0:勇者は如何にして異世界に転移したのか
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俺こと火室 幹が死んだのは、高校へと登校する途上の出来事だった。
「お前、ほんっと朝早いのな!」
早朝の通学路、普段なら絶っっっっ対に起きない時間帯だと言うのに、俺は制服を着て今春から通っている高校への道を歩いている。
最初は眠気を堪えながら不満を抱えていたんだけど、時折、新聞配達のスクーターと擦れ違う程度で、人も車も少ない通学路にテンションも上がり、今ではそう悪くもないか、という気分だ。
「朝が遅いのに慣れると、村に帰った時に困るからな」
一緒に歩くのは、母方の遠縁に当たる同い年の親戚だ。
名前は卯月 鰆。こいつの父親と俺の母親が再従兄妹になるという微妙な遠縁で、子供の頃には里帰りの時に顔を合わせて一緒に遊んでいたって程度の幼馴染。
そいつが、母親の実家がある稲狩野村から村外の高校に通うことになった事で、俺ん家に下宿するようになったんだが、同い年って事もあってあっさりと意気投合。子供の頃みたく一緒につるむようになった訳だ。
「そんな早起きして、何かやることあんのか?」
「基本、水汲みと薪割りの後で村一周軽くジョギングしてから後は素振りくらいか」
そりゃ筋力も体力も付くだろうよ!
卯月の家は、田舎の村の長く続いた旧家だけあって、妙な体質の奴や変な性格の奴には事欠かない。こいつの場合は体質も性格も飛び抜けてるんだけどな。
〈先天性無痛症〉。全身の温感や痛覚が消失するという体質。
怪我をしても発熱しても自分では気付けないため、とてもじゃないが一人暮らしなどさせられないということで、ウチに下宿することになった。
重症化すると汗もかかなくなるそうだから、そこまで行ってないのは幸いだったと思う。
「そ・れ・で! 朝っぱらから俺を叩き起こして、こんな時間に登校かよ」
「薪割りとかしなくて良い分、時間が空いてしまってな」
まったく悪びれずにこやかに笑う好青年、に見えてこいつかなりの脳筋だと思う。
筋肉痛の苦しみを知らないこいつは嬉々として身体を酷使するため、どんどんと筋肉が鍛えられていく。線が細くて肉のつきにくい俺としては、そこだけは羨ましく思う。
「その分、可愛い服が似合うじゃないか。良かったな」
「んな趣味ねぇよ! 暇なら本でも読んでれば良いだろ! 時間潰すの下手か!」
「む・・・・。趣味が少なくて悪かったな」
まぁ、あの村で携帯ゲームだのアプリだのといった趣味が芽生えないのは分かんだけど、漫画や小説で時間を潰すくらいはできたんじゃないか。
「よく判らん。何かお薦めはあるか?」
「じゃあスタンダードにファンタジー系のライトノベルかなぁ。異世界転移とか魔物転生とかあるぞ」
「転移か・・・・なら、それを借りよう」
卯月の家には奇妙な仕来りや伝承が残っており、その中でもかなり重きを置かれているのが「卯月の男は神隠しに会うので村の外で暮らすべからず」という割と理不尽でトンデモな仕来りだ。
鰆が今の高校を受験する際にも村内では色々とあったらしい。こういう受け答えをするって事は、こいつもナーバスになってるのかも知れないな。
「じゃあ、ちょうど一冊持ってるから。ホイ」
車が少ないとはいえ、歩きながら鞄を開けて中の本を取り出して受け渡す、なんていう真似をしてた俺たちは、周りに対する注意が足りなかったんだろうな。
気がついた時には、目の前に装飾過多な運搬車両の巨大な姿が迫ってきていた。
朝靄に烟る、早朝のため閑散とした住宅街。その中を通る国道を爆走してくるデコトラ。
明らかに信号も法定速度も無視してるのは、運転手が寝落ちてるのか深酒してるのか。俺達の立場からすれば、どちらでも変わらないが。
せめてブレーキでも踏んでくれれば、もう少し早くに気付けただろうに。
鰆の奴は、さっぱり体勢が整っていない。
「鰆っ!」
俺はと言えば周りの状況が、急にスローモーションで動いているように見えてて、仕方ないな、と思いながらも両手で鰆を突き飛ばす。
筋力が足りるか心配ではあったけど、火事場のクソ力とか死ぬ気の炎とか、その類のモノが俺にもあったんだろうかね。なんとか、トラックの進路から弾き飛ばすことに成功した。
思った以上に力が篭もってたようで、ちょっと勢い付けすぎてたかもしれない。
これは転んでどこか擦りむくかもしれないな。ちゃんと手当てを受けてくれれば良いけど、なんて思いながら、最期に優しい笑みでも浮かべてやろうと思った。
「幹っ!」
今頃になって事態に気づいたのか鰆が叫ぶ。
そして、俺とまったく同時に驚愕の表情を浮かべることになった。
俺に突き飛ばされた鰆が飛んでいく先の空間。
そこに、青緑色に輝く魔法陣が浮かび上がっていた。
俺の身を案じてだろう、手を差し伸べようとする鰆の身体は魔法陣の輝きに呑まれ。
クシャリ。
思ったよりも軽い音と、思ったよりも重い衝撃が響き、鰆の姿がこの世界から完全に失われるのと同時に、俺の意識は暗闇に閉ざされた。
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暗転した映像、それを移していた画面をコンソールの操作によって消去します。
「以上が、勇者様に付随していた思念の残滓から読み取れた情報です」
私は女王ケーナへ向き直って報告しました。
「これで大凡の事情は判った、が。面倒そうな事態じゃのぅ・・・・」
転生トラックと召喚の魔法陣、召喚の背景について考えているのか難しそうな表情を浮かべていた女王ケーナは、ついと顔を上げ。
「大儀じゃったな。其の方は引き続き勇者殿を診て居るが良い」
「はい。それでは勇者様の寝室に行ってきますね。失礼します!」
良かった。このまま放置されたらどうしようかと思ってました。
私は退出すると、無機質な神殿の廊下を静かに歩きながら、今は未だ眠りから覚めない彼の、知ったばかりの名をそっと呟きます。
「ウヅキ・サワラ・・・・勇者様」
なぜかわかりませんが、胸の奥が暖かくなりました。
そうして、私は勇者様の部屋へと足を向けるのでした。