平成31年4月1日(月)「令和」
「令和かぁ」
さきほど発表された新元号を口に出してみる。馴染みのない音の響きだ。時間が経てば慣れるのだろうか。
平成が31年で終わった。
その半分も生きていないわたしからすれば、平成より前なんて遥か昔の出来事のように感じるが、”じいじ”――わたしの祖父はもちろん、両親だって昭和の生まれだ。
一緒にテレビを見ていた”じいじ”は、平成なんてあっという間だったと言うが、わたしはそういうものかと思うだけだ。
春休みのこの時期は、北関東の山あいにある”じいじ”の家に滞在するのが恒例になっている。
わたしの誕生日に合わせて家族で来て、両親はすぐに自宅へ戻るが、わたしは春休み中ここで過ごす。
以前は姉も一緒だったが、ここ数年は両親と一緒に帰ってしまう。
昼食後、いつものように散歩しようと外に出ると、寒い。
慌ててハーフコートを着込み、靴もジョギング用のスニーカーにする。
一昨日はもっと寒くて散歩に出るのを諦めたくらいだからそれよりはマシだけど、わたしの住む神奈川に比べるとかなり寒いことが多い。
天気は午後から下り坂と言っていたが、まだ晴れ間が残っている。
少し歩くと、分かれ道がある。
舗装道路の脇道となる山道で、上った先には神社がある。
普段は通り過ぎるが、今日は思い立って、その山道へ進むことにする。
新しい元号に変わったことに浮かれていたのかもしれない。
険しい道というわけではないが、慣れてないせいで歩きにくい。
中1になってから毎朝ジョギングをするようになったが、運動神経も体力もないのは自覚している。
ゆっくりと、休み休み上っていく。
日差しは木々で隠れているものの、上り始めると体が温まってきた。
家の中は暖房が効いていたせいで外に出た直後は寒く感じたのだろう。
自然の中を歩いているとテンションも上がる。
しかし、それは長続きしなかった。
すぐに息が切れるようになり、少し厚手のハーフコートのせいで、むしろ暑すぎて汗が出始めた。
これを脱ぐと一発で風邪を引いちゃいそうなので、脱ぐわけにもいかない。
20分ほど歩いた。
まだ神社にたどり着けない。
2年前だったか、夏に姉やいとこ達と神社まで上ったことがある。
あのときは何分くらいかかっただろう。
2年前のわたしができたことだから、上れないはずはない。
でも、小学生だったからなあ……父親におぶってもらったりしたかもしれない。
お正月とお盆は”じいじ”の家にいとこ達も集まる。
”じいじ”の孫は7人いる。その中でわたしが一番年下だ。
”じいじ”はいつもわたしを特別扱いするが、それは年齢のせいではない。
日本人離れした彫りの深い顔立ち。
白い肌。少し青みがかった瞳。
ロシア人の血を引く”じいじ”は若い頃相当モテたらしい。
でも、派手な生活はせず、仕事に明け暮れ、一代で会社を築いた。
地元じゃ名士と呼ばれるようになった。
”じいじ”には子供が3人いた。
男ばかりで、みんな母親似。
いかにも日本人という顔だった。
それが理由ではないだろうが、3人の息子たちには会社を継がせず、大学を出たら自力で生活しろという教育方針だったそうだ。
孫もみな普通の日本人といった顔立ちだったが、最後のひとり、つまり、わたしだけ祖父の血を色濃く受け継いだ。
わたしは小さい頃からよく外国人に間違われた。
髪は金髪ではないが、赤茶がかった色合いだし、肌も白い。
顔もロシア風。
実際にロシア人と並んでみたら日本人っぽさも感じるんだろうけど、日本人の中にいるとかなり目立つ。
わたしが生まれた時、”じいじ”は大喜びした。養女にするとまで言ったらしい。
両親が反対してそれは実現しなかったが、話し合いの末、成人するまでの洋服などのファッション関連の費用と高校の学費を”じいじ”が持つこととなった。
幼い頃から可愛い服をいっぱい買ってもらった。
ある程度自分で欲しいものを選べるようになると、どうしてその服が欲しいのか”じいじ”に説明するように言われた。
”じいじ”は口も出すが金も出すというのが信条の人で、買ってもらえば終わりとはいかない。
”じいじ”の家で着てみせたり、写真を送ったりしなければならない。
それは、わたしにとってとても楽しいことだった。
今から振り返ると、物心ついたときから、見られることに自覚的だったと思う。
どんな服を着れば自分が可愛く見られるかに関心があったし、単なる着せ替え人形に終わらずに済んだ。
今のわたしの興味の大半はファッション関連のことだし、将来の夢はファッションデザイナーだ。
もちろん”じいじ”の贔屓のせいで、いとこ達から色々嫌みを言われたこともある。
そんないとこ達からかばってくれる姉も、内心思うことはあるだろう。
それでも、”じいじ”のお蔭で、普通ではあり得ないような体験をさせてもらっている。
それは心から感謝している。
くしゅん。
休んで、そんなことを考えていたら少し体が冷えた。
まだ体力の限界というわけではない。
でも、帰る分の体力を考えたら、神社は諦めるしかない。
「帰ろう」
元号が変わった初日。
いきなりの挫折にテンションは下がったが、こればかりは仕方ない。
無事に帰り着いて、”じいじ”にそのことを話すと、
「何を言ってる。元号が変わるのは5月1日からだぞ」
おおっ! わたしは自分の早とちりを嘆くべきか、新たな時代の一発目を挫折の記憶にしないで済んだことを喜ぶべきか、思い悩みながら力なく笑った。