1:侍女と姫君
第三章です。
「ユリア姫を安全な所まで・・・・頼み・・・・ます」
荒い呼吸の合間を縫うように、息も絶え絶えになりながらそれだけ伝えると、その女性――姫様のお付きと言うことは侍女さんなのでしょうか――は伝えたことで安堵したのでしょう。再び痛みに苦しみ始めました。
その苦しみ方を見ていると、内臓が傷ついている可能性や腹腔内に異物が残っている可能性も考えられます。早く治療に移りたいけど慌てず騒がず、まずは診察ですね。
「気付かれぬ未来、弱きに耐える心、身体に秘められし数多の謎よ。祈り、願いに応え、我が知り得ざるを見つけて教え給え。〈身体検査〉」
機材も時間もないことですし、呪文を使うことにしました。物質を貫通する視覚と触覚を得る魔法によって傷口の奥、内臓を診ます。まずいですね、位置が良くありません。左下腹部の刺創は腹膜を貫通し、腎臓や結腸を傷つけながら脾臓に達しているようです。けれど、異物が残留していなかった事は不幸中の幸いでした。
侍女さんは黒瞳黒髪ショートカットで身長一三〇センチ弱。体重や年齢については・・・・判断がつきづらいです。
なにしろ、私たち〈蝙蝠人〉もテイワさんのような蟻喰の〈獣耳人〉もメリーさんのような牛の〈獣耳人〉も、同じ〈獣耳人〉という分類に収まります。同じ種族なので〈蝙蝠人〉を診た経験が活かせます。個人差で収まる程度の差しかないのです。
しかし、この侍女さんとお姫様は〈獣耳人〉とは違いました。
彼女たちは〈地鼠人〉でした。
黒目がちな大きめの目。門歯の発達した愛らしい口。髪の毛からは一対の毛に覆われた耳が覗き。肌には柔らかく短い毛が生えており、皮膚は柔らかく弾力に富む。尻尾はありません。手足や胴体の長さのバランスは他の人種とほぼ似通っていますけど身長は低めで、成人でも一二〇から一七〇センチほどになる。齧歯類を祖とする人種です。
小柄な体躯の割に力が強く手先が器用、約束や決まり事に対して律儀で誠実、逆に言えば頑固な性質をしています。高い技術力を駆使して地底に共和制の国を築いています。
私も〈地鼠人〉については習いましたけど、〈治癒術士〉として臨床で扱うのは初めてのケースになります。勇者様も同じく初めて扱う種族でしたけれど、だからこそ〈霊廟〉にいる内に徹底的な検査を行ったのです。
ともあれ。
侍女さんの状態はおおよそ把握しました。急がないといけない状態ではありますけど、もう一人の方、抱えられていた少女も診断しなくてはいけません。
こちらは意識が無いようなので仰向けに寝かせ直します。小鼻がピスピスと動いていることから呼吸は確保できているようですね。少し耳を澄ませば心音が聞こえてきます。呼吸と脈拍が確認できた処で傷の有無を確認します。
身長は侍女さんと同じくらいですから、おそらく一三〇センチ弱。栗皮のような黒味の混じった赤褐色の髪をうなじの辺りで三つ編みに結い、肩甲骨くらいまで伸ばしています。
その身を包んでいるのは厚手の布でできた黒いドレス。リボンやパニエを多用しつつも裾や袖は短く動きやすいように仕立てられた可愛らしい、お姫様と言われても納得の一品なのですけど、その上から木製の鎧を纏っています。胸や腰回り、脛などに湾曲した木の板を並べ、捩じった竹を箍にして留めたその鎧は〈樽鎧〉と呼ばれ、着たまま水に入っても沈まないことと硬さの割に軽いことから〈地鼠人〉の〈技術職〉に好まれる鎧です。群青色に塗装されているのは撥水性のある塗料が使われているのでしょうか?
その樽鎧ドレスには大小の古い傷がついています。使い込まれているようですね。一方で手足に擦過傷や打撲傷は見当たりません。短いながらも生えている柔毛が皮膚を保護してくれているのでしょう。侍女さんが自らの傷を顧みずに守った事もあってか、戦車から投げ出された割には軽傷でした。
再び〈身体検査〉を唱えて頭を打っていないかだけ確認すると、お姫様の首の下に布の塊を置いて気道を確保し、意識が回復してくれることを願います。
二人の容態を確認し終えた私は、ようやく周囲に意識を向ける余裕を得ました。ついつい患者に集中したくなりますけど、今が戦闘中だということを忘れてはいけません。
まず目につくのは、街道沿いの木々を薙ぎ倒して仰向けにひっくり返った〈巨大土竜〉の巨体です。土竜の身体は地下での穴掘りに最適化されており、その代償として彼らの四肢は地上で移動するのには全く向いていません。両肩に背負った円錐螺旋や、腰に繋がれた戦車も邪魔になっているようですね。起き上がろうと弱々しく藻掻いていますが、その動きは緩慢で、余力があんまり残されていないことが伺えます。
〈巨大土竜〉の身体の下からは湯気をたてる鮮血が溢れており、夥しい量で真っ白な雪を鮮紅色に染め上げています。赤と白のコントラストの中に一本の腕が見えます。
〈禍獣ウェンディゴ〉の腕です。不意打ちで〈巨大土竜〉の突撃を受けた禍獣は、その後で転がってきた巨体の下敷きになってしまいました。土竜と違ってこちらは激しく暴れているようですけど、中々自由を取り戻せずにいるようです。願わくばそのまま逃げていってくれると助かるのですけど〈冒険者〉としてはそうもいきません。他の場所で被害がでることのないよう、遭遇した以上は倒してしまうのが最善なのです。
「お嬢さんはその二人に専念したらえぇ。前の方なら、しばらくは儂が見ておくからのぅ」
「はい。ありがとうございます」
声を掛けられて顔を上げると〈角鹿車〉に寄り掛かっていたガラガさんが背後から歩いて来ていました。重態の二人にかかりきっている私を見かねて、前衛の回復を担当してくださるみたいですね。ありがたいです。
「ほれ、腰抜かしておる場合か」
「あ、すみません。って抜けてる訳ではないのです」
ガラガさんはそのまま歩を進めると、尻餅をついていたメリーさんに手を貸して立ち上がらせます。雪の中に落ちていた〈魔術書〉を拾い上げて、丁寧に雪を払います。
ザシッ、ザシッ。と前足で雪を掻く音に目を向けると、〈軍用猪〉のベオニアが鼻息を荒くしています。四本足で安定した姿勢のベオニアは真っ先に立ち直っていました。騎手からの指示一つで即座に〈騎獣突撃〉するつもりなのでしょうか、禍獣の方をじぃーっと睨みつけていますね。〈長剣〉を肩に担いで騎乗しているチャーリーさんもまた、流石に経験を積んだ〈冒険者〉らしく油断なく、されど気負うことなく禍獣の動きに注意しています。
「おーい、大将! どうしたんだ?」
「うぅぅ・・・・ぅぅ」
膝をついていた勇者様も立ち上がってテイワさんに声を掛けています。勇者魔法の集中に使っていた首飾りを首に戻し、腰に吊るしていた〈片手斧〉を手に取りながら前に出て行きます。テイワさんと交代して前線を受け持つつもりのようですね。
そのテイワさんですけど、さっきからずっと様子がおかしいのです。両膝を雪面に突いて両手で頭を抱えたまま蹲っています。
その容態に、何かを思い出しそうになります。気にはなるところですけれど、ガラガさんが請け負ってくださいました。ここはお任せして私は手元に集中するべきなのでしょう。
まずは、一番急を要する侍女さんの腹部の傷からです。
水袋と綿紗を取り出し、湿らせた綿紗で傷口の周囲を清めます。血の汚れがなくなったことで傷口の様子が観察しやすくなりました。
顕わになった傷口はポッカリと口を開いた楕円形。周辺の皮膚組織はミンチ状になりつつも螺旋を描くように引き攣れています。そう、まるでドリルに貫かれたような貫通性外傷です。
〈巨大土竜〉が装備してることからわかるように〈地鼠人〉はドリルを実用化しています。
〈地鼠人〉に伝わる秘伝魔法〈旋回〉は、無機物に軸を中心にした回転運動を強います。これを動力として彼らは様々な機械を運用しており、掘削用のドリルはその中で最も有名なものでした。
刺創は腹圧によって押し出されようとしている結腸によって塞がれていました。使われていたドリルの直径がそこまで大きくなかったのでしょう、結腸が飛び出してくるほど傷口が広くなかったのが幸いしています。ですけど、それは逆に傷ついた内臓から漏れ出す血液や腸液等が腹腔内に溜まり続けることを意味します。
しかし困りましたね。私はドリルによる刺創の治療など手掛けたことがありません。〈治癒術〉を使って強引に処置するしかなさそうです。
感染症、痛みによるショック症状、失血によるショック症状、失血そのもの、そして合併症。それぞれに対応していくべく、順番に呪文を唱えます。
「掌から零れ落ちゆく運命の砂よ。祈り、願いに応え、生命の輪を鎖と成し、永遠へと繋げ給え。〈療治〉!」
〈療治〉は病気をひとつ選択して、その原因となる組織を除去する〈治癒術〉です。今回は感染症の原因となる、腹腔内に溜まった血膿を除去しました。一度の〈療治〉で対処できる病気はひとつのみ。適切に使って施術していかなくてはなりません。終わるまで私の精神力が保っていてくれれば良いのですけど・・・・。
「SUUUUUUUUUUUUU!」
そんな感じに、ふと心に弱気がちらついた時です。狭い隙間を風が吹き抜けるような、怖気を誘う咆哮が響き渡りました。
警戒を続けていた勇者様たちも、その声に反応して戦闘体勢を取ります。
パララララララ。
メリーさんが〈呪文書〉の頁を捲る音が聞こえます。目当ての呪文が書かれた頁で自動的に止まるという話だったので、何の呪文を唱えるのかはもう決まっているのでしょう。彼女は一早く攻撃態勢に入っていたのです。
「おぉ、全知なる〈神霊メイスン〉よ。この者の心に宿る恐怖を祓い給え。〈恐怖除去〉!」
ガラガさんはテイワさんの治療を始めていました。〈紋章魔術〉ばかり使っている印象のある〈賢者〉のガラガさんですが、その本職はあくまでも〈司祭〉。当然ながら〈白魔術〉も使えます。禍獣は混沌の性質を備えているため、相対した者が恐怖を覚えて異常な行動を取る場合があるのです。特に精神耐性が低く敵と近距離で向き合う事の多い〈体術職〉は、その影響を受けやすいのです。そこまで読んでの〈恐怖除去〉なのですね。
しかし、〈白魔術〉によって恐怖を祓われた筈のテイワさんは未だに頭を抱えたまま蹲ったまま。効果が無かったのでしょうか?
そのテイワさんを庇うように、勇者様は左半身を前にした構えを取ります。〈丸盾〉の影に身を隠すように。右手の〈片手斧〉は体力を無駄にしないよう腰の高さに。目線は前に向けて禍獣がどんな動きをしても対応できるよう備えています。
チャーリーさんは元から臨戦態勢でした。機を待つようにゆったりと構えています。
ドゴォッ!
衝撃波を伴う爆音と共に〈巨大土竜〉の巨体が真上に向かって吹き飛びました。宙に浮かぶ土竜の胴体が折れて「くの字」に見えるほどシルエットが曲がっています。
土竜に比べて小さく見える影がその下に見えます。右の拳を天に突き上げた〈禍獣ウェンディゴ〉でした。ひょっとしてパンチ一発であの巨体を浮かばせたのでしょうか?
ザンッ! と音を立てて雪原に着地するや即座に前方への疾走。直前まで〈禍獣ウェンディゴ〉がいた場所に〈巨大土竜〉が振ってきます。落下してきた土竜さんは口から血泡を吐いてピクリとも動かなくなっていました。
前に出てきた禍獣と、それを迎え撃つ構えの勇者様。しかし、待ち構えていたのは勇者様だけではありません。横合いからベオニアの〈猛攻突撃〉が炸裂しました。吹き飛ぶ禍獣の姿を見据え、剣を構えて乗騎に追撃の指示を出すチャーリーさん。
一瞬、呆然となったものの即座に立ち直って意識を切り替える勇者様。その背後から声が掛けられました。
「いかん、後ろじゃ! 避けるんじゃお若いの!」
振り向いた勇者様の背後には、爛々と目を黄色く輝かせて〈戦斧〉を振り被ったテイワさんの姿がありました。




