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水源京  作者: 猫山英風
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第20話


「ハク、お前は千恵に連絡をしてくれ。私は、あの爆発を見たことがない。私のもつ『術』で外傷はなんとかなるとは思うが、私の知らないケガは治せない。」

「……!分かった。」


 耳鳴りがしてよく音が聞こえない。

翡翠とハクが何かしゃべっているのは分かるけど、意識も朦朧としてよく見えない。


「――翡翠。」

「なんだ。」

「いや……お前、変わったな。()と。」

「――」


翡翠は僕を一瞬見た。けれど、僕には彼らが何を話しているのかよくわからなかった。


「……いいから、行け。」

「ああ。」


ハクはそういうと、部屋から出て行った。

そして僕も、再び意識が消えていった。




涼しい。

僕の身を包み込むそれは、眠るのにちょうどいいひんやりとしたものだった。

熱くは無く、冷たすぎず、居心地のいい()()()がある。

川の中で浮かんでいるような、ゆったりとした浮遊感が僕に安らぎを与える。


ああ、きっとこれは、翡翠の水だ。この淡くて水に溶けるような、優しい『精』は――



「――碧。もらってちょうだい、私の、『精』を――」



「!?」


 僕は瞼を開けた。目の前に、杉の板でできた天井がある。


「夢――」


今の声は、翡翠じゃない。

今の声は、母の声だ。

けれど、今の言葉を、僕は覚えていない。あんな言葉を、母はいつ言ったのだろうか……

いや。夢なのだから、言ったかどうかなんてわからない。考えたって、仕方がない。


「ここは……」


 僕は周囲を見渡した。ただ一つの行灯が灯るほの暗い、古い日本家屋の一室だ。肌触りの良い古びた畳に、漆で塗られた障子に囲まれた部屋。部屋の隅にある文机には丁寧に置かれた筆と文鎮がある。二つある箪笥はどれも重厚で、年季が入っていた。きっちりと整理の行き届いた部屋は、誰かが長い間住んでいたのか、穏やかな空気が漂っている。そうだ。この部屋には、水源京に来て一度も見たことがなかった、「生活感」がある。そしてこの服――あの時翡翠が僕に着せた、浅葱色の着物だ。


「気が付いたのか。」

「翡翠。」


 僕は立ち上がろうとしたけれど、翡翠によってそれは止められた。


「まだ寝ていろ。」

「なにが、どうなったの?」


 枕元に座る翡翠に、僕はそう尋ねた。


「爆発があって、お前はけがをして倒れた。それだけだ。」

「……そう。」

「私の『術』で、外傷は治した。だが、私はあのような現象に遭ったことがない。だから……」


彼女は僕から視線を逸らす。


「私の知らないケガがあるかもしれない。だから、安静にしておけ。」

「ありがとう。心配してくれて。」

「……ああ。」


少しの沈黙のあと、彼女はそう返事をした。

 僕はそれを聞いてほっとした。最初に会った頃と比べて、翡翠は変わった。それは僕もだけれど、彼女は少しだけ素直になった。そう、思った。


「でも、ごめんね。」

「何故謝る。」


僕は起き上がって、翡翠を見る。


「せっかくの花火だったのに、最後の最後で、こんなことになっちゃって。」

「……いや、あれは私のせいだ。お前が謝ることではない。よく考えれば、他とは違うと分かったはずなのに……だから、その……」


翡翠は小さく息を吸いこんで、僕に頭を下げた。


「すまなかった。」

「え、いや、そんなに謝らないでよ。ほら、翡翠治療してくれたんでしょ?だから、そんなに謝る必要は――」

「だが、あれは私の落ち度だ。」


翡翠は僕をまっすぐ見る。


「私は、己の責任を放棄するような――()()には、成りたくない。」

「……」


 存在。そういう前に、彼女は一瞬だけ目を逸らした。

「人」。そう言おうとして、言葉を変えたように、僕には聞こえた。


「わかった。でも、翡翠の謝罪は受け取ったから、もう、謝らないで。」

「……そう、か。」


 彼女はしばらく何も言わず、じっと僕の傍にいた。その眼差しは子を守る母のようなものではなく、全てを庇護する神のような存在でもない。彼女の言う「責任」からくる強い意志もあったけれど、それは単純に「友達を心配するような瞳」だった。

 だからなのかもしれない。僕は、こんな状況なのに、彼女に言ったんだ。


「ねぇ、翡翠。やっぱり、打ち上げ花火、観に行かない?」

「……それは……」

「今日の花火、面白くなかった?」

「そんなことはない。ないが……」

「こんなことがあったから怖いかもしれないけれど、打ち上げ花火は今日の花火とは比べ物にならないくらい綺麗で美しくて、華やかで楽しいんだ。あの打ちあがった一瞬の光が、観ているだけで心を打つんだ。それに――」


僕は思い返す。かつて、人とのかかわりを面白くないと思っていたころに言った、あのお祭りを。


「花火はさ、お祭りなんだ。色んな人が色んな出し物をして、たくさんの人が一ヶ所に集まって、おいしいものを食べながら空を見上げるんだ。正直なことを言うと、僕はまだ、あのお祭りにどんな“面白い”ことが待っているのか、分からないんだ。でも、僕はそれを探しに行きたい。見つけてみたいんだ。まだ見たことのない、“人の営みの面白さ”を。」

「――」

「だから、僕は翡翠と一緒に花火を見に行きたい。翡翠は花火を見たことがない。僕はお祭りの面白さをまだ知らない。二人とも、初心者だ。僕たちは、似た者同士だよ。だったら、初心者同士で行った方が心強いし、何より――」


俯く彼女に、僕は再度いう。


「一人で見るより、楽しいでしょ?」


 彼女は立ち上がった。ゆっくりと僕の隣を通り過ぎ、障子を開ける。そして部屋からでる前に、彼女は言った。


「……お前は、今日の花火が、楽しかったのか?」

「うん。翡翠とハクがいてくれたから、一人でやるよりもずっと楽しかった。」

「……そうか。私は……私は、違うぞ。」

「……」

「私は、今日の出来事は、楽しくなどない。あんな危険なもの、私はもう見たくはない。」

「……」

「だって、そうだろう。」


翡翠は振り返らなかった。けれど、少し震える声で、小さく言った。


「お前が、傷ついているのだから……」

「――!」

「だから、お前が傷つかないというのなら――いや、お前がまたそんな危険な場所にいくというのなら、治療してやるヤツがいるだろう。」

「じゃぁ!」


僕の高揚した声に、翡翠は何かをこらえながら言った。


「ああ。少しの間なら――ここを出ても、いいかもしれないな。」





 翡翠は包帯を取りに行っている間、僕にこの部屋から出るなと言った。僕の体は、彼女の治療によって擦り傷すらないというのに。

 彼女は必要であれば箪笥の中に僕の服が入っているから、着替えておけと言っていたけれど、僕はそんな気になれなかった。妙にこの服がなじんでしまった。それはこの部屋が彼女の部屋だったからかもしれない。あの迷宮を探索して目指したゴールに、今僕は居る。しかも、あの時の格好で、だ。それは言いようのない嬉しさがあった。

 やっとたどり着いた、そういう達成感と高揚感に、僕は浸っていたんだ。


「でも、忘れないうちに出しておかないと、また忘れちゃうよね。」


 僕はなんでそんなことを考えたのか分からない。ただ、じっとしていることが出来なかったからかもしれない。

 僕は立ち上がり、翡翠に言われた箪笥の引き戸を開ける。


「あ、これか。……やっぱり、翡翠は綺麗好きだなぁ。きれいにたたまれてるし、洗濯したんでしょ、これ。」


穏やかな安らぎが、服から香ってくる。


「じゃあ、これを出してっと……ん?」


引き出しから服を出したとき、その一段上の引き出しから「カラン」と、ガラスがぶつかるような音がした。


「今の……」


僕は上の引き出しを開けた。


「これは……」


そこにあったのは、瓶だった。無色透明な、どこにでもあるビンだ。

ただ、1つ普通とは違う特徴をあげるとすれば、その中には丁寧に折られた紙が入っていることだった。それは見覚えのあるものだった。


「僕の手紙、とってあるんだ。」


 僕は自然と笑みがこぼれた。

うれしかった。彼女が、僕がしたためた言葉を、捨てることもなく全て大事に保管していた。不法投棄と言っておきながら、ここまで綺麗に瓶を磨き、中の手紙を送った順序通りに並べている。一番手前にあるのなんか、あの木の切れ端じゃないか。


「素直じゃないなぁ。」


僕は引き出しを戻そうとした。が――


「?」


 僕は、あるモノに目が留まってしまった。一冊の、今にもぼろぼろになってしまいそうな、分厚い本。表紙には何も書かれておらず、紙を紐で止めただけのその書物に、僕は興味を持った。

 少しは悪いかな、とは思った。紅葉がいつだったか涼に言っていた。「女の子の部屋を漁るなんてサイテーよ。」と。だから、これを手に取ることに少々の罪悪感を持ってはいた。

けれど、妙にその書物から目が離せなかった。

どうしても、手に取らなければならない――そんな気がした。



そして、その書物を手に取った時、異変は起きた。



書物が開いた。次から次へとページが勝手にめくれて行く。


「なんだ!?」


僕は思わずその本を手放した。

けれど、時は既に遅かった。その書物の中からあふれだしたのは、真黒な液体。文字が滲みだし、濁流となって湧き出てきたそれは、強烈な墨の匂いがした。


「これは――『墨汁』!?」


視界を覆う、黒い津波。

僕は何もすることが出来ず、その波にのまれていった。




「碧?」


わたしが部屋に戻った時、彼は居なかった。

そして、わたしは特に意味もなく持ってきた包帯を、その場に落とした。


床に、あの本が落ちている。


もう、二度と書かないと決めていた――





「なんだ、ここは……」


僕はあたりを見回す。

豊かな森。

涼し気な空。

太陽に照らされた村。

光を浴びて煌めく棚田……どうやらここは山村のようだ。

僕はその、山村を貫く一本道の上に立っている


「でも――」


 状況は普通ではないが、さらにおかしなことがあった。どの家も、どの田畑も、森も、空も、色がない。


「水墨画の中にいるみたいだ……」


優しく描かれたその濃淡の世界に、僕は感嘆するとともに不安を感じる。

ここは一体、どこなのだろうか。いや、これは何かの『術』かもしれない。確か翡翠が映画の話を聞いて、書物が動くとかなんとか言っていなかっただろうか……。だとしたら、どうやったらこの『術』から抜け出せるのだろうか。

 そんなことを考えていると、ふとある人物に目が留まった。

 色が、ついている。

 1人は男。年は二十歳かそこらへん。顔は凛々しく、背筋をまっすぐに伸ばす堂々とし佇まいは、常に前を向いて生きる人間だということを物語っている。そしてその腰に下げた長い得物が、その男の身分を表していた。

 もう一人は女。黄色い着物を着た、年は僕と同じかそれより少し上。はにかむ笑顔が子供の用に眩しく、明るい女性だとすぐに分かる。

 そして、その黄色の女性は言ったんだ。僕の後ろに向かって、手を振りながら。


「おーい!翡翠―!清次郎さんが帰ってきたよー!」

「ああ!今行く!」


 僕は振り返った。

そこにはいたんだ。僕が今まで一度も見たことがない、心の底から笑顔を見せる、翡翠の姿を。


僕の隣を駆けていった彼女を見て、僕は理解した。


“神霊は何かしらの方法で、自身の記憶を記録として残そうとする”


つまり――


「この(せかい)は、翡翠の――」



日記(きおく)だ。


読んでいただき、ありがとうございます。


次回

ついに、翡翠の過去が明かされる――

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