私の痛みにも躊躇せず斬りかかってきます。大振りの一撃目は後退して避け、素早く引いた二撃目の突きは右ステップで躱し、刃を返した薙ぎ払い気味の三撃目は翼を広げて飛び上がって逃げます。
いいえ、相手の動きは読めていても簡単に身体が着いて行ってくれはしません。避けられてないし、躱しきれてないし、逃げられてもいませんでした。
一撃目は肩から胸にかけて袈裟懸けに斬られ、二撃目は脇腹を抉って、三撃目は太腿を裂かれます。私の回避は辛うじて致命傷を避けただけに過ぎません。相手の攻撃が力任せではなく鋭かさに重点を置いたものだったことがせめてもの救いでしょう。そうでなければ、骨の数本は逝っていたに違いありません。
「はぁはぁ・・・・〈治癒魔法〉」
息を切らせながら傷を治療します。先ほど受けた両腕の傷は既に熱を持ち始めており、しかも、敵の猛攻はまだ終わっていません。
「この暗闇でアタイの攻撃を凌ぎきるなんてねぇ。けど、タネは割れたよ〈蝙蝠人〉・・・・喰らえっ、〈腹話術〉!」
「えっと、確かこの魔法・・・・」
相手の唱えた魔法の響に嫌な気配を感じて、思わず念入りに気配を探ってしまった、その時でした。
「「「「さぁ、アタイが何処にいるかわかるかい?」」」」
四方八方から侵入者の声が聞こえてきたのです。
頭の中で像を結んでいた周囲の光景が掻き乱され、反響による三半規管へのダメージから頭痛と眩暈、それに嘔吐感が一度に押し寄せてきて、襲撃者の目の前だというのに私は無防備に墜落しまいました。
「「「「無意味な殺生はしたくねぇの。アンタはそこで大人しくしてな!」」」」
「あ、いけない・・・・ユリア様が!?」
どうやら相手は私を無力化しておいてユリア様の暗殺を優先するつもりのようです。なんとかしようにも、この状況では相手の位置もわからず、足にも力が入りません。
暗闇と多重音声によって惑乱されながらもなんとか立ち上がろうと藻掻いている中で、ユリア様の寝ていた寝台から小さな呟きと大きな悲鳴が上がりました。
「〈光源〉」
「ギャァァァァァァァ! 目がっ、目がぁぁぁ!!」
悲鳴を上げたのは、襲撃者の方でした。




