3:初勝利
「刻むルーンは『Kaun』・・・・Låganbliren pil och springer på himlen.」
「我は契約に基づき求め訴えん。汝、星界の公爵、光の槍を投げ放ち、眼前の敵を貫かんことを・・・・」
響き渡る呪文の詠唱が私の注意を現実に引き戻します。
〈鉄絲猴〉の群れに吶喊した〈軍用猪〉は足を止めずに駆け抜けます。その背に跨る〈騎兵〉は丸顔の少年、チャーリーさん。〈長剣〉を振り回し、進路上にいた〈鉄絲猴〉を切り払っていました。
得意の包囲陣形を崩されて慌てふためく〈鉄絲猴〉を尻目に、斬り込んでいた勇者様は一度距離を離し始めました。流石にこの数を捌き切れなかったのか、幾つかの引っ掻き傷を貰っているようなので、私も呪文を詠唱し始めます。
「広大なる空よ、温かき大地よ。静謐の樹々、煌めく水、優しき草たちよ。祈り、願いに応え、その生命を僅かずつ分け給え・・・・」
私が扱う〈治癒術〉は医術と並ぶ〈治癒術士〉の特殊技術です。それは自然界に満ちる生命力を借り受けて生き物を癒やす魔法。
〈治癒術〉や〈魔法職〉の呪文には詠唱と集中が欠かせないため、使う時には無防備になるという問題があります。私の場合は、敵に飛び道具がなく空中に陣取れているから安心して使えているのですが、地上で詠唱中の〈魔法職〉二人、〈霊術師〉のメリーさんと〈司祭〉のガラガさんはやはり〈鉄絲猴〉に目をつけられてしまったみたいです。
陣形を崩された群れの中から若い個体が二体、抜け駆けを狙ったのか二人に向かって飛び出してきました。けれど・・・・
「そうは問屋が卸さないのよ・・・〈蛇睨み〉!」
バチンッ! と音が聞こえるような勢いの良いウインク。まるで蛙が蛇に睨まれたかのように脂汗を垂らしながら動きを止める〈鉄絲猴〉達をテイワさんの大戦斧が斬り裂いていきます。
そして、その隙にガラガさんの呪文が先に完成しました。
「〈Pilar av eld〉!」
掲げた短杖が中空に描いた原初の紋章。世界の理を探求する〈魔術師〉が目指す真理に、〈司祭〉でありながら悟りによって辿り着いた〈賢者〉の為せる〈紋章魔術〉です。
松明を意味する紋章からは人の頭ほどの火球が二つ生み出されました。渦を巻いて燃え上がる炎は、輝く短杖の動きに合わせて〈鉄絲猴〉の群れに飛んでゆきます。
一拍遅れてメリーさんも詠唱を終えます。
彼女が胸の前に構えた固い装丁の本の開かれた頁、そこに記された文字が紙面を離れて空中に門を描きました。門の中から現れたのは血染めの旗を背負い黒馬に跨った赤い甲冑の騎士、刻獣神が生み出した異獣〈エリゴール〉。
騎士が右手を掲げると、文字で作られた鎖は契約者であるメリーさんを縛り付け、彼女の精神力を吸い上げて青黒く輝く三本の光の槍を生成しました。代償を捧げたメリーさんの顔色が一気に青褪めていきます。
「〈意志の刻槍〉!」
燃え盛る矢の後を追って、青褪めた光の槍が〈鉄絲猴〉を貫き、合わせて五体が重症を負いました。〈鉄絲猴〉の毛皮は斬撃には強いものの、魔法までは防いでくれません。そして、とりわけ炎には弱いのです。
「〈小治癒〉」
続いて魔法を完成させた私も勇者様に向けて手の中に集まった自然界の生命力を送り出します。この魔法は相手に触れることなく傷を治せるだけでなく、名前に反して他職の扱える回復魔法より効果も大きいのです。減衰することなく届けられた生命力は、勇者様の身体にできた大小様々な引っ掻き傷を拭い去っていきます。後で破傷風の対策はしておくべきですけど。
これで戦況は随分と良くなりました。冷静に周囲を観察しながら私も自分の仕事に集中します。なによりも問題なのは・・・・
「勇者様、白兵戦はストップです! テイワさんとスイッチして下がって下さい。魔法での援護をお願いします」
「ヒーラーストップですってよ、サワラちゃん。交替するわ、〈炎の刃〉っ!」
斧の刃に火炎属性を付与して駆け出すテイワさんの肌に汗が滲んでいます。武器を振るっての戦いで酷使された筋肉が冷却を求めて身体に汗をかかせているのです。しかし後退する勇者様は汗一つかかず涼しい顔です。彼の身体は筋肉の悲鳴を無視できます。無視できてしまいます。無視した果てに熱暴走を起こしかねないのが今代の勇者様なのです。
「サワラはとっとと下がってろ! 行くぜベオニア、〈猛攻突撃〉だっ!」
勇者様を追って飛び出してきた〈鉄絲猴〉に、〈軍用猪〉のベオニアを反転させて戻ってきたチャーリーが速度と重量を乗せた剣の一撃を叩き込みます。一陣の暴風が通り抜けるような勢いに、猛獣たちも追撃の足を止めざるを得ません。
幸い、魔法攻撃の斜線を開けるために後退していた勇者様はスムーズにテイワさんと交替できました。ここまで後衛の防御に徹していたテイワさんには、まだまだ余力が残っています。
その隙に下がってきた勇者様は片手斧をベルトに吊るし、左手で握りしめた首飾りに意識を集中します。養成校で教わった成果が今発揮されるのです。
勇者魔法の発動には、集中して脳裏に魔法のイメージを思い浮かべます。慣れるまではここが難しいのだそうですけど、首飾りの宝珠がその補助をしてくれます。勇者様がイメージを固めるまで十秒に満たなかったでしょうか。
親指と人差指を直角になるように立て、残りの指を握り込んだ形で構えた勇者様は、はっきりと一声呟きます。
「〈火の穂〉!」
構えていた勇者様の人差し指の先端に拳大の炎が灯り、指差されていた〈鉄絲猴〉目掛けて一直線に飛んでいきました。また一体が炎に包まれて倒れます。残り半数になった所で反転してきたチャーリーの〈軍用猪〉が再び蹴散らして行きます。
魔法の代償でとうとう喀血し始めたメリーさんを癒やすため、私も地上に降りることにしました。
「〈治癒魔法〉」
触れた相手の怪我を僅かに治すこの魔法は〈僧侶〉や〈霊術師〉も扱えるため、これまではガラガさんとメリーさんが分担して回復していたそうですが、専門家がいる今はお二人とも攻撃に専念できます。
勇者様を含めた三人の攻撃魔法が降り注ぐ中、流石にこちらを危険と思ったのでしょう、テイワさんを振り切って掛けてくる一匹の〈鉄絲猴〉。
その先にいるのは、呪文を詠唱している途中の四人。武装を放棄した老〈賢者〉に、接近戦の苦手な〈治癒術士〉、本を開いた〈霊術師〉。そして・・・・
迎撃しようと勇者様の手が片手斧に伸びるのを視界に捉えました。けど、炎の魔法を連発していることもあって、勇者様の体温はまだ下がりきっていません。
状況を忘れた私は、咄嗟に勇者様を止めようとしました。
「勇者様、ダメですっ!」
バコンッ!
私が静止の声を上げるのと、打撃音が上がったのは、ほとんど同時でした。
呪文の詠唱を中断したメリーさんが、咄嗟に閉じた分厚い本を振り被って、飛び掛かってきた〈鉄絲猴〉をはたき落としたのです。
飛び掛かった勢いごと頭に強烈な一撃を受けたお猿さんは、そのまま伸びてしまいました。
「『聖なる魔術の書』の威力、思い知りましたか?」
バインと胸を揺らして気勢を上げるメリーさん。私と勇者様は手を止めて見入ってしまいました。そう言えばその魔導書、神聖武器でしたね・・・・。
それからしばらくして、大幅に数を減らした〈鉄絲猴〉は怪我した仲間を庇いながら撤退して行ったのでした。




