‐最強ゲーマーの異世界転移録‐ でも現実は怖いのでお願いですから元のゲームに戻って下さい……
おはよう。
声がする。
おはよう。
暗く閉じた世界の中、俺を拾い上げるような優しい声。
おはよう。
しかしその声は人の物ではなく、人によって造られた人工的な声。
しかし人自身も人の営みによって造られているので俺の考えは見当違いな気がするが、一般的な感性に従えば機械的な声。
俺はフルフェイス型のVRヘルメットを付けたまま、目を覚ます。
『……おはよう。現在の時刻は午後7時42分。土曜日です。』
……知ってる。そう思考すると俺を呼び掛ける声が止まり、画面にゲームを終了しますか?YES/NOと表示される。
俺は迷わずYESを選択。画面が透けて現実の背景が見えるようになり、ヘルメットのロックが外れる。
カシャン、プシュゥ……と音が鳴り、首元に接続されていたコネクタが外されて俺の身体はようやく動くようになる。
腕を動かしてヘルメットを外し、凡そ2日ぶりに身体を動かした俺は、痛む節々や筋力の衰えを感じながらベットから降り、部屋の端に設置されている冷蔵庫から栄養満点なゼリー飲料を取り出す。
今日の気分はバナナ味。ゲームで疲れた身体にはとても染みる素朴な味だ。
人工的な甘さととろけるような食物繊維の感触を味わった後、空になった飲料の袋を冷蔵庫近くのゴミ箱に投げ入れてトイレに向かう。
トイレでする事は、まずイチジク浣腸をケツにぶち込む事。こうしないと出ないのだ。
VRゲームをする上で一番ネックなのは下の事だが、最新式のVR機材に掛かれば1日2日程度なら漏れないように身体を調節してくれる。
ただ、念の為にオムツは必須だが。
もっとも、俺よりヤバい奴は完結型とかいうトイレと風呂と栄養食供給機とか言う様々な機能が内蔵されたコフィン型のマシンでVRゲームをプレイするらしい。
栄養食供給機のカセットも遠隔操作されたロボットが自動交換するというのだから、永遠とファンタジーの世界で過ごせるのだろう。
そしてお値段は何と300万円。一瞬高いと思うかもしれないがまぁよく考えて欲しい。
人間的な生活を捨てる代わりに自身の思う理想的な夢の世界で一生を過ごせるのだ。
カセット分の金、電気代と水道代、メンテナンスの費用と家賃が別途必要だがそんなものはゲーム内で幾らでも稼げる。
人々はそれだけ現実逃避を望んでいる。そして強さも。
楽しむ為、楽をする為なら人は金を惜しまない。投資と同じ。これが現実。
――それにだ。車1台買うより、新しい人生を一つ買う方が安いと思わないか?
君も剣を振るい、魔法を使いながら理想の自分で世界を生きたいだろう?
弱きを助け強きを挫き、社会の重圧から逃れてレアな装備で全身を包み、他者からの羨望を得て承認欲求を満たしたいだろう?
金を稼ぐために生きるより、生きる目的の過程で金を手に入れた方が楽しいし、気持ちいいだろう?
現に俺はそう思ってるし、仲間のゲーム廃人もそういう奴ばかりだ。
俺は下剤の効果で震える身体を労わりながら便器の上に座らせ、腹の中身を全部吐き出す。
時代の進歩のお陰でゼリー飲料が全て身体に吸収されるような物が開発されているが、俺はそこまで人間をやめてゲームをしたいとは思わない。まぁ既に若干人ではないのだが。
首元のコネクタ挿入口の閉じた蓋を触りながらそう思う。
俺は存分に人としての思いを便所で吐き出した後、ケツを拭いてシャワールームに向かう。まぁ目の前だが。
そのままシームレスに移動すると脱衣場の扉を閉め、眠気で霞む目をこすってから服を脱ぐ。
首元の伸びた、だれだれのスエットを脱ぎ、パンツを脱ぎ、ブラのホックを外して着脱し久々に鏡を見る。
VRゲーム廃人な生活を続けているお陰で存分に痩せ気味な身体に不釣り合いなほど大きな胸。
黒い髪は切っておらず、伸びるままに任せているし前髪で目は完全に隠れている。
ただ、頭では無く身体に生えてる方の毛は母親に連れられて行った美容クリニックにて永久脱毛。
女性的な綺麗さを保っているが、正直ゲームで忙しい身としてはどうでも良い。
しかし脱毛した事のメリットは非常に大きい。身体を洗う工程が楽である事と、匂いが気にならない事。
髪は長いままだが、頭皮さえしっかり洗えれば臭いは気にならない。それ以上の不安要素は無い。
どうしても気になった時は髪先までシャンプーとリンスを適当にしてやれば良い。そうすれば最低限は整う。
まぁ細かい御託を並べている時間は無いか。さっさと風呂入ってゲームに戻ろう。
皆が漆黒騎士である俺の帰りを待っている。
父の趣味により完全に自動化された風呂で、機械の手達により身体を洗われる俺。
事前に身体情報を登録してある為に1ミリも残さず丁寧に優しく洗浄される。
自力でやるには既に筋力が足りないのでこの改造はとても助かる。
泡は纏めて天井からのシャワーで流され、風呂は終わり。
最後に身体を乾かす為の暖かい風が風呂の中に吹き荒れ、俺は目を瞑る。
台風の中に居るって多分こんな感じだったハズ。もう何年も家から出てないから忘れてしまったが。
長い伸びっぱなしの髪が暴れ回り、隙間に含んだ水分が周囲に霧散する。
ついでに胸も揺れるので腕で抑える。なんでこんなに大きくなってしまったんだろう。
しばらくして風が止み、仕上げに風で荒れ放題となった髪が機械達に梳かれる。
なんでこんな無駄な事を受けなければならないのかと日々思うが、受けないとVR機材を取り上げると言われているので受けるしか無い。
金こそRMTで稼いでいるが、俺の親は見た目や清潔さに煩い。
髪は長ければ長い程良いとかいう意味が分からない理由でショートカットに出来ないし、少しでも身体が臭うと容赦なく風呂に浸けられる。
それが最低限の嗜みだとか抜かすが、ゲーム廃人で引き篭もりの娘に今更論理感を説かれた所で馬の耳に念仏だ。
何台ものロボットアームにより髪は整えられ、ようやく風呂から解放される。
風呂から出て、脱衣場に戻ると脱ぎ捨てた服は片付けられている。
その代わりに新しい、綺麗に畳まれたスエットとその上に下着二種が乗った物が部屋の中央にある。
俺は何も考えずにパンツを履き、ブラを着けてダボダボのスエットを着る。
大きく欠伸をして頭を掻きながら自室に戻り、疲れたように深呼吸を一息。
自室にあるものはベッド、冷蔵庫、勉強机。そして定期的に機械によって片付けられるゴミ箱。
冷蔵庫の中身のゼリー飲料も契約している定期便が届くので自宅から出る必要が全くない。
それに、俺みたいな奴がコンビニに行ったら絶対ヒソヒソと小さな声で怪しまれるだろう。
行った所でどうせゼリー飲料しか買わないからゼリーマンとか名前付けられて蔑まれるに決まっている。出たくない。
冷蔵庫を開けて中を確認すると、幸いまだ貯蓄がある事が分かる。
定期便は……まぁ、親かロボットが受け取ってくれるだろう。いつもの事だ。
一安心した所で俺はベッドに戻り、再びVRヘルメッドを装着して右頬にあるボタンを押す。
画面が起動し、首元のコネクタ挿入口が同期して開く。
ヘルメッドからは端子が伸びてきて首の挿入口に差し込まれる。
この異物挿入感や脱力感にも慣れたものだ。
画面上ではシステムの起動が行われていて、黒い画面の中に白い文字が表示される。
『……now looding……OK.』
『お帰りなさいませ。マイマスター、三鬼海ゆき様。今日は何をなされますか?』
その後暗転していた画面が白くなり、奥行きのある白い部屋を見ている状態に。
俺は手慣れた感覚でメニュー画面を開いて操作。
いつも通りにゲームを起動する。
俺が人生を捧げるに値するゲームを。
『承認。ゲーム名、“ユグドonline -Story of the beginning-”を起動します。』
画面にそう表示され、白い部屋に扉が出来る。
ゲーム名が書かれた看板を吊り下げた木目調で古いドア。
俺はそれに手を掛け、ドアを開く。
――ドアの外の世界は、夢と希望が溢れるファンタジーの世界。
古風なヨーロッパの街並みより少し上等に見える街並みと市場。
行き交う人々の中には耳が長く尖った者、腰ほどの背丈しかない者、更には人ではない耳が生えた者まで居る。猫耳とか。
動きを目で追い、匂いも感じる。手を握り動く感触を楽しむ。
このゲームには感覚で感じられる全てが揃っている。もう現実に等しい。
まず、この世界に入る前にひとまず深呼吸。
初心者の頃からそうだが、どうも癖になっていてやめられない。
気分を改め直した所で脚を動かし、前へ。
『――良い旅路を。』
部屋から出る直前、AIにそう声を掛けられる。
「どうも。」
軽く返答した私は漆黒の鎧を纏い、キャラクター名“ルスト”となってファンタジーの世界へ潜入する。
世界樹をその大いなる大地に根付かせ、剣と魔法と魔物と勇者と魔王が跋扈する我が理想郷へ。