7:禍獣ウェンディゴ
『異獣とは何か?』
〈冒険者組合〉の特別講座で獣知識の教官をしてくれた女〈呪術師〉の声が脳裏に蘇りました。
『それは、神々の戦いの際に滅ぼされた古代神のうち〈刻獣神〉〈冥獣神〉〈渦獣神〉によって創造された獣の総称だ。
こいつらはそれぞれの創造主によって役割を与えられて生み出された。
〈刻獣〉は世界の法則を定義し、〈冥獣〉は魂の循環を管理し、〈禍獣〉は混沌のエネルギーを扱う、ってな具合だ。
まぁ、古代神が滅びた今となっちゃ律儀にその仕事を続けてるのは一部の〈冥獣〉くらいで、残りは創造主を滅ぼされた恨みを仇の眷属である俺らにぶつけるのが本懐って感じだ。
とは言っても、本来の役割を果たすための権能は未だに持ってるんで、こいつらはそれぞれ別の意味で対策が立てづらい。
〈刻獣〉は狡くて賢い。隙を突かれないように気を付けて戦わなくちゃならねぇ。
〈冥獣〉は硬くて冷静だ。付け入る隙が中々見つからなくても焦るんじゃねぇぞ。
そして〈禍獣〉は訳が分からない。
混沌のエネルギーを操るこいつらには一般的な法則が当て嵌まらない。水を燃やしたり風を掴んで殴りかかってきたり投石器で首を刎ねてきたりする。くれぐれも油断しねぇことだ』
教官、貴女の教えは私の中にしっかり生きています。走馬燈じゃないですよね? ね?
・・・・ガガ・・・・ガ・・・・ガガガガ・・・・
私たちは街道沿いに〈角鹿車〉を停車して〈禍獣ウェンディゴ〉に対峙しています。
何しろ、峠を越えたら次の宿泊予定地である〈コルゴ村〉が見えてくるという立地です。万が一にも禍獣が村に行くような事になれば一大事。逃げ切れず村まで連れて行く可能性のある選択肢は選べませんでした。
「刻むルーンは『Týr 』・・・・」
「我は契約に基づき求め訴える・・・・」
「・・・・むむむっ」
ガラガさんの低く皺枯れた声とメリーさんの柔らかな声、二つの呪文詠唱がハーモニーを奏でる中、勇者様も首飾りを握りしめて魔法に集中しています。
三人は〈角鹿車〉を背に庇うような扇形の配置で、距離をとって禍獣を囲んでいます。
「〈火の緒〉!」
「〈Blixtpil〉!」
「〈精神の刻槍〉!」
メラメラと燃え上がる炎の弾が、バチバチと火花を散らす電気の矢が、そして蒼褪めた光の槍が〈禍獣ウェンディゴ〉の白い毛皮に炸裂し焦げ跡を残します。
「SUUUUUUUUUUUU!」
悲鳴なのでしょうか? 透き間風が吹き抜けるような声を上げ勇者様に向き直ります。顔立ちが顔立ちなので怒ってるのかどうかわかりづらいですが、どうやら〈火の緒〉が痛かったようですね。
「雷も効き目は良いが、特効は火じゃな。会頭さんよ!」
「わかったわ、〈炎の刃〉! さぁ、アタシのこと無視しないでよね!」
同じことを考えたのでしょう、ガラガさんが指示を飛ばし、テイワさんの〈戦舞術〉によって火勢を得た燃え盛る〈大戦斧〉が振り抜かれます。
今回のように初対面の獣との戦いで重要なことの一つが、どんな攻撃が有効なのかを知ることです。「知は力なり」とか「敵を知り己を知らば百戦危うからず」などと言いますが、敵を知ることは重要です。
特に体術職が戦闘中に使える魔法の回数は多くありません。〈炎の刃〉を使った後で実は相手が炎を吸収する体質だった、なんてことになっては勿体なさすぎるのです。
特に、禍獣の場合は見た目や行動から弱点が読み取れない事が多いため、実際に色んな攻撃をぶつけて様子を見るしかないので、今回は〈紋章魔術〉を使えるガラガさんが主導していたのです。
後は相手が何をしてくるのかを把握して対策できれば良いのですが、喰らってみないと効果がわからないような攻撃もあり得るので注意が必要です。
特に喰らった後の対処というのは私の役割ですので、しっかりと禍獣の攻撃を見極めなくてはなりません。
しかし、初対面の相手・・・・なんですよねぇ?
私は〈禍獣ウェンディゴ〉については今見ている以上のことを知らないのです。なのに、何故か名前に聞き覚えがあるような・・・・どこで聞いたんでしたっけ?
・・・ガガガ・・・ガガ・・・ガガッガガ・・・・
いえ、今は悠長に考えている場合ではありませんね。
大きくバックジャンプしてテイワさんの斬撃を避けた〈禍獣ウェンディゴ〉でしたが、仲間たちから離れたその時を好機とするのがチャーリーさんです。
猛スピードで駆けてきた〈軍用猪〉のベオニアが頭から禍獣に激突します。
着地直後で体勢の崩れていた禍獣はこれを避け切れず、脇腹に直撃して三メートルほども吹っ飛ばされました。チャーリーさんが〈長剣〉で追い打ちを入れながら人猪一体となってその脇を駆け抜けます。
〈騎兵〉の大半が乗騎とする〈軍馬〉と違い、〈軍用猪〉は不整地での運用に強いという利点があります。木々の生い茂る密林でも、起伏の激しい山岳でも、ぬかるむ沼地でさえ平然と駆け回り、突撃します。勿論、唐突に雪山となったこの峠道でもその悪路走破性は健在です。
追撃をかけようとする禍獣ですが、そこにテイワさんが追い縋ります。
「アナタのお相手はアタシよ! 〈蛇睨み〉!」
バチン! とウインクを決めますけど禍獣の動きは止まりません。麻痺には耐性があるようです。振り向きざまに振るわれた鈎爪がテイワさんを跳ね飛ばし、雪原に赤い花が咲きます。
「〈小治癒〉!」
しかし予め詠唱していた〈治癒術〉により、即座に怪我は回復します。立て直したテイワさんの燃え盛る〈大戦斧〉が一閃し、禍獣に浅からぬ傷を刻みます。
「〈火の緒〉!」
「〈Pilar av eld〉!」
「〈精神の刻槍〉!」
そこに勇者様たちの魔法攻撃が炸裂します。敵の弱点にあわせて炎の呪文に切り替えたガラガさんは流石と言うしかありません。
有効な攻撃手段がわかったからとはいえ禍獣を相手に充分なダメージを与えられているようです。順調すぎて不安になるくらいですけど・・・・。
ウェンディゴという名前、聞いたのは確か医術の勉強をしていた時で・・・・
ガガガガ! ガガガガガ! ガガッガガガガ!
あぁぁぁぁぁ・・・・もう少しで思い出せそうだったのに!
この音、なんでしょう? さっきから喧しいですね。気が散って困ります。
そう思って地上を見下ろしてみると、他の人たちは気が散る処の話ではありませんでした。
「はぶっ! ひははみまひは~」
「な、なんじゃ!? この揺れは!」
「どうした二人とも?」
詠唱に集中していたメリーさんとガラガさんが不意によろけて体勢を崩しました。
さっきから時々聞こえてきていた騒音が段々大きくなって来ていると思ったら、振動も伴っていたようです。私は飛んでたので気づかなかったんですね。
〈禍獣ウェンディゴ〉とテイワさんも振動の元を探して周囲を見回しています。
自分で地響きを立ててるようなチャーリーさんは別として、勇者様も振動には気づいていないようです。これは二人旅することがあれば注意しておかなくてはなりません。
などと考えている間に振動が強くなってきたようで、流石にチャーリーや勇者様も異変に気付いたようです。とても立っていられないのか〈角鹿車〉に背中を預けるガラガさん、ペタンと尻餅をつくメリーさん。勇者様は片膝を、禍獣は両手を地面について姿勢を保っています。テイワさんに至っては蹲って頭を抱えています。
そして、次の瞬間。
ガガガガガガガガッ!
雪面の一分が大きく盛り上がったかと思うと、そこから先の尖った塊が勢いよく飛び出してきました。
大雑把な外見はおよそ長さ八メートル、直径三メートルの円筒形。天鵞絨のような光沢のある短い毛並み。その中から突き出している鼻先と外側を向いた五本爪の大きな前足。
巨獣〈巨大土竜〉でした。
〈巨大土竜〉 分類カテゴリ:巨獣
〈食虫目〉に属する土竜。
頭胴長は七五〇センチから九九〇センチ、体重は三〇〇から七五〇キログラムになる。
主に地中に生息する。単独で生活し縄張りを形成する。主に昆虫やミミズなどを食べる昆虫食。
目や耳は退化して短毛の中に埋もれてしまっている。穴を掘るのに適した強靭な前足を持ち、地下にトンネルを掘ってその中で生活する。
その〈巨大土竜〉が両肩に回転する円錐――勇者様の世界にあるドリルに似た装備を付け、腰からハーネスで接続された戦車を牽引しています。元々は〈騎兵〉の乗騎だったのでしょう。
それが地面から飛び出した勢いのまま、目の前にいた〈禍獣ウェンディゴ〉に衝突しました。
「まるっきり交通事故だな」
ミキさんの事を思い出したのでしょうか、その様子を見た勇者様が苦い表情で呟きます。
巨獣も禍獣も、諸共に地面に倒れこみます。
勿論、戦車も横倒しになって、乗っていた人たちが私たちの前に投げ出されました。
千切れた手綱を握りしめ、気を失っているようすの少女を抱き抱えていたのは土竜戦車を駆っていた、しかし〈騎兵〉らしからぬ女性。
額には〈鉢金〉。おへそ回りや太腿を露出させた動きを阻害しない作りの〈革鎧〉に可愛らしいフードのついた〈外套〉という軽装備。おそらく私と同じ技術職なのでしょう。ただし、日常の中で出会えばモフりたくなるようなフカフカのお腹はすっかり黒ずんだ緋色に染まっています。
「大変! 大怪我です!」
蒼白とも言える顔色からかなり失血しているのは間違いありません。推測になりますけど、怪我を負ったまま利き手に手綱を取り、反対の腕に少女を抱えていたため止血などができなかったのでしょう。その出血量は危険な領域と思われました。
私は慌てて〈大治癒〉を詠唱しながら近づきます。
なのに、その女性は魔法をかけようとした私の手を掴んでこう言ったのです。
「お願い。姫様を、ユリア姫を安全な所まで・・・・頼み・・・・ます」
こちらも立て込んでるのです・・・・とは、とても言える雰囲気ではありませんでした。