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正論_なぜ拒絶されるのか  作者: ボーロン
第1章 旅立ち
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第9話 自己嫌悪_あるがままのあなたでいい

自己嫌悪_あるがままのあなたでいい

タイトル通りですよ、あるがままのあなたがいいのです。ご自分を嫌悪しているあなた自身は優しく魂の美しい人なのです。だからこそ、あなたは自己嫌悪に陥っているのです。


我思う故に我あり。「Cogito ergo sum コギト・エルゴ・スム」として私は覚えていました。哲学者 デカルトの有名な命題ですね。「方法序説」の土台となる考え方です。全ては疑い得る、疑うべきである。全てを疑いぬいていくと全てが疑わしい。


夕焼けの海に沈む蜜柑のような夕日も、吹き抜けた一陣の風や、夜空に揺らめくアンドロメダも、実在するものなのか疑わしい。それでも、疑っている自分の存在は疑えない。自分の実在を疑う事は無意味で無価値なのです。そこから、デカルトは出発して、真理を知る方法を確立したのですね。真理の推定の原則と私は呼んでいます。無罪の推定の原則と全く論理構造は同じですね。


考え込んで、デカルトの原点である、全てが疑わしい状態に囚われる事が、人にはあります。唯我論のような。全てが自分の想像の産物なのかと疑ってしまわずにはいられない。世界が実在するものなのか確信が持てない。


他者の媒介を必要としない自己だけで完結する存在。それは「神」ですね。「神」となって新しい存在を新しい世界を創造すればいい。無意味で無価値なら新しい価値を創造するのです。物語を書きなさい。あるがままのあなたがいいのです。


辛いなら歌うといい。

いざ歌へ、絶え間なき戦ひに疲れはて、節々の痛むとき、いと苦き悲みの迫る時、(なれ)が子の死ぬばかり病める時、母に似し物乞ひを 見たる時、汝が恋につくづくと()める時、物いはぬ空を見て、いざ歌へ、その時ばかり、あはれ、我が飢えたる者よ。_詩人 石川啄木


――「輝く暁の明星のいと美わしきかな」――


(私の想像世界では_詩人 石川啄木は私で美しく輝く暁の明星は君だ)


*全てあるがままのあなたがいいのです。


*僕の声は君に届かなくなった。

 僕はもう、心を閉ざした君を見守る事しかできない。

それでも、あるがままのあなたがいいのです。ご自分を嫌悪しているあなた自身は優しく魂の美しい人なのです。見守る……、見てるだけだ。つらいですよね。

私は、自分で自分が許せない感情は、死に至る病であり、それは灰色の絶望である。そういう類いの本を何冊か読んでいました。読んでいて知っていて自分で自分が許せない状況になりました。

私は心の底から愛している人たちがいて、心の底からその人たちに喜んで欲しいと願っているのに、何故か悲しませてしまう。私は私がしたいと思っている事が出来ないで、かえって逆のことをしてしまう。神よお許しください……。でも私は神を信じてはいなかったし、今も信じていません。


私は自分で自分を追い詰めてしまい、逃げ場を失った時、こう思うことにしたのです。この世に生まれた瞬間にゆるされたのだ、許されて生まれてきたのだと。それから不思議なことに少しずつ傷は癒されていき、今はそこそこ平穏に幸福に暮らしています。ラノベのプロットを考えたり、大真面目にエッセイを買いたり、変な恋愛小説も少しだけ連載できました。


…様は優しい人です。お元気になられることを祈っています。

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