5:茶会
「サワラちゃん疲れたでしょ。ちょっと休憩にしましょ。ポムちゃん、皆に伝えてね」
歴史の授業が一段落ついた頃、テイワさんが小休止を言い渡しました。
外の皆さんに伝えると、メリーさんが見事な手綱捌きで角鹿車を道端に停車させました。
勇者様はテーブルの上に広げていたノートを片付け、ガラガさんは休憩と聞いてさっそく噛み煙草を放り込んだ口をモグモグと動かします。
〈軍用猪〉のベオニアに乗って周辺の警戒をしていたチャーリーを連れ帰った頃には、〈巨大角鹿〉は一足先に周辺の草を食べ始めていました。
テイワさんは角鹿車の居間に付いている竈の前にいました。慣れた手つきで火を付けています。
「往還街道の揺れが少ないからといっても、流石に角鹿車を動かしながら火をつける訳にはいかないのよネェ」
テイワ武装商会が通っている往還街道は聖王国の首都を中心に『8』の字を描く形ですべての公国を通過する王国の大動脈とも言える街道です。
(数字に関しては、この世界の数字と勇者様の世界のローマ数字と言うものがほぼ一致していたそうで、この点に関しては過去の勇者様の努力があったのだろうと思われます)
往還街道の運営は十二公王の一人、バロウス公家の名の下に行われています。そのため、他の街道に比べると道は平らで落下物も少なく、車もあまり揺れずに済んでいるのです。
とは言っても、テイワさんの言葉の通り、動く車の上ではできることに限りがあります。獣や盗賊などの襲撃によって急停車したり転倒する可能性もあるので、迂闊に火を使う――灯り程度なら兎も角、竈に火を入れる――訳にはいきません。
持ち運べる燃料の問題もあります。薪を大量に持ち運ぶと、その分だけ積み荷が積めないので自然と行商人が持ち運べる燃料の量は限られてきます。そういった行商人を目当てに街道沿いの村には、街道に落ちている馬糞や鹿糞を拾って乾燥させ、燃料糞に加工して売るお店もあるそうです。
テイワさんは竈の前で、ミルで挽いた珈琲の粉を砂糖と一緒に銅のお鍋でコトコトと弱火で煮込んでいます。ゆっくりと掻き混ぜながら、煮立ってきたら火から下ろして冷めたらまたコトコト。泡を潰さないよう丁寧に。
「珍しいですよね。こういう食器は」
じーっと見ていたら、メリーさんがくすくすと笑いながら話しかけてきました。
車の揺れは、こういった食器選びにも影響を及ぼすのだそうです。
「ガラス器や陶磁器だと振動で欠けたり罅が入ったり、時には割れてしまいます。なので、行商人は割れない材質の食器を主に使います。主に使われるのは木器と骨角器ですが、やはり長持ちはしません。安価なので頻繁に買い替えることになります。長く使いたいのなら金属器ということになりますけど、これも種類によって高額だったり適正に合わなかったりします。鉄器は錆びやすいので水に触れる用途には使いづらかったり、銅は熱を伝えやすいので薬缶に向いているのとは裏腹に茶杯などには向かなかったり。また、銀食器は貴族の方に人気が高くてあんまり私たちみたいな下々には手が届かないのです。売り物として仕入れることはあるのですけどね」
この隊商の場合ですと、調理器具は、鍋や薬缶などには銅、フライパンや包丁には鉄、といった使い分けがされているようです。食器は木器が大半ですけど、骨角器や金属器もたまに使われます。保存用の容器には樽が最適です。
メリーさんの立て板に水な解説を聞いているうちに出来上がったみたいです。
テイワさんがお鍋を火から下ろして、その中身を人数分並べられたカップに注ぎ入れます。たっぷりと泡立った珈琲が注がれた小さめのカップは、その稀な金属性です。
「エスプレッソカップ・・・・じゃないよな、これは」
「これはネ、砲金。銅に錫を足して頑丈さを増した合金なのヨ」
勇者様がポツリと呟き、テイワさんが応えます。話が噛み合っていないのですけど、エスプレッソカップよりも少し背の高い砲金製のデミタスカップに泡が偏らないように、そして泡を傷つけないよう慎重に注いでいるテイワさんは気づいていないようです。
その間、私とメリーさんでカップを居間のテーブルに運びます。運び終わった辺りでベオニアに間食を食べさせていたチャーリーが入ってきました。
「あー、お腹空いたっス」
角鹿車に揺られながらも交替で休憩を取れる私たちと違って、チャーリーはこういった立ち止まっての休憩時間以外は哨戒任務に当たっています。まだ若いとはいえ、疲れもひとしお。むしろ食べ盛り伸び盛りといった印象すらあります。
「どうぞ、今日のおやつは特別ヨ」
「待ってました! 出発初日はこれが楽しみなんスよねぇ」
テイワさんが取り出した大皿を見てチャーリーが目を輝かせます。いえ、チャーリーだけでなく私もメリーさんも、ですね。
〈風谷郷〉を含むこの地域──〈パーソレイ公国〉は標高の高い高地と切り立った高山、その周りを囲う荒れた冷たい海で構成されています。
産業としては、風の強い台地での風車を使った製粉、放牧される牛や山羊の乳製品、養蜂による蜂蜜、そして冷たい海での近海漁業が代表的です。
テイワさんは〈パーソレイ公国〉の公都である〈キノケファルス〉で武具を売り、上質な小麦粉や乾酪、蜂蜜、冷たい海で獲れた魚で作った保存食などを買い込みました。
特に干鱈や燻製鮭は近隣地方でも人気のある主力商品です。
「ただ、アタシたち蟻喰の〈獣耳人〉は干鱈が苦手なのヨネェ。硬いんですもの」
鍛え上げられた筋肉質な身体の上に乗った、優男と言っても良い細面の顎をさすりながらテイワさんは零します。
そんなテイワさんの故郷〈アンティータ公国〉での人気商品は蜂蜜。そしてそれを材料にしたジャムや蜂蜜酒です。
当然、そういった嗜好はテイワさんにもある訳で、メリーさんと二人、追加の護衛を探したり商談を進めながらも都中の店を巡っては様々な甘味を買い込んでいたのだそうです。
皿の上にはブルートカーケ。スポンジケーキにジャムを塗って生クリームで飾ったお菓子です。それからクリーム入りのクレープ菓子に積み上がったマカロンの塔。クラウドベリーを混ぜて泡立てた生クリームもたっぷりと添えられています。あら、勇者様。少し血の気が引いていますね、大丈夫ですか?
「あぁ、うん。大丈夫。空気が甘いだけだから」
勇者様は甘味が少し苦手・・・・というよりも、強い匂いに弱いようですね。ガラガさんは我関せずとばかりにモグモグしてますが、勧められるのを避けてるようにも見えます。
「商会長が目算を誤って買い込み過ぎた日持ちしない生菓子を一気に消費するのが、大きな街を発つ時の定番なんスよ」
「仕方ないじゃない。どれだけ長く街に居るかなんて、商談の進み方次第なんだもの」
チャーリーが裏話を教えてくれました。それを聞いて拗ねるテイワさん。切り分けたお菓子も配られて、めいめいが席に着きます。
「それに今回は、サワラちゃんとポムちゃんの歓迎会でもあるんだからネ。さぁ、みんな揃ったし、ささやかだけど歓迎のお茶会を始めるわヨ!」
テイワさんの宣言で、お茶会が始まりました。
「わぁ、そうなんです? それは私も一度着てみたいですね」
「えぇ、そうなのです。王都で流行りの服飾デザインは・・・・あら、あれは」
甘~いスイーツを摘まみながらメリーさんとガールズトークをしているとチャーリーさんがカップとケーキ皿を手に勇者様の隣の席へ座りこみました。
キリリと表情を改め、ゆったりと余裕を持った動き。
「どうッスか勇者サン。食べてるッスか?」
「ほどほどにはな。あんまり勇者勇者言われるの好きじゃないから鰆で良いぞ」
「わかったッス。じゃあオイラもチャーリーで良いッスよ。サワラの方が年上っスからね」
「了解だチャーリー。よろしくお願いするぞ」
「こちらこそ、わからない事や困った事があったらオイラに相談すると良いッスよ」
男の子二人はあっという間に仲良くなったみたいです。けど、チャーリーさんのあの表情は一体? と思っていたらメリーさんがクスクス笑いながら説明してくれました。
「あれは、先輩風を吹かせに行きましたね」
「先輩風、ですか?」
「お二人は、チャールストンさんがこの隊商に入った後、初めてできた後輩ですから」
そう言って二人を見るメリーさんの目は、弟を見守る姉のようです。
「オイラはこう見えてもこの歳で聖王国内を一周した経験もあるベテラン冒険者っス。何でも聞いて欲しいっス」
視線を戻すと、チャーリーさんがふんぞり返っていました。
不安定な椅子に腰かけたままあんなに反り返って落ちないのかと心配になりますけど、そこは流石に〈騎兵〉。見事なバランス感覚で姿勢を保っています。
「それは凄いな。じゃあ、幹って人を探してるんだけど」
「ほうほう。サワラの旅の目的は人探しと。どんな人ナンスか? これっスか? ポムちゃんもいるってのに隅に置けないッスね」
チャーリーさん、いきなり小指を立てて何言いだしてるんですか!?
「なんでそんな話になる!? 探してるのは、俺に代わってトラックに撥ねられた幼馴染だぞ。俺と同じ種族で、身長は・・・・」
チャーリーさんの小指を掴んで捩じりながら勇者様はミキさんについて説明を始めます。
あれ?
トラックに撥ねられて転移ってことは、ひょっとして・・・・。
私は慌てて荷物の中から本を取り出します。ミキさんから借りたままだという、勇者様が元の世界から持ち込んできたライトノベル。その複写本です。
記憶を頼りにパラパラとページをめくり、辿り着くとやっぱり思った通り。
「勇者様、勇者様」
「髪は黒くて長さはこのくら・・・・お? どうしたポム」
身振り手振りも交えて説明している所にお邪魔して申し訳ないのですけど、割り込まざるを得ません。
「はい。ミキさんですけど、トラックに撥ねられて異世界に移動する場合、転移ではなく転生になることが多いようなのです。つまり、その、ミキさんのお姿は勇者様の知ってる姿と違っている可能性が高いかと・・・・」
最初にこの本を読んだときに思いつくべきでした。もう、私の莫迦!
「あー、そうか。じゃあ、見た目で探すのは難しいのかい?」
「そうなると思います」
「どうしたもんかな・・・・」
勇者様は腕を組んで考え込んでしまいました。
私も妙案が浮かばず、二人してうーんうーんと頭を抱えます。
「そんなの簡単っスよ」
すると、口寂しくなっていたのか、チャーリーさんがマカロンを放り込んだ口を挟みます。
「チャーリーにはアイデアあるの?」
「是非、お聞かせ下さい」
「ふっふーん、良いっスよ」
後輩に頼られる喜びが隠せないのでしょう。チャーリーさんは良い笑顔を浮かべます。
「探し人の外見が変わって見付けにくいのなら、向こうからこっちを見つけて貰えば良いんス!」
チャーリーさんが浮かべた渾身のキメ顔は、お菓子の欠片とクリームに塗れた、非常に諄いものでした。




