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水源京  作者: 猫山英風
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第07話


 「さてと、今日はどこに行こうかな。」


 僕は水草の布団から這い出て、眼下の街並みを眺める。

 水源京に来て4日目。僕はすっかりキャンプに来た気分で日々を過ごしていた。ここは見るもの触れるもの聞くものすべてが新鮮で、飽きることがない。目を覚ませば部屋の中を魚が泳ぎ、一歩外に出れば見たこともない生き物がたくさんいる。

 翡翠は「塔から出るな」とはいったけれど、僕はそれだけでも十分すぎるくらいに楽しんでいた。この塔が、とんでもなく大きかったんだ。五重塔とは言っても、見た目とは違って中は迷路のように入り組んでいる。この『水源京』という異界の中に、もう一つ別の異界が存在していると言っていいだろう。部屋を開ければまた部屋が、壁だと思ったらどんでん返し、気が付いたら同じ通路を何度も回っていたりと、もう迷宮だ。だからこそ、僕は飽きることがなかった。探検から3日たった今も、まだ2つ下の階層にしかたどり着けていないのだから。

 ただ、確かに探検も楽しいけれど、僕にはこの塔よりももっと気になっていることが1つあった。

 そう、翡翠だ。

 翡翠はじいちゃんが心配だという僕の気持ちを汲んでくれて、ハクと千恵の下に“使い”を出してくれた。そしてその“使い”である『水の妖精』から、じいちゃんが無事病院で元気に過ごしていることを知った。もちろん僕は彼女に感謝の気持ちを伝えたし、こうしてここで療養してもらえているのはありがたい。

 けれど、やっぱり彼女は何故か僕を避けている。この塔で僕と出会っても目も合わさずにどこかに行っちゃうし、名前を呼んでも返事がない。


「でも、お話をしたいんだよな~」


 僕はハクや千恵以外で、会話のできる神霊に出会ったのは初めてだ。だから僕は、彼女と友達になりたいと思った。僕の知らない世界に住んでいる彼女は、きっと僕の知らないことをたくさん知っている。彼女と友達になれたなら、どんなに楽しい人生を送れるだろうか。僕はいろんな話を聞いて見たかった。千恵やハクが語ってくれる、人間では到底体験できない昔話は面白い。だったら彼女の話だって、絶対面白いに決まっている。是非聞いてみたい。

 僕はハクや千恵、雨音(あまね)と友達になれたように、きっと彼女とも友達になれる。そう思った。けれど、彼女はどうしてか僕を避けている。それが僕には、すこし寂しかった。

 もしかすると、昔、じいちゃんと何かあったのかもしれない。彼女は度々じいちゃんのことを「銀灰」と言おうとして、「祖父」と言い直している。それに、じいちゃんはあまり術者としての自分の話をしなかったから、何かあったとしても不思議じゃない。実際修業はほとんど千恵任せだったし、じいちゃんが教えてくれたのは術者としての有り方くらいで、自分のことはこれっぽっちも話さなかった。


「そういえば、使いを出したってことは、ハクも千恵も、翡翠のこと知っているんだよな……」


 僕はため息をこぼす。翡翠はハクと千恵と面識があると言っていた。だから、ハクと千恵だってここに翡翠がいることを知っていたはずだ。だったら、紹介してくれたってよさそうなのに。


「もー、じいちゃんもハクも千恵も、どうして何も話してくれないのかな~。もっと早くにお友達になれたら、今頃打ち解けられていたかもしれないのに~」


 僕はぼやきながら、次の扉を開ける。もう3階層目も大分探検した。そろそろ下に降りる通路を見つけてもよさそうな気がする。翡翠はどうやら一番下の階層で過ごしているらしく、僕は彼女の部屋を探していた。……いや、ちょっとストーカーぽい気がして気が引けるけれど、彼女以外に話し相手がいないし、万が一なにかあった時に彼女の元に行けないのは心細い。


「さてと、次はどんな部屋――って、うおおお!?」


 僕は踏み出した足を慌てて戻した。他の部屋とは雰囲気が全く違う。太陽の光が一切入り込んでいない、真の闇が広がる巨大な空間が、そこにはあった。


「これって、空洞?」


僕はしゃがんで足元の真っ暗な床に手を当てる。しかしそこに手ごたえはなく、僕の手はそのまま床より下へと抜けていく。


「あっぶな!落ちるところだった……」


 僕は下を覗き込んだ。あるのは闇。底なんて全く見えない。どうやらとんでもなく深いようだ。


「うーん、でもこれ、水で満たされているなら、泳いで下に行けるかなぁ。でも暗くて何があるか分からないし、やめておいた方がいいかもしれないな。」


 僕がもう少し中がどうなっているか確認しようと身を乗り出した、その瞬間だった。


ゴポッ


風呂場の栓が抜けて水が流れ出た時の、あの小さな音が、耳に届いた。そしてそれに続く髪をなでる小さな水圧を感じて、僕は何が起きようとしているのかを悟った。


「あ――」


 そのときには、もう遅かった。

僕が扉に手を伸ばすよりも早く、その「流れ」は起きた。全身に降りかかる水圧は、瞬く間に僕を闇の中に引きずり込んだ。その激流は強く、泳ぐどころか手足を動かす余裕すらない。

 僕は消えていく太陽の光を見ながら思った。


 まずい。どうしてこうなったかはよくわからないけれど、この状況はまずい!どんどん体にかかる水が重くなっていく!このままじゃ、押しつぶされる!

どうすれば――!


 扉からの光が点になるころ、それは突如起こった。流れが急におさまり、暗闇の中で僕は不思議な浮遊感に襲われた。


「た、助かった――?」


が。それは違った。そう思った瞬間、今度は地響きのような轟音が、背後の暗闇から聞こえてきた。


「あー、なんかすごく嫌な予感がする!」


 その予感は見事に的中した。水が、強烈なタックルを僕にかましてくる。逆流する水は僕を押し戻し、見る見るうちに扉の光が近づいてくる。

 そして、僕は叫び声をあげる間もなく、塔の外へと放りだされた。


「ええ!ちょ、ま、嘘だろ!?」


 僕は自分の見ている光景に慌てた。

水の速さが尋常じゃない。次々と変わる景色。何百という家の屋根の上を飛び、中心の塔はどんどん点になっていく。まるで新幹線に乗っているみたいだ。


「おいおいおい!どこまでいくんだ!?このままじゃ――!」


 僕は自分の進む方向を見てギョッとした。

岩だ。

塔からでは全く見ることが出来なかった、水源京の()()を僕は見た。そこには崖のようにそびえたつ岩の壁があった。しかも、それは1つだけじゃない。焦げ茶色の岩は、一つ一つが山ほどもある巨大なもの。それが幾重にも積み重なって、巨人のようにそびえたっている。


「こ、このまま突っ込んだらぺしゃんこだ!」


 僕は必死で流れに逆らって泳ぎ始める。最初の時ほど体の自由が利かない訳じゃない。けれど、どう考えてもそれは赤ん坊のよちよち歩きよりも動けていない。


 もうあの五重塔どころか、街並みすら見えない!

見る見るうちにごつごつした岩が近づいてくる。

ああ、岩に生えた藻まで視認できるようになってきた!

これは、もう――


――終わった。





「おい。しっかりしろ。いい加減に目を覚ませ。」


 僕は体を揺さぶるその振動で目が覚めた。


「ん――?」

「……やっと気が付いたのか。」

「翡翠――って、え?翡翠!?」


 僕は驚いて周りを見渡す。眼前に巨大な岩の壁がそびえ立っている。その壁の中腹辺りで、僕は翡翠に抱えられていた。


「――助けて、くれたの?」

「……千恵達にあずかっていると言った手前、お前を死なせる訳にはいかないからな。」

「そう、なんだ。ありがとう。」

「……塔に戻るぞ。」


 彼女はそれだけ言って、僕を抱きかかえたまま泳ぎ出す。彼女の泳ぎは小川のように穏やかで、羽毛のように柔らかかった。明らかに僕に合わせて速度を調節している。


「ごめんね、迷惑かけちゃったみたいで。」

「……いや、久しぶりの“開門”だったからな。私も忠告することを忘れていた。……だから、お前のせいではない。」

「“開門”?」


僕の問いに、彼女は僕の顔を一瞥する。


「……ここは水源京。その名前の通り、“水源”がある都だ。あの塔は、その水源を祀ったものだ。塔の最下層に水が湧き出る水源があり、そこは普段門で固く閉ざされている。水が湧き出るとその門が開き、この水源京全体に、そしてこの世界の外に水が流れ出ていく。私はこれを“開門”と呼んでいる。」

「へぇ。」


 僕はこの時、少し変だな、と思った。ここは水源京。泉沸き立つ神秘の都だ。なのに、彼女は「久しぶりの“開門”だった」と言っている。水が湧き出る都なのだから、常に湧き出ているのかと思っていたのに、違うのだろうか?

 僕の疑問をよそに、翡翠は話をつづけた。


「もう知っているとは思うが、塔の中心には巨大な空洞がある。あの空洞は水源と直結していてな。あの空洞を通して塔全体に水がめぐり、“開門”と同時に塔の窓や扉が全て開け放たれる仕組みになっている。お前がこの世界の端まで飛ばされたのは、この“開門”のせいだ。」

「そうだったんだ。」

「“開門”してもあの流れに飲み込まれない部屋は、お前のいる最上階と私の最下層の部屋だけだ。お前が塔の中をうろうろしているのは知っていたが、こうなるとは思わなかった。……許せ。」


 予想外の言葉に、僕は慌てて首を振る。


「いや、翡翠が謝ることはないよ。だって僕、翡翠に探検していいかって聞いたわけじゃなかったし、それに――」

「なんだ。」

「いや、()()()()()()()()()()()()()()()()……」

「お前――」


 翡翠の歩みが止まる。彼女の藍色の瞳が、僕に憐れみを向けている。


「――翡翠?」

「いや。なんでもない。ただ――」


彼女は水源京の中心に向かって、再び魚のように泳ぎ始めた。


「――ただ、確かに()()()()()()()()()()()()()()なのだな、と思っていただけだ。」

「?」


 彼女はそれ以上、塔につくまで何も話さなかった。けれど、その顔は今にも泣き出してしまいそうなほどに、悲痛に染まっていた。





「ねえ、翡翠。」


 塔の最上階にたどり着いた僕は――翡翠に抱かれていたのだけれど――、彼女に1つお願いごとをしてみることにした。


「なんだ。」

「いやさ、今日の出来事があったから、やっぱり翡翠とたくさん話をしたいよ。」

「――それは……」


 狼狽する彼女に、僕は詰め寄る。もしこの“言い訳”を逃してしまったら、彼女と話をする機会がなくなってしまう。もちろん友達になりたいからというのが一番の理由だったけれど、それとは別に、このチャンスを逃すことは、何故だかとても「悪いこと」のように思えてならなかった。

 なぜ彼女は、あんな顔をしているのか――

その疑問が、奇妙な不安となって僕をさらに急き立てたのだ。


「ええと、だってほら、もしかすると“開門”以外に僕の知らない危険なことがあるかもしれないでしょ?」

「確かに、ないとは言い切れないが……」

「じゃあさ、それを僕に教えてよ。そうしたらさ、翡翠に迷惑をかけないようにすることもできるだろうし、逆にもし翡翠が危険な目にあっても、僕が助けに行けるかもしれないでしょ?」

「――」


 彼女は一瞬、硬直した。そして俯き、僕には聞こえない小さな声でつぶやいた。


「――どうして、こうも――」

「翡翠?」


彼女は額に手を当てて大きなため息をつくと、観念したように小さく苦笑する。その笑みはやっぱりどこか悲しそうで、彼女の顔に影を落としていた。

 それでも、彼女の放った言葉は、僕にとっては大きな一歩だった。


「分かった。それくらいであれば、教えよう。」

「やった!」

「?なんだ、どうかしたのか?」


 僕は慌てて口を両手でふさぐ。


「ああ、いや、その、――なんでもないよ!」


翡翠は首を傾げていたが、僕は恥ずかしさで真っ赤になっていた。思わず本音が出てしまった。本人を前にして、友達になりたい!と言うのは、別に言えないことではないのだけれど、今は少し、気恥ずかしい。


「ええと、コホン。じゃあ、翡翠、これからもよろしくね。」


 僕は彼女に右手を出した。今はあの時とは違う。泡の壁もなく、彼女との距離も、本当に少しだけれど、縮まったのだと思う。だから、僕は期待していた。あの時、彼女は握手をしてはくれなかったけれど、今回はしてくれるのではないかと。

 そして、彼女は静かに右手を差し出してくれた。その白く透き通るような細い腕を、やや迷いながら僕に差し出し、手を握ってくれようとしてくれた。



 そう、してくれたのだけど……



「おおーい!(みどり)ー!迎えにきたぞー!」

「ハク!――って、え?ちょちょちょ、ちょっと待って待って!」


ハクが流れ星のようなスピードで僕に体当たりしてきたせいで、僕は、その手を握ることができなかった。


読んでいただき、ありがとうございます!!

お話の流れ、としては次回でちょうど折り返しです。話数的にはまだですが……


翡翠はやはり何かを抱えているようですが、それは一体何なのか。


次回第08話では、それを紐解くための彼女の置かれている状況が明かされます。

お楽しみに~

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