令和な日々・プレストーリー編

平成31年4月2日(火)「桜」

　朝。時間通りに目覚めたが、熱っぽさを感じる。

　ひとつ、ため息をつく。

　いつものことだ。分かっていても自分の身体が恨めしい。

　もう一度、息を吐くと、気持ちを切り替える。

　朝の稽古は中止。

　母と師範代にメールを送り、再び眠りにつく。

　起きると、8時を回っていた。

　春休み中なので、慌てることもない。

　熱を測ると、微熱といったところだ。

　自室を出てダイニングへ。

　テーブルに母の手書きのメモ。

　それを目にしながら冷蔵庫を開け、ポカリを取り出す。

　水分補給は大事。

　あまり食欲はないが、軽くお腹を満たしておく。

　洗顔、歯磨きを済ますとすっかり眠気は消し飛んでいた。

　普通の人ならどうということのない微熱だが、わたしの場合は無理ができない。

　先天的に免疫力に問題があり、幼い頃は入院を繰り返した。

　今は当時に比べればかなり良くなったが、少し無理をしただけで数日寝込むことになるのは変わらない。

　午前中は図書館から借りた本を読んで過ごす。

　私の部屋の中でもっとも存在感を示しているのがダブルベッドだ。

　寝込むことが多いので、引っ越しの時に奮発して高機能・高品質のものを買ってもらった。

　あまりお世話になりたくないのに、引っ越してからの3ヶ月は寝心地の良さを堪能し通しだ。

　そのベッドで寝転がって本を読んでいると、時間の過ぎるのはあっという間だ。

　気付くともうお昼。熱を測ると平熱に下がっていた。

　朝が軽い食事のみだったので、昼はちゃんと食べておきたい。

　とはいえ、買い物に行くのはなあ……と思い、冷蔵庫の中を漁る。

　結局、夕食の残り物とレトルトの総菜を組み合わせておかずにする。

　夜はどうしよう。

　食後は軽くストレッチをして身体を動かす。

　無理はしない。

　できない。

　私は自分の心をコントロールする。

　それが生きるために必要だから。

　もうすぐ14歳になる。

　医師に20歳まで生きられれば、と言われたこともある。

　大丈夫、長生きできるよと言った医師もいる。

　いつ死ぬか分からないのはだれもいっしょだ。

　過去を悔やんだり、他人を羨んだりする暇があるなら、自分がやりたいことのために時間を使いたい。

　日差しにつられて外を見る。

　雲も出ているがまずまず良い天気。

　思い悩んでも仕方ない。ガラス戸を開け、ダイニングからベランダに出ようとすると、冷たい空気が吹き込んできた。

　寒っ！　慌てて閉める。

　日差し詐欺だよ。

　それでも諦めきれず、スウェットの上から冬物のジャンパーを着ておそるおそるベランダに出てみる。

　少しは太陽の光を浴びないと。

　ベランダから見下ろした先に私が通う中学校がある。

　桜が咲いているのが見えた。

　上から見下ろす桜も良いね、なんて思ったが、ほんの数分で室内に逃げ帰った。

　寒さは苦手だ。

　角度的にベランダに出ないと桜は見えないので、私のお花見はこれで終了。

　新学期になれば、また見る機会もあるはずだ。

　引っ越してきたのは去年の暮れで、3学期からこの中学校に通っている。

　実際には、通っていると言い切れないほどに休みがちだった。

　運動は嫌いじゃないし、苦手でもない。むしろ得意だ。

　自分の思い描くままに体を動かすことが楽しい。

　子供の頃に比べれば、丈夫になった。

　寝込む日数も減った。

　冬場はほとんど学校に行けなかったことを思うと、半分でも行けることを喜ぶべきなのだろう。

　問題は、転校した直後に休んでばかりでは、友だちができないということだ。

　……友だちいなくても、平気だし。

　それが強がりだとは自分でも分かっている。

　前の学校では、親友と呼べるほどではないが、普通の友だちなら何人かいた。

　引っ越してからは音信不通になったけど。テレビを見ないし、芸能人のゴシップや恋愛話に興味が無いので、そのハンディキャップの方が女子としては大きかったかもしれない。

　幸い、これからクラス替えだ。

　暖かくなれば休む回数も減る。

　例年、5月以降はほぼ休みなく過ごせている。

　4月をいかに乗り切るかが一番の課題だ。

　そういう意識もあったので、今日は無理をしなかった。

　始業式の日に休むなんてことになったら最悪だ。

　やっぱり友だちは欲しい。

　……親友なんて贅沢は言わないから。

　家事や雑用をしながらそんなことを思い悩んでいたら、もう夕暮れが近付いてきた。

　始業式のことよりもまずは今夜の夕食をどうするか。

　買い物に行くか、出前を取るか。

　ネットスーパーという手もあるし、宅配のお弁当のチラシもあったはず。

　なに食べたいかなあ。

　そんなタイミングで電話が。

　師範代からだった。

「具合、どう？　まだ寝てるの？」

「いえ、熱は下がりました」

「良かった。それで、ちゃんと食べてる？　ひとりなんでしょ？」

　師範代は母と同世代の女性で、こちらの道場に通い出してまだ3ヶ月なのになにかと世話を焼いてくれる。

　ちょっと押しの強いところもあるが、とてもありがたい存在だ。

「夕方の稽古が終わったら、夕食作りに行ってあげるわ。何か食べたいもの、ある？」

　私は感謝の言葉を伝える。

　ひとりには慣れている。

　母ひとり子ひとりの家庭で、母は仕事に生きがいを持っている人。

　祖母に面倒をみてもらう時間の方が長かった。

　母の愛情はもちろん感じている。

　私自身、母の重荷にはなりたくない。

　でも、寂しいと感じる時はある。

　夜。

　インターホンが鳴った。

　師範代を迎える声が弾んでいることに気付く。

　普段はクールが売りなのに。

　心をコントロールするのは難しい。