7:無謀の代償
「Diiiiiiiltu!!」
恐らく最後の力を振り絞っているのでしょう、〈禍獣ドール〉が勇者様に向かって突撃をかけます。
その口からは粘着性の白い唾液と赤い血液が混ざった薄桃色の液体が止め処なく溢れ出ています。
勇者様は〈戦斧〉を投げた反動によって、地面に倒れたままピクリとも動きません。このままでは無惨に轢き潰されてしまいます。
私は気を失ったメリーさんの下敷きになって倒れたまま、なんとかする手立ては無いかと周りを見渡します。しかし、テイワさんとイルヴァさんは〈乗用猪〉の背に乗せられてようやく〈角鹿車〉に辿り着いたところ。チャーリーさんとユリア姫は未だ〈土竜戦車〉と共に地面の下。即座には動けません。
なんとかメリーさんの下から這い出そうとしていると、声が聞こえてきました。
「掛けまくも畏き神霊メイスンはし。是なる場を神の庭と設けられ給ひ、攻め滅ぼす力を弱め給はんことを畏み畏みも白す!」
朗々と祝詞を唱える声、ガラガさんです。
「〈弱体化領域〉!」
〈禍獣ドール〉を中心にして地面が白く輝きはじめます。その領域は私の所へも到達して・・・・えっ!? 急にメリーさんの身体が重さを増しました。様々な能力を弱体化させる〈白魔法〉の影響で非力になった私はメリーさんの下でジタバタともがくより他にありません。
そんな私と同じように〈禍獣ドール〉もまた弱体化を受けていました。勇者様に向かう突進の勢いが弱まっていきます。巨体の重量を活かした突進の勢いが弱まるというのは不思議ですが・・・・いえ、違います。勇者様の投げた〈戦斧〉が禍獣の身体に刺さったまま地面にめり込んでいます。つまり、禍獣は斧によって地面に縫い止められており、弱体化した今はその軛から逃れられなくなったのでした。ピン留めされた標本のように、ジタバタともがくより他にありません。
「Diiiiiiiiiii」
結局、禍獣が己の身を裂きながら放った最後の一撃は勇者様に届くことなく、か細い断末魔の悲鳴を上げ、その巨体は大地に倒れ伏したのでした。
ドリュリュリュリュン!
〈禍獣ドール〉が倒れ、静寂を取り戻した街道に螺旋の駆動音が響き渡り、〈土竜戦車〉が地上に姿を現しました。
「うおぉぉぉぉ! 元凶を倒したのにやっぱり外へは出られないッスか!?」
「えぇい、喧しいわい! 今出してやるから静かにしとれ!」
禍獣を倒したところで吐き出した粘液が自然に消える訳もなく、相変わらず閉じ込められたままだった事にチャーリーさんが騒ぎ始めます。一緒に閉じ込められてるユリア姫様が不安になるような態度はやめて欲しいなぁ、と思っていたらどうやらガラガさんも同じ気持ちだったようで、苦言を吐きながらも〈Ispil〉で粘液を凍らせて、チャーリーさん達の救助にあたっています。
私の方はというと〈弱体化領域〉が解除されたことと冷静になったことで無事にメリーさんの下から這い出すことができました。手足翼を動かしてみますけど特に動かない箇所はありません。あちらこちらが痛みますけど墜落して骨折一つも無いとなれば上出来な方ですね。
メリーさんは気絶していました。原因は魔法の使い過ぎによる精神的疲労です。誰かさんほどではありませんけど、かなり無茶な魔法の使い方をしていましたし、妥当な結果です。しっかり寝かせておけば回復するでしょう。
ユリア姫様が手伝いを申し出て下さいましたので、一緒にメリーさんを運びます。勇者様はチャーリーさんとガラガさんに運ばれてました。
最後に、討伐証明として二体の〈禍獣〉、ウェンディゴとドールの頭を倉庫に積み込んで、テイワ商会一行はその場を離れたのでした。
私たちは這々の体で次の宿場村に到着しました。街道沿いの村なので駐車場がありますから、そこに〈角鹿車〉を停車させます。
村までの御者はガラガさんが務めてくださいました。テイワさん、メリーさん、勇者様はそれぞれ割り当てられた自室に放り込んで眠らせています。イルヴァさんはリビングのソファに横たえてユリア姫様に看て貰っています。
停車してすぐに何人かの村人さんたちがチャーリーさんに先導されて走ってきました。日が暮れ始めていたので、チャーリーさんには先触れをお願いしていたのです。
「こんばんは〈冒険者〉さん。ここはコルゴの村だよ」
「おぉ村長殿、この度はすまぬのぅ」
テイワさんが身動きできず、メリーさんが気を失っているため、村長さんに応対するのはガラガさんです。〈パーソレイ公国〉の〈獣耳人〉に多い、長い手足を持つ村長さんは、ガラガさんの挨拶にも鷹揚に首を振ります。
「気にすることはないよ。困った時はお互い様さ。若い衆も、もう用意させてるよ」
「重ね重ねすまぬのぅ。規定通り、取り分は7:3でよいかの?」
「充分さ。ただ〈巨大土竜〉と〈土竜戦車〉の回収は別料金な」
「うむうむ。ではよろしく頼むわい」
話をしているガラガさんの方が高齢なこともあり、対比で中年の村長さんが若々しく感じてしまいます。村長さんがスマートでスタイル良いというのも原因でしょうけど。
そうして、集められていた村の若者たちがチャーリーさんの先導で、さっきまで戦闘していた跡に向かいました。そこには未だに〈禍獣ウェンディゴ〉と〈禍獣ドール〉の死体、そして瀕死の〈巨大土竜〉と〈土竜戦車〉が残されています。通常、旅の途中で倒した獣の死体は必要部位を剥ぎ取って焼却、埋葬するのが街道を旅する上でのマナーです。放置すれば腐敗し疫病の原因になったりしますし、それ以前に死体を食べる獣を呼び寄せる可能性も高いのですから。しかし、今回のように獣を倒した後に死体処理をするだけの余力が残らない場合もあります。そういう時には街道沿いの村に通達し、手数料として儲けの数割を払う代わりに死体を始末してもらうのです。
追加料金で〈土竜戦車〉の回収もしてもらえたのは、主にユリア姫様達にとって僥倖でした。
チャーリーさんと村の若者たちが出発するのを見送った後、私は村長さんの家の離れに移動しました。この離れは村長夫人のサロリナさんが診療所として使っている施設です。鯔の〈獣耳人〉であるサロリナさんは元〈冒険者〉で〈治癒術士〉でもあります。都合が良かったので使わせていただくことになりました。
その離れにイルヴァさんが運び込まれてきました。彼女はお仕着せを脱がされ、その上からシーツを被せられています。すでに意識はないようですけど、痛みで舌を噛まないよう、布で猿轡をされています。
移動架台があれば良かったのですけど、そんな都合のいい話はなかったのでサロリナさんとユリア姫様が担架で運んでくれました。ユリア姫様は〈狩人〉の訓練を受けていたということで、二人ともそのまま助手についてくださいます。恰幅の良いサロリナさんは見た目通りに、ユリア姫様は見た目に反して、二人とも力持ちで助かります。
イルヴァさんを手術台の上に移します。彼女の腹部を見ると、捻じれながら貫かれた刺創を魔法で無理やり塞いだ傷口の跡は引き攣れています。内出血や液漏れは塞いだものの、内蔵の不具合があるのかやや膨らんでいます。予想はしていたものの、やはり猶予はあまりないようです。
「では、術式を始めます」
まず消毒した小刀で患部周辺の産毛を剃ります。続いて小刀を取り替えて、刺創の跡を大きく切り開いて腹の中身が見えるようにしなくてはなりません。ユリア姫様が目を背けるのをサロリナさんが支えてくれます。切り開いた箇所を固定したら、ここからは時間との勝負。集中力を一段階引き上げます。
魔法で癒着させた内蔵の傷口、その周囲は膨張し、変色していました。体液の循環が滞っていたのです。癒着した部分を切り落とすと、ドバァと溜まっていた体液が流れ出します。腹腔に溜まるその液体の処理をサロリナさんに任せ、〈治癒魔法〉を唱えながら再生させて本来の接続先に繋ぎます。いくつか壊死しかけていた部分も切り取って治癒します。その作業を、被害にあっていた内蔵一つ一つに対して行っていきます。
最後に、捻じれて破壊された皮膚を切除してから治癒し、お腹を塞ぎます。腹圧で飛び出しそうになる内臓を全員で押さえながら〈療治〉と〈小治癒〉を繰り返し詠唱します。
「ふぅ、終わりました」
大きく息をつきます。集中が切れ、急速に視界が広がり周囲の音が聞こえてきました。
血を流し過ぎたイルヴァさんは意識を失ったまま青白い顔をして横たわっています。その額に浮かぶ汗を拭きながら優しく微笑むサロリナさん。手を握り締めて安堵の涙を流しているユリア姫様。イルヴァさんの着替えや造血剤の処方、術後の観察など、まだ仕事は残っていますけど、それらは二人に任せて私は他の患者を見に行くことにしました。
一度〈角鹿車〉に戻った私は、全身筋肉痛で魘されているテイワさんを見舞いました。幸い、筋肉痛が酷いだけで骨や靭帯への悪影響はなかったようなので、痛み止めだけ処方することにしました。回復したら筋力が増えていることでしょうね。
魔法の使い過ぎで昏倒しているメリーさんは、明日になれば復活していることでしょう。もし副作用が出るとしても朝になってからでないとわかりませんし。
さらっとお二人を見舞った後、私は〈角鹿車〉のことをガラガさんに任せて、勇者様の部屋に向かうことにしました。
勇者様は村長さんの家の離れ、つまりサロリナさんの診療所に運び込まれていました。ちなみに運んだのはサロリナさんとユリア姫様です。イルヴァさんの隣の部屋を用意してもらったのは、治療と護衛が両立するようにとの配慮でした。
「ん・・・・ポムか?」
病室に入ると、勇者様は意識が回復していました。とは言え、起き上がるには至りません。両腕に右足、それと腰にもギブスを嵌めて固めてありますから、自力で起き上がることは困難を極めることでしょう。しかし、それも自業自得です。
「ポムですよ、勇者様」
枕元の椅子に腰かけます。自分で思っていたよりも硬い声が出ました。
「あぁ、やっぱ怒ってるか・・・・」
「怒ってるか、じゃありません。私が怒るのわかっててやったんでしょう?」
「ん」
勇者様の容態は散々なものです。全力で斧を投擲した際に腕の筋肉断裂、靭帯損傷、前腕部骨折。踏み切った右足や腰にも同様の被害が出ている他、受け身も取れずに落下したことで打ち身擦り傷多数。この後も護衛の仕事が残ってることをわかってるんでしょうか、この人は?
「まぁ、そうなんだけど。あの時は、他に手が無いと思ったんだよ」
「それでも、何度でも言いますよ。自分の身体、大事にしてください」
「わかった」
まったくわかってなさそうな顔で素直に頷くんですから、これ以上叱る言葉が出てきません。
「もう、仕方のない勇者様です。仕方ないから〈治癒術〉使ってあげるので、もう寝てください」
そう言って詠唱しているうちに勇者様は本当に素直に寝付いてしまいます。
そして私も、その寝顔を見ながら段々と瞼が落ちていくのでした。




