2:狂乱
「ぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ‼」
銀世界へと変貌を遂げた街道にテイワさんの絶叫が響き渡りました。
同時に、ズドン! と重い音が大地を揺らします。テイワさんの振り被った両手持ちの〈戦斧〉が降り積もった雪を貫通して地面にめり込んだのです。振り向いた勇者様がやすやすと避けられるほどの鈍い動き。その一方で、威力の方は充分に秘められていました。一度手放した時に〈戦舞術〉は解けていたようで〈炎の刃〉によって斧頭に宿っていた炎は既に消えていたものの、しかし余熱で周囲の雪を溶かし爆発的な水蒸気を噴き上げました。
あ、いけない!
「勇者様、離れてください! 水蒸気で火傷します!」
指摘されて気づいたのでしょう、噴きあがる湯気の衝撃に姿勢を崩していた勇者様は慌てて飛び退ります。勇者様の肌は熱さや冷たさといった温度によるダメージにも反応しません。この雪の中という戦場は、本人が思っている以上に勇者様の体力を奪い取っているでしょう。
「ぐるるるるるぅるぅぅ・・・・」
地面から斧を引き抜きながら、テイワさんが振り返ります。肩から腕にかけて筋肉が盛り上がり血管が浮き上がっています。眼球全体が黄色く輝く光を放ち、口元からはとめどなく涎が滴り落ちます。
とてもではないですけど、正気だとは思えません。
「おいおい、大将。どうしちまったんだ?」
「こりゃ!テイワの旦那、何をやっとるんじゃ!」
「お師匠様、しっかりしてください!」
勇者様、ガラガさん、メリーさんがそれぞれ声をかけますけど、テイワさんはギロリと睨み返し、じゅるりと音を立てて長い舌で舌なめずりをします。
『・・・・』
「正気じゃねぇってことかよ・・・・」
〈片手斧〉と〈円形盾〉を構え直した勇者様を目掛け、テイワさんが再び襲い掛かります。〈戦斧〉を振り被った力任せの攻撃は当たれば大ダメージになるでしょうけど、そこにテイワさんの〈戦士〉としての経験は活かされていません。駆け引きもないそれは勇者様が裏拳気味に放った盾を側面に当てられて軌道を逸らされ、またも雪の下の地面にめり込みます。
完全に隙だらけなのですけど、だからといってテイワさんを攻撃する訳にもいきません。勇者様もやりづらそうにしています。
「仕方ねぇな。大将はこっちで引き受けるから、爺さんたちはチャーリーの方を手伝ってやってくれ!」
地面に刺さった斧の頭に足を乗せ、体重をかけながら背後に声をかける勇者様ですが、力任せに払い退けられてしまいます。そう来るのは予想してたようで体勢を崩すことなく再び構えました。
声を掛けられたガラガさんとメリーさんは心配そうにテイワさんを見た後、チャーリーさんと交戦している〈禍獣ウェンディゴ〉に視線を向けます。
『・・・・セ・・・・』
「HYURURURURURURURUURU・・・・」
チャーリーさんとベオニアの〈猛攻突撃〉を喰らって吹っ飛んでいったウェンディゴの姿は散々たるものでした。
〈巨大土竜〉に轢かれた際にドリルで貫かれた脇腹は大きく抉れ、千切れた内蔵がぶら下がっています。下敷きになった時に圧迫骨折したのでしょう、胸板からは折れた肋骨が何本も突き出ています。〈巨大土竜〉の巨体を宙に打ち上げるのに使われた右腕は、既に腕の形状を残していません。肘からは橈骨が飛び出し、尺骨は真っ二つに折れて前腕の途中から断面を覗かせています。それだけでなく、チャーリーさんの〈長剣〉による一撃離脱戦法で受けた、全身に走る細かい切り傷からも赤黒い血が流れ続けています。
通常の生物なら致命傷と言っても良いだけの大怪我を負いながらも、禍獣の戦意は些かも衰えてはいない様子です。
彼の能力によるであろう吹雪も、勢いこそ弱まっているものの止む気配が全くない上に、テイワさんの身に起きている異常に対しても何らかの関連があるかもしれません。
〈冒険者〉が異獣と遭遇した場合の心得として、倒せるのなら倒してしまうように、と教えられているのも納得できる気がしました。
『・・・・コ・・・・セ・・・・・・・・ロセ・・・・』
えぇそうですね。見つけ次第、殺してしまわなくては・・・・あれ、私は何を考えてるのでしょう?
って、考え事をしている場合じゃありませんね。戦況を見ながら治療も進めないといけません。反響定位は索敵には便利なのですけど、怪我の度合いなどは判らないので目視しなくてはならないのです。
人騎一体となって禍獣の相手を務めているチャーリーさんとベオニアも、他に前衛がいなければ突進を多用できないため、流石に無傷という訳にはいきません。
〈板金鎧〉に〈騎士盾〉という重武装のため、チャーリーさんの防御は盾での受け流しや鎧の硬い所で受け止めるという形が主になります。そしてベオニアは重量のあるチャーリーさんを背に載せながらフットワークだけで回避するのです。禍獣が利き腕を失っており満身創痍であること、そして〈騎兵〉が〈体術職〉の中でも随一の、つまり〈冒険者〉の中でもトップの耐久力を誇る職でなければ保たない戦い方でした。
「掛けまくも畏き神霊メイスンの御前に仕へ奉り、彼の者に鋼の護りを与へ給へと、謹んで敬ひ畏み畏みも白さく・・・・〈護法障壁〉!」
「我は契約に基づき求め訴えん。汝、星界の伯爵、影の縄を打ち放ち、眼前の咎人を捕らえんことを・・・・〈黒影の鞭縄〉!」
駆けつけたガラガさんとメリーさんの魔法がチャーリーさんを援護します。
ベオニアにかけられたのは身に纏った防具や皮膚を鋼の強度に変える魔法。その特性からチャーリーさんのように最初から金属鎧を着ている相手には効果が薄いですけどベオニアには効果覿面、その獣皮がウェンディゴの攻撃を弾き返します。
メリーさんの背後に浮かび上がった門から現れたのは半人半蛇の姿をした異獣〈アンドロマリウス〉。その両腕が大蛇に変じて鎌首を擡げると、メリーさんの影から無数の黒い蛇が飛び出して〈禍獣ウェンディゴ〉の身体に絡みつき、黒い縄となって縛り上げます。
ドサリ。
これでチャーリーさんも攻撃に専念が・・・・ドサリ?
チャーリーさんがベオニアの背から落ちて雪面の上に仰向けに倒れています。柔らかい雪の上だったので怪我は無さそうですけど、頭を抱えて、これじゃまるでさっきまでのテイワさんと同じ・・・・。
『・・・・コロ・・・・ロセ・・・・コロ・・・・セ・・・・』
イラっときますね。何でしょう、さっきから聞こえるこの声は・・・・!?
っと、それどころじゃありません! 勇者様はテイワさんと斬り結んでおり、チャーリーさんは倒れたまま。ベオニアはチャーリーさんを庇って前に出ますけど、指示を得られないためにまごついています。前衛不在のこの状況ではガラガさんもメリーさんも攻撃に移れません。
このままでは〈黒影の鞭縄〉が解けた瞬間に〈禍獣ウェンディゴ〉が後衛の魔法使いたちに襲い掛かってしまいます。
戦線は崩壊していました。
助けに行きたいとは思うものの、目の前の重症患者を放り出す訳にもいきません。侍女さんは〈小治癒〉で内臓の損傷部位を塞いで内出血や消化液漏れを防ぎます。とはいっても失われた部分を再生させるのには魔法を使っても時間がかかりますし、もしも血腫ができた場合は再び生命の危機を迎えることになります。他にも腸が癒合してしまうことで腸閉塞を、傷ついた内臓が腫れることで腹部コンパートメント症候群を引き起こす場合もあります。また、雪が降り続く中に置いておくことで体温が低下しつづけるのも良くありません。このままでは大量出血のショックよりも先にお姫様共々凍死してしまいかねない、だとしたらその前に急いでトドメを刺してしまわないと・・・・じゃないです! 何考えてるんですか、おかしいですよ私!?
『・・・・殺せ・・・・殺せ・・・・殺せ・・・・殺せ・・・・殺せ・・・・殺せ』
あぁもう! さっきから何なんですか!?
誰かが私の脳内に直接話しかけてきているような・・・・。いえ、これは誰かが語り掛けてきている、というよりも誰かから精神攻撃を受けてますか?
そう意識した途端、その声は畳みかけるかのように情報量を一気に増やしてきました。
『暴いて裁いて嘆いて殺せ。抱いて砕いて叩いて殺せ。怒って狂って謀って殺せ。齧って縊って毟って殺せ。恨んで憎んで僻んで殺せ。刻んで荒んで掴んで殺せ。咬み殺せ食み殺せ病み殺せ。愛して犯して壊して殺せ。卸して曝して解して殺せ。殺して殺して殺して殺せ。裂き殺せ突き殺せ焼き殺せ折り殺せ斬り殺せ蹴り殺せ圧し殺せ刺し殺せ乾し殺せ。殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ・・・・』
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!
膨大な情報。それも怨念や憎悪といった負の感情をたっぷりと含んだ情報が脳内に押し込まれ、金の輪で頭蓋を締め付けられるような激しい痛みが私の頭を襲います。
最早、外界を意識する余裕もないですけど、おそらく私もテイワさんやチャーリーさんと同様、頭を抱えてのた打ち回っているのでしょう。となれば、その後は狂乱して味方、もしくは目の前の患者さんに襲い掛かる可能性が高いですね。おそらく、その症状は後衛の〈魔術職〉二人にも伝播し・・・・あぁ、つまり〈体術職〉からかかり始め〈技術職〉が次にかかり最後が〈魔術職〉という訳ですか。
最初は囁きによって集中力が低下し、膨大な負の感情が脳内に流れこむことで頭痛を伴う行動不能、その感情に耐えきれなくなると正気を失い、無差別に周囲の者に襲い掛かる。聞いたことのある症状でした。
カチリ
欠けていた最後の一片が綺麗に嵌った感触。
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!
思い出したっ!
〈禍獣ウェンディゴ〉の名前を聞いてからずっと喉の奥に魚の小骨みたいに引っ掛かっていた違和感、そして今自分の身をもって知った症状。この二つの鍵が重なってようやくその正体に思い至りました。
思い至った以上、果たさなくてはならない責任があります。病名の告知、そして治療です。痛みに耐えるとか余力とか、そんなのは後回しです!
じわりと染み込んでくる殺意と頭蓋を締め付けるような痛みに抗う、その行為を放棄して私は外界に意識を戻しました。
「ウェンディゴ病です! ガラガさん〈厄除け〉を!」
声の限り叫んで、私は意識を手放したのでした。




