第31話
渦が舞う。
それはそう言った方が適切なものだった。僕の前に現れたのは、荒れ狂う水の流れ。大小さまざまな渦が、水の流れが、折り重なるように視界を覆う。
「どうだ、見えるか!?」
隣にいるハクの声が遠くから聞こえるほどに、その流れは力強かった。
水を外に出してしまえば、水源京は消えてしまう。だから翡翠に渦をつくってほしいと頼んだけれど、それは濁流の川よりも強い、世界をひっかきまわすほどのものだった。
だから僕は、翡翠のでも、水のでもない精を、すぐに見分けることができた。
「見つけた――!」
僕は濁流に手をかざす。
「おい、碧!?」
「流れを弱めないで!!」
手がもげそうになるくらい激しい流れ。それでも、触れていなければ対話できない。
僕は流れに両手を突っ込み、その痛みを忘れるくらい強く念じた。
「頼む、流水の神よ。
応えてくれ――!!」
“何者か”
数秒たった後、その声が僕の耳にだけ聞こえた。
「!」
「な、なんだ、答えたのか!?神が!?」
「ハク、黙ってて!!」
僕は意識を集中させ、その海の中に潜った時に聞こえる、あの低い地鳴りのような声に向かって言った。
『お初にお目にかかります。僕の名は紺碧。突然のご無礼をお許しください。』
“よい。許す。
全ての命は水があってこそこの世に生を受ける。ならば、その水を運ぶ余はうぬらの父にして母。
子が親に言を発することに、なんら不思議があろう。”
姿の見えない神はその地の底から響くような声をもっていた。
その声の重みは海のように深く、空のように広い
それが僕の心臓に直接語り掛け、のしかかってくる。
僕は声に潰されまいと、声を張り上げ、流水の神『スイ』に申し立てた。
『流水の神、スイよ!僕はあなたに、お願いがあるのです!』
“願い?”
『はい。この水源京はじきに消える。だからその前に――』
『別の水源京を作ることを、許していただきたい!』
◇
「僕は翡翠を救いたい。それは、ただ生きながら得らせる、という訳じゃない。人として生きていけるようにしたいんだ。」
「だがそれには……」
視線を落とすハクに、僕は言う。
「うん。どう頑張っても、この水源は無くなることは間違いない。ハクが言ったように、水源をここに復活させようとすると水源京をつくった『流水の神』だけじゃなく、他にも多くの神や自然に影響が出る。」
「ならば、どうすると言うのだ?」
少し不安げに尋ねた翡翠に、僕は言った。
「――引っ越すしか、ない。」
◇
“ならぬ”
ぴしゃりと、スイは言い切った。
『――なぜです?』
“他の水源京には既に主がいる。主を挿げ替えることはできぬ。水源京はその主を柱として構築される精の異世界。その主なくしてその異界は成り立たぬ。”
――やっぱり、だめか。
予想はできていた。水源京には翡翠の精が染みだしていたからもしやと思ったけれど、異界が主そのものになっているんだ。そうなると、既にできている水源京に翡翠を主として招くのは無理がある。
だから、その水源京に翡翠を住まわせても無理だ。
この水源京そのものが翡翠と同化している以上、この水源京が無くなってしまえば、それは翡翠の精が消えてしまうのと一緒だ。たとえ別の水源京に翡翠が映っても、翡翠は助からない。どうしても、彼女を『主』にする水源京が必要だ。
ならば――
僕は考えていたことを、スイに言った。
『なら、新しい水源を創るのに、協力してほしいのです!!』
“新しき水源――新しき水源京を創る――だと?”
『ええ、そうです!もともと水源が出来る条件の整った場所に水源を創る――これならば、今ある他の水源京を必要ともしないし、風や雨の神にまで影響を及ぼさずに翡翠を救える!!』
“翡翠――ここの水源京の主か――”
スイの声は周囲を探るように水源京の中を駆け巡った。
“救うとは、なんだ。”
「え?」
冷ややかな流れが、身を包む。
“死とは、現象である。生誕とは、現象である。
生まれ、育ち、時が来ればその命は消える。
そこに、何を求めている。
その“流れ”は自然だ。
摂理だ。
余と同じだ。
“流れ”は、止められぬ。
“流れ”は絶対の理である。
だというに、
その流れに、お前は何を言わんとする。
何を問おうとする。
何をなさんとするのか”
スイの声が、僕の脳髄を突き刺した。
“救う?ナンダソレハ?
自然に――“流れ”に、そのような言葉は存在しない。
もはや消えゆく水源、消えゆく命。
その有り方を、その“流れ”を、変えるなど――”
“愚か”
「いいや、ちがう!!」
僕は心の言葉を、声に出す。
「大切な人の命を救いたいとそう思うことが、愚かだなんてことはない!
人は命を慈しむ。それが大切な人ならなおさらだ。
たしかに、命はいつか終わる。
それは“流れ”だ。自然の摂理なんだろう。
けれど、そうだと分かっていても、別れを惜しむ。
だからこそ、命を大切にする――それが、人間なんだ。
大切な人を助けたい、そう思うのが人間なんだ。
その思いを、愚かだなんて言わせない!」
“分からぬな。
流れは絶対の理。
それに異を唱える思いを抱くこと自体、流れに逆らうこと自体、無駄である。”
「いいや、無駄なんかじゃない。
だって、僕は知っているんだ。
生きている限り、人は面白さを探しに行けるんだって。
生きている限り、人は夢を見続けるんだって。
生きている限り、命は誰かの命に影響するんだって。
その命の流れが長いほど、人はその命を輝かせるチャンスが多分にある!!」
「おい、碧――もう、翡翠が限界に近い!急がないとまずいぞ!」
僕の叫び声が終わると同時に、ハクが叫ぶ。
見る見るうちに、世界の縁が迫ってくる。
水泡のような薄く光り輝く水の幕が。
“――さりとて流れを変えることなど、人間に出来はしない。”
「いいや変えられるさ!!」
僕は渦を掴む。
「僕たちは知っている。
命は、いつか終わるモノだって。
けれど、それはまっすぐ滝のように死に向かっていくんじゃない。
川のように、紆余曲折しながら生きていくんだ。
そうだ、人の命は、川と同じだ。
人間はこれまで川を堰き止め、池や湖を造って流れを変えてきた。
それと同じだ。
誰かを助け、誰かに助けられ、いろんな自然に影響されて、川は流れを変えていくんだ。
人間は、流れを変えることができる『生き物』なんだ!!」
「碧――もう――」
僕は翡翠の言葉を無視し、ハクにスイを掴んでいない左手を伸ばす。
「ハク――!!」
「!?」
「君の力で、地中に潜る!!」
「う、おお!?」
「そして――」
僕は消えかけたスイを見つめる。
「スイ、君も命だ。誰かの命に影響されて生きる、命なんだ。生き物なんだ。」
“……”
「だからこそ君も、命の影響で流れは変わる!!
だから僕は、君の流れを変えて見せる!
だって僕は、命の流れを変える“人間”なんだから!」
“――ほう、面白い。
ならば、余の流れを変えて見よ、小さな我が子よ“
スイは、その後何も言わなかった。
けれど――
「ハク、碧を連れてここからでろ!!もう、これ以上は間に合わない!!」
翡翠の叫びに、ハクは静かに首を振った。
「いや。もう、流れは、決まった。」
◇
僕は精と対話できる。
けれど、もしかしたら本当は皆できることなのかもしれない。
だって、精は命の光。
命そのもの。
命は、誰かの命に触れるとその有り方が変わっていく。
僕はハクや千恵に出会って、精霊の世界に憧れた。
僕は涼や紅葉に出会って、人の面白さに、友達という存在を知ることができた。
そして翡翠に出会って、何としてでも助けたいと、そう思えるほど強い思いがあるのだと、知った。
そして僕は、翡翠を助けようとしてここにいる。
前の僕だったら、彼女を人として救いたいなんて思わなかっただろう。
僕の流れは変わったんだ。
千恵と、ハクと、雨音と、涼と、紅葉と――そして翡翠と出会って。
きっと対話って、そういうものだ。
命の有り方を変えるもの。
誰かが特別にできるものなんかじゃなくて、きっとみんなが出来るモノ。
――対話そのものが命の有り方を変えていく。
だから、特別なことは必要ではないんだ。
たとえ『神』であろうと、その有り方を変えること自体は。
◇
「え――?」
僕たちは、同時に言葉を漏らした。
目の前に広がるのは、澄み切った美しい水だった。
太陽の光が降り注ぎ、美しい水面が湖底を照らす。
純白の光を浴びた小魚が、銀の鱗を煌めかせて優雅に踊っている。
そしてその魚たちが泳ぐのは、美しい螺旋の街並みに立つ家々の間だった。
「――」
言葉が、出なかった。
目の前にあったのは、見たことがないほど美しい、光と水の都だった。
渦を描くようにして連なる家々が遠い彼方にまで続く、紛れもない水源京だったのだ。
「――やった、のか?」
ハクのつぶやきに、僕は翡翠を見つめる。
群青の髪、真珠のような純白の肌、ほっそりとした顎に、力強い藍色の瞳。
そう、彼女はいた。
元の人間の姿とは違うけれど、間違いなく生きている一人の少女が、そこにはいた。
「翡翠――」
「……え?」
太陽が出ていると言うことは、もう今日は8月31日じゃない。
すくなくとも、9月1日にはなっている。
僕は彼女を救えたら、なんて声をかけるか、それだけは何故か決めていた。
きっと涼や紅葉だったら、もっと違う言葉をかけるのかもしれないけれど、僕はその言葉が一番しっくりきた。
だってその言葉が、今までの人生をねぎらい次の人生を祝うには、一番ふさわしい言葉だと思うから。
僕はあっけに取られている彼女に言った。
「――誕生日、おめでとう。」
次回最終話です




