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水源京  作者: 猫山英風
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第02話


「はーい。それじゃあ、皆さん、宿題を配りまーす。」


 先生による夏休み死刑宣告を聞いて、クラス中からブーイングが巻き起こる。

中学最後の夏休みくらい、宿題なんてなくてもいいのに。そう思っているのは僕だけではないらしい。

 僕は教室の窓から、青々とした壮麗な山脈を見つめる。


「――神霊になる、かぁ。」


 正直なことを言うと、あまりピンと来なかった。神霊であるハクや千恵と一緒にいて、何も“悪いこと”はないし、神霊になること自体は悪いことではないと思っている。

 ただ、積極的になろうとも思っていないし、そもそもどうやってなるのかも分からない。ハクにどうやって神霊になったのかと以前聞いたところ、「気が付いたら」とあっけらかんとした言葉が返ってきた。


「神霊ってのは、なろうとしてなるもんじゃねえ。意図せずして()()()()()ことが多い存在だ。――だから、自分の意志とは関係なく、人に害を成す(あやかし)になっちまっていることもあるんだよ。」


 僕が神霊になってしまうことを、ハクと千恵は良くは思っていないらしい。

 千恵は僕に対してはっきり、「成るな」とは言わない。いつもただ傍観し、必要な時に小さな助言をするだけだ。だから、彼女の昨日の言葉も、きっと助言だったのだと思う。

 ハクは僕に何度も、神霊には人を食う恐ろしいやつがいるだの、人に成り代わろうとする奴がこの山にいるだのと、恐ろしい話を聞かせていた。けれど、僕はそんな神霊にこれまで出会ったことがないし、ハクのマイペースで生き生きとした楽しげな様子しか、僕は知らない。

 だから、僕には分からなかった。

どうして、ハクがそれを忌避しているのか。

千恵が、どうしてああいう助言をするのか。


 『精』が見えるというのは、生まれつきだった。物心ついたころから、ありとあらゆるものが光輝いていることを知っていた。それが普通の人間には見えていないものだと分かったのは、幼稚園の時だった。友達と妙に会話がかみ合わない。僕は何とも思わなかったけれど、周りの人は随分と僕を心配していたっけ。

 両親は何か知っていたのかもしれないけれど、少なくとも、僕と同じようなモノは見えていなかった。それだけは――確かだと思う。

 小学校に上がるときには、光っているものが命と関わっていると気が付いた。

 飼っていた魚が死んだ時、その光が消え去ったから。

 隣に住む八重子おばさんが亡くなった時、彼女の肩にあった光が消え去ったから。

 光が『精』だと知ったのは、両親が死んで、じいちゃんと鉄叔父さんに引き取られてからだった。そしてここでハクと知恵に出会い、『精』を見分ける術と対話する術を学んだ。


 『精』は正直なんだ。絶対に嘘をつかない。その光はどんなに隠そうとしても、本心を常に叫んでいる。だから対話するといっても、僕はただ『精』の光を素直に受け入れているだけなんだ。決してその光を、遮ろうとしないようにすればいいんだ。後は……なんとなく……?かな!

 それに『精』は“明るさ”、“色”、“大きさ”、そして“輪郭”が皆違う。それを見ていると、なんとなくどんな『生き物』なのか、が分かるようになってくるんだ。

 明るさは“強さ”を。

 色は個性を。

 大きさは持っている『精』の量を示している。

この3つの特徴は、どんな生き物でもばらばらだけど、輪郭だけは違う。輪郭は、それぞれの『生き物』で、ある程度決まっている。

 最も輪郭がはっきりして明確な形をとっているのは、千恵やハクのような神霊だ。次にはっきりしているのは、あの校門の横に立っている白い女の人のような、霊。ここまでは光の形がよくわかるけれど、光の玉のようにしか見えないものもいる。それが『妖精』と僕たち人間を含む“生物”だ。普通の生物の『精』も光の玉のように見えるけれど、その明るさが妖精より明るいから見分けがつく。

そして、一番輪郭があやふやな『生き物』が――


 僕は、山の向こうからやってくる、純白の塊を見つめる。

どこまでも白く、どこまでも()()

山々を飲み込むように大地に覆いかぶさり、そのくせ天の果てまでその手を伸ばす。輪郭など幾重にも変わる。どんな光よりも、その形は創造的で自由なものだ。近づけば、その果ては見ることが出来ないほど広大な存在……


「――今年は、早いなぁ。」

「え?何が?」


 気が付いたら、僕の前に座る子が宿題を差し出していた。きょとんとした顔をするその子に、僕はなんでもないよ、といって静かにプリントを受け取る。

 味気のない数字や記号が箇条書きになっている、肌触りの悪いくすんだ藁半紙だ。僕はそれを半分に折りたたみ、無造作に鞄の中に突っ込んだ。いつも思うけれど、夏休みには随分と()()()()()()()が学校からプレゼントされる。

 そしてほぼそれと同時に、一学期最後の先生の声が、僕の耳を走り抜けた。


「みんな、中学最後の夏休み、楽しく過ごしましょうね!」




 雨。無数の白糸が、天から地面に向かって吸い込まれていく。風はなく、雨粒が木の葉を打つ音が小気味良いリズムを奏でている。

 湿った土の匂いが家の中に充満するころ、僕の隣にハクは現れた。


「こりゃあ、夜は荒れるぞ。」


鎌首をもたげるハクに、僕は相槌をうつ。


「今年は帰ってくるの早いね、雨音(あまね)ちゃん。つい先月お別れを言ったばっかりなのに。」

「……そうだな。どこにいるのか見えるか?」


ハクの言葉に、僕は千恵の住む山のさらに奥を指さした。


「うん。あっちの山の奥が一番()()から、きっとあそこにいるんだと思う。」

「ほう?やっぱり100年前より、帰り道がちょっと北にズレてんな。」


ハクは赤い瞳を細める。


「まあ、あいつは自分の意志で移動することはできないからな。風の流れに身を任せるだけのことだ。もしかすると、何百年か後には、ここには来なくなるかもな。」

「そうだね。でも、それはちょっと悲しいね。」

「……()()だ?」


 ハクは僕の顔を、険しい顔で見る。


「え?いや、雨音に会えなくなるのは寂しいだろ?」

「……なあ、碧。」


ハクは僕の膝の上に体重をかけ、まっすぐ視線を合わせる。


「雨音と仲良くなるなとは言わない。言わないが、あいつにあまり心を許すなよ。」

「……それ、仲良くなるなってのと、何が違うの?」

「気を付けて接しろって言っているんだ。」


ハクの言葉に、僕は目を細める。


「何、それ。なんか感じ悪いし、ハクらしくないよ。ハクはいつも言っているじゃん。友達を――大切なものを守れない奴は、男じゃないって。雨音は友達じゃないの?」

「そりゃあ、あいつとは腐れ縁だ。だが、それでも、心を許していいってほどじゃねえ。あいつとオレ達は、()()()()違うからな。」

「それは、僕らとは違う『生き物』だからってこと?」

「そうだ。」


僕の質問に、間髪入れずにハクは答える。赤い舌を出すこともなく、彼は重々しく言葉を綴る。


「あいつは、お前のような()()()()()ではないし、俺や千恵のような精霊でもない。物でも、死者でも、生物からでもなく、“()()から生まれた『生き物』”。

それが、『神』と呼ばれるモノたちだ。」


僕はすかさずハクに言い切る。


「けど、『神』()『生き物』だろ?」

「そりゃそうだが……」


ハクは目を泳がせ、大きくため息をつく。


「『神』は“現象”そのものだ。虹と同じように、見えていてもつかめない。そこにあっていないような存在だ。だからあいつらは、自分たちが“生きていること”を実感したがる。その結果として、あいつらは己以外の他者に干渉する。

それが他者にとって幸運であろうと、厄災であろうと、な。

『神』とは()()()()()()()。雨の『神』であるあいつがオレ達に干渉するのは、別にオレ達と仲良くしようとしている訳じゃない。」

「でも雨音は、普通の『神』とは違うと思うよ?彼女は普通に会話するし、『精』が見える僕のことを心配してくれているようだし?」

「だからこそ、なんだが……」


ハクはそういうと僕の背後に向かって叫ぶ。


「おーい、銀灰じじい、お前からもなんとか言ってくれ!」


 紺銀灰。僕の祖父であり、僕を術者として育てた恩人だ。ただ、短い白銀色の髪に頬骨の浮き出たその様はちょっと怖い。怒ると鬼みたいになってさらに怖い。ようは、ちょっと怖めの、近寄りがたい人だ。けれど、その灰色の瞳はどこまでも優しく、穏やかなおじいちゃんだ。


「なんだ、碧。ハクに酒でもせがまれたのか?」

「違うわ!!」


 じいちゃんはハクに向かって小さく笑うと、僕とハクの隣に座る。灰色の着物から香る煙草の臭いが、つうんと臭う。

 じいちゃんは漆塗りのキセルを咥え、雨を見ながら僕たちに問いかける。


「それで、雨音がどうとか言っていたようだが?」

「うん。ハクがさ、雨音に心を許すなって言うんだよ。ただ、神だからってだけでさ。そんなの、心が狭いと思う。」

「……そうか」


 じいちゃんはそういうと、煙草を吸うばかりで何も言わなかった。

 想像以上に表情を変えなかったじいちゃんに、僕は少しむっとした。じいちゃんは術者だ。雨音とは僕以上に古い付き合いのはず。だったら、もっと何か言えたんじゃないだろうか。


「――別に、他の『生き物』と親しくなったっていいでしょ?大体、人間である僕と雨音が違う生き物だから近づいちゃダメって言うのなら、神霊であるハクと僕だって別の生き物だよ?」

「それは――」


ハクは何かを言おうとしたが、その口は皺だらけの手によってふさがれた。


「……」


 ハクは、自らの口をふさぐ老人をじっと見つめる。

その瞳は歳を経た人間の力強さがあった。済んだ瞳に宿る、小さいがはっきりとした光。その光を見ると、ハクは返事代わりに鼻から小さく息を出し、部屋の奥へと這っていった。


「碧。」


 じいちゃんはゆっくりと薄暗い顔を僕に向ける。


「おまえさんは、雨音といて楽しいか?」

「え?もちろん!」

「そうか。それは良かった。……儂もふらりとやってくるあいつと語らうのが本当に楽しくてな。若い頃は夜が明けるまで町や森の話をしていたものだ。」

「ふうん。」

「だがな、碧。

――雨音は『神』だ。親しき隣人には成り得ても、それ以上には、決してなってはならないモノたちだ。」


 低く、荘厳な声が、僕の心に突き刺さった。

雨音(あまおと)が消え、体が冷える。静まりかえった家の中を、冷たい空気が這っている。


「――え?何を、言っているの、じいちゃん。」


問われた彼は、ゆっくりと雨に打たれる庭に視線を移し、思い出すように言った。


「『神』。それは生物とは違う『生き物』だ。

現象から生まれた存在である彼等に、我々人間の常識など通用しない。

『神』は気まぐれだ。

酒を酌み交わし、夜通し語らっていたとしても、次の日には自分を殺そうとしている時もある。」

「――そ、そんなこと、雨音はしないと思うよ?」


 僕は彼の様子を窺うように、じっとその横顔を見つめる。

彼はゆっくり白い煙を口から吐き出すと、ふっと笑う。


「……まあ、とりあえずは気を付けろということじゃ。

雨音は――()()()であるからな。

お前の予想打にしないことを、息を吸うようにするんじゃよ、あの娘は。」


じいちゃんはしわしわの手で、僕の頭を硝子細工に触るかのようにそっと撫でた。

 細いけど力強い腕。小さいようでいて大きな手の平。


僕は、頭をなでるその手が、妙に重いと思った。



「雨音のやつ、随分と張り切ってるな。」


 夜、夕飯を食べ終わったハクが、僕の隣で天井を見上げてつぶやく。屋根を打つ雨音は、もはや弾丸のようだ。


「すごい雨だねえ。いつもこの時期はたくさん雨持ってくるけど、今日は一段と多い。」

「あいつ、あれか?まさかダイエットでもしてんのか?落としすぎだろ。……こんなに降らせて大丈夫なのかよ。」


ハクの言葉に、僕は小さく笑う。


「やっぱり雨音がいないと寂しいんでしょ?雨が完全に止むと、彼女はまた()()()()()()から。」


少しイラッとしたのか、ハクは尾で僕の腹を叩く。


「ちげーよ。あいつの心配じゃない。」

「いたた……。じゃあ、誰の?」

()()()だよ。」


 そう、ハクがいった瞬間だった。

空気を割る強烈な爆裂音。

明かりがはじけ飛び、部屋の中は暗闇に包まれた。


「わっ。停電!?」

「落雷か。蝋燭でも持ってくるか?」


 よくあることだ。

別に雨音が来たときに限ったことじゃない。嵐の日、落雷で停電するなんて、どこの家でもあることだ。僕は立ち上がり、何度もしてきたように手探りで家具の位置を確かめる。


「いや、大丈夫だよ。僕が行く。」


 その時だ。

張りつめたハクの声が、部屋に響き渡ったのは。


「まて。」


ハクの言葉と同時に、僕も異変を察知した。

足の裏に、何か今まで感じたこともない小さな振動が走っている。蟻が足の裏を歩いているような、じりじりとした小さな触覚。その振動は息を吸う速度よりも早く、心臓にまで伝わる巨大なものへと変わっていく。


 揺れる電球、割れはじめる食器。

天井の隙間から埃が舞い落ち、壁が悲鳴を上げ始める。

そして、家の奥から全身を震わす竜の唸り声を聞いたとき、ようやく僕たちは事態に気が付いた。


そう、これは――



「山崩れだ!!」



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