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水源京  作者: 猫山英風
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第13話


 夏の空で染めたような群青の髪が、風に揺られてなびいている。緑豊かな森に紫の着物が色鮮やかに映え、水面に素足で立つその姿は、まるで一輪の桔梗の花のようだった。


「外に――出れたのか……」


 僕の隣で、ハクが目を丸くしてつぶやく。その言葉の意味を僕は知らないし、きっとそれは彼女を助けるための方法に直結すると、そう感じた。だからその意味を本来ならハクに聞くべきだったのかもしれない。

 けれど、それ以上に、僕の注意を奪う存在があった。

 僕は、あることに気が付いてしまった。彼女は()()()()のだ。見た目の年齢は、僕と大差がない。僕より少し年上、その程度だった。水源京で見た時僕は、彼女は大人の女性だと、そう思っていた。神霊としての優麗さや荘厳さを身にまとい、千恵のような神秘性を纏っていた。けれど今日の翡翠は、何かが違う。確かに神霊としての厳かさはあるのだけれど、それ以上に、“別の何か”が見えている、そんな気がした。


「ひす――」

「話をしに来たんじゃない。」


 ぴしゃりと、翡翠は水を打った。


「ただ……文句を言いに来ただけだ。」

「文句――?」


ハクが怪訝な顔をすると、翡翠は目を細め、腕を抱く。


「お前たちだろう。私の家に、毎日毎日ガラスの筒を送り込んでくるのは。」

「それは……」

「息苦しいんだ。」

「――?」


翡翠は僕たちの足元を見ながら言う。


()()()()()を、私の家に投げ入れるな。ここは水源京。山にある神秘の領域だぞ。自然に還らないものを置いていくなど、不法投棄と同じだ。」

「……」

「……だいたい、なんだ、あの中身は。」

「――中身?」

「そうだ。」


彼女は僕を見る。その眼差しはきつく僕を睨み付けている。――けれど、僕には怒っているというよりも、歯を食いしばって何かに耐えているような目だと、そう思えた。


「……お前やハクの日常など、知ったことか。山の様子など、水源京にいるだけでもある程度は分かる。それに、あの服はもともとお前のモノだ。私はそれを返しただけだ。……お前を治療したのも、家で死人が出るのは後味が悪いからだ。礼を言われる筋合いはない。」

「!」


彼女は僕たちにも聞こえるため息をついた。


「……だから、もう、私の家にあれを投げ入れるな。……後処理に、困るだけだ。」


  彼女の後ろから、山の風が吹き抜ける。緑と土の匂いに交じって、清らかな水の匂いが僕の鼻を突いた。

 僕は生唾を飲み込み、まっすぐ彼女の藍色の瞳を見る。


「――ごめんね。迷惑、だった?」

「……」


彼女は答えない。


「でも、ありがとう。」

「――何故だ?礼を言われる理由はない。」

「ううん。だって、『手紙』、読んでくれていたんでしょ?」

「――」


彼女は眉間の皺をさらに寄せる。


「……ガラスでない何かが、中に入っていたから、な。それで中を確かめようとしたら――目についただけだ。特に理由は無い。」

「それでも、読んでくれたことに変わりはないでしょ?」

「それは……」

「それにさ、翡翠さっき“不法投棄と同じだ”って言ったけれど――」


僕は確信をもって言う。


「一言も、『手紙』を『ゴミ』だって言わなかった。」

「――!」


彼女の目が、大きく見開いた。

意表を突かれたのではなく、的確に的を射抜かれた、そういう表情だった。

 彼女は腕を抱え、僕から視線を逸らす。


「――たとえそうだとしても、もうあんなことをするな。」

「うん。分かった。」


僕は彼女に微笑み、続けていった。


「じゃあ、また明日来るね!」

「――は?」


 翡翠は眉を顰め、意味が分からないと口を開けて僕を見る。


「よし、ハク。今度はお弁当をもってこよう。」

「うえ?え?あ、ああ?それは構わないが……」


ハクは僕と翡翠を交互に見ながら、状況を理解しようとしている。


「うーん。となると、具材は何がいいかな。」

「いや、おい。」

「やっぱり定番は唐揚げかな?鉄叔父さんに作り方を教えてもらわないと。」

「ちょっと待て。」

「あ、そうだ。ねぇ、翡翠は何が食べたい?」

「いや、まてと言っているだろう!」


翡翠は慌てて言葉を紡ぐ。


「お、お前、私が言ったことを分かっているのか?」

「え?うん。分かっているよ。」

「じゃあ、何故明日もくるんだ。」

「だって。」


僕は彼女の瞳をまっすぐ捉える。


「家に投げ入れるなって言ったから、じゃぁ、今度は直接話をしようと思って。」

「は?いや――」

「だって、翡翠は『手紙』をごみとは思っていないし、翡翠は水源京に瓶を投げ入れるなとは言ったけれど、()()()()()()()()()()()()()()()()()んでしょ?」

「それは……」


彼女は目を泳がせる。何か言葉を紡ぎ出そうとしているようだけれど、うまくまとまりきらないのか、彼女は口を開けたり閉じたりするだけで、何も言えなかった。

 僕には、確信があった。彼女が言った服や治療のお礼を僕が『手紙』にしたためたのは、最初の『手紙』だ。あの木の皮だ。瓶なんかよりもっと、受け取ってもらえない可能性が高かったものだ。それを、彼女は読んでくれていた。それに、彼女は“僕が来ること”を止めろとは言わなかった。本当に嫌なら、きっとそうはっきり言ったはずだ。そして何より、水源京の『精』は、僕の()()を聞き届けた。それは紛れもない事実だ。


「――だめ、かな?」

「いや、駄目という訳では――だ、だが、何故くるんだ?もう水源京に来る理由は無いだろう?」


 翡翠は焦りを露わにする。


「理由?あるよ。だって、僕は翡翠と友達になりたいんだもの。」

「――」


翡翠は唇を結んだ。何かを悲しんでいるような、何かに耐えているような、そんな瞳を僕に向ける。

 僕はさらに付け加える。


「後は、うーん、そうだなぁ。あ、ほら、翡翠言っていたじゃん。僕がハクに連れ去られた時――」

「おい。なんか人聞きの悪い単語が聞こえてきたんだが。」

「ハク、黙ってて。」


僕は話を続ける。


「“開門”以外の、僕の知らないことを教えてくれるって。あれ、まだ教えてもらってないよ。」

「……いや、確かにそうは言ったが、それはお前があそこにいたからであって、もう――お前は、あそこに行く必要は……ないんだぞ。」

「そう?でも翡翠、その入り口にずっと立っているだけじゃあ窮屈そうだし……」

「……だからといって、お前、水源京に入ってその後どうする。もう薬は無いんだぞ。そもまま入ったところで、死んでしまうんだぞ。」

「うん。だから、申し訳ないんだけど、翡翠にあの泡をもう一度創ってほしいなって。」

「……」


 その表情は、様々な想いが幾重にも積み重なっているように見えた。

悔恨と悲愴。嫌悪と哀愁。喜憂とも思えるような複雑で混沌としたその表情は、明らかに狼狽していることが見て取れた。

 そして一羽の鳥が森から羽ばたくまでの間、その沈黙は続いた。


「じゃあよ、俺からもお願いするぜ、翡翠。」


 一向に話が進まない状況に一石を投じたのはハクだった。


「ハク?」

「……なんだ、ハク。お前が私に願いなど――()()()が最後になると思っていたが。」


翡翠はハクを疑いの目で眺めている。だがハクは気にする様子も見せず、わざとらしく首をすくめて見せる。


「まぁ、俺もそーなるとは思っていたがな。」

「――では、何を願うと言うのだ。まさか貴様――」

「こいつの修行だよ。」

「は?」

「え?」


 翡翠と僕は同時に素っ頓狂な声を出した。


「え?何?ハク。修行って何のこと?」

「は?お前忘れてんのかよ?千恵に言われたろ?もっと色んな世界を見て、もっと多くの『精』を見て来いって」

「え?そんなこと――」


「言われてない」そう言おうとして、僕ははっとした。ハクがものすごい剣幕で僕を睨み付けている。その赤い瞳は「その先を言ったら殺す」と言わんばかりの圧があった。


「あ、ああ~、そうか、そういう……うん、そうだったね。そうそう!」

「……なんだ、なんの話だ。」

「あー、えーとね。翡翠。僕さ、千恵の下で修業しているんだけどね。あ、いやその前に、僕が『精』が見えるって話はしたよね?」

「……ああ、」


僕は空を見ながら言葉を並び立てる。


「えーとさ、その、『精』を見る修行でっちょっと躓いて――ああ、修行って言うのは色んな生き物の『精』を見て、なんの『生き物』なのか言い当てられるかっていうものなんだけど、それでね。」

「それで、なんだ。」

「ああ、その、うまいこと当てられなくて。それでより様々な『精』をたくさん見るために、水源京に行って頭冷やして来いって怒らせちゃって。」

「……あの千恵が怒ることなどないと思うのだが。」

「いやぁ、それはそれは本当にスゴイ剣幕で。雷様でも落ちたんじゃないかってほどに。」

「そうそう。怒髪天を突くってやつだ。目は地獄の炎のように赤く染まり、口は耳まで割け、その怒号は天を割り、その歩みは大地を砕く――。そう、この世の終わりみたいな状況だったぞ、あれは。」


ちょっと盛り過ぎなんじゃないか、ハク。

僕はそうなっている千恵を思い浮かべて笑いそうになる。


「……そうか。そんなにも、か。」

「ああそうだ。」

「だが、今の私の水源京は、千恵のいる場所よりも格段に『精』が少ないのだが。」

「――」

「……」


沈黙。


「いや、ほら。多すぎるのもよくないって言うか。ね、ハク!」

「お、おうよ。ほれ、木を隠すなら森の中っていうだろ?」

「ハク、それ逆。」

「あ、いやそうだ違う。『精』が多すぎると見分けがつかねーんだよ、こいつは。」

「そうそう!だから、あえて水源京でって!だから、お願い!修行の手伝いを、してくれないかな!」

「……」


 いや、こんな茶番でどうなるというのだろうか。僕は顔が赤くなっていくのを感じる。両手を合わせて頭を下げているから、こっちの表情は読まれていない。けれど、そんな表情を見るまでもなく、これが嘘だなんて小学生でもわかる。こんなんで、翡翠が水源京に入れてくれるわけがない。


「はぁ……」


 翡翠は声に出すほど呆れたため息をついた。そして何もかもどうでもよくなったのか、それとも吹っ切れてしまったのか……どっちも同じか……彼女は、小さく言った。


「ああ、……もう、勝手にしろ。」

「え――?」


僕は、顔を上げる。


「え?本当にいいの?水源京に、行っても?」


翡翠は顔を背け、ため息交じりに答える。


「……千恵に言われたのだろう。だったら、そうした方がよいのだろう。」

「――ありがとう!」


間違いなく、彼女は嘘だと気づいている。けれど理由はどうあれ、彼女が僕を水源京に来ることを許してくれたのは、純粋にうれしかった。


「じゃあ、明日お昼にお弁当を持ってくるね!」

「……いや、いらん。」

「何が食べたい?やっぱり唐揚げ?あ、いや、それとも魚の煮つけかな?」

「だからいらないと――」

「うーん、やっぱり、両方かな!」

「……」


 それ以上翡翠は何も言わなかった。ただ何とも言えない複雑な表情で、自分の足元に広がる世界をじっと見つめていた。




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