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正論_なぜ拒絶されるのか  作者: ボーロン
第1章 旅立ち
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第1話 正論_なぜ拒絶されるのか

正論_なぜ拒絶されるのか

短編;「正論_なぜ拒絶されるのか」を削除すべきだと考えていた。しかし、もうお一人の方が評価をして下さりブックマークもして頂けた。有り難いことだ。御礼申し上げる。

但し、削除の準備だけはしておきたい。


正論_なぜ拒絶されるのか

【先ず考えられるのは正論が正論でない場合であろうか。属する党派が異なれば、他方の正論は正論ではない。領域が異なればルールも異なる。それが正義の多元性という事だ。このケースは論理的な拒絶である】


【次に考えられるのは感情に突き動かされて反発する場合である。

"私たちの間に小さな矛盾はあるが、それは主要な矛盾ではなく、敵対的な矛盾でもない" この事は同一のコミュニティーに属しているならば正論であって、毛沢東が言おうが田中角栄が言おうが、或いは、不倫した妻が言うのであっても、共同体として未来を共有しようとするならば、正しい筈だ。それでも拒絶されるのは、「お前が言うな!」と言う感情的な拒絶である。】




【その次に考えられるのは、正論を理解する能力がなくて拒絶する場合である。(このケースでは生来の資質による能力の不足は考慮しないこととする。)】


【正論_なぜ拒絶されるのか】

このタイトルはそのまま問いを立てているとします。

その答えを三分法で分類してみました。


そうすると次の課題は次の通りとなります。

【正論を認めさせるにはどうすればいいのか?】

ここで、この「問い」に答える前に、「日本の外交政策_是か非か」を例題として考えてみます。

そこで、役に立つ道具が矛盾論"私たちの間に小さな矛盾はあるが、それは主要な矛盾ではなく、敵対的な矛盾でもない"なのです。主要な矛盾がないのだとすると、主要な部分で戦略的に一致していることになります。小さな矛盾も敵対的な矛盾もゼロになることはありません。常に量的に変化しています。全ては変化する。変化するという事だけが変化しない。これが弁証法です。小さな矛盾も敵対的な矛盾もゼロにはなりませんが、人の努力によって、限りなくゼロに近づけていく事は可能なのです。役にたつ道具なのです。小さな矛盾も敵対的な矛盾も、その対立点を客観的に詳細に検証して、対立する原因をつきとめる必要があります。原因と結果を知ることが出来れば、原因を制御する事で結果をも制御出来るのです。国家の戦略はどうあるべきなのか。先ず考察する事が喫緊の課題です。


日本の外交政策は弱腰でけしからんのならば、砲艦外交・恫喝外交でいいのでしょうか?

そうすると、"【力なき正義は無力であり、正義無き力は暴力である。力なき正義は無能であり、正義なき力は圧制である。力なき正義は反抗を受け、正義なき力は弾劾を受ける。それゆえ正義と力を結合せねばならない。】(パスカル)"ということになります。正義と力の結合とは、現代では、突き詰めれば「核武装」になります。世界中を相手に共倒れの危険を覚悟して生きていくのが、国家戦略を実現する戦術として正しいのでしょうか?私はそう思いません。"「どんな現象でも、これを周囲の連関を外にして、それらの条件から切り離して考察するならば、ナンセンスと化しうる………一切は条件、所、時にかかっている。」(スターリン『弁証法的唯物論と史的唯物論について』" スターリンですら、いいことをいう時もあります。敵であろうと、学ぶべき事はあるものです。国家の存亡と国民の生命がかかっているのです。簡単に考えない方がいい。


最初のケースは正義の多元性を原因とする論理的な拒絶でした。解決するには、異なる領域の異なるルールを超越する統一原理が必要になります。多様性の政治哲学・多様性の倫理学を以て議論による平和的な解決を図るのが最善の方法です。


次のケースは感情的な拒絶でした。感情が原因ですから感情を制御しなければなりません。穏やかに相手の感情を解かしていけば、己自身が解き放たれる事もあるでしょう。穏やかに交わされる日常的な会話による議論で解決を図る事になります。ただ、注意すべきなのは次のような事です。 "賢明な心の広さとは、何に対しても見境なく心を開くことではありません。白黒つけるべき状況に対して あいまいな態度をとるのは、正しくありません。また、すべてに寛容になるのは、意味がありません。 (論理ノート 著者D.Q. マキナニー 翻訳 水谷淳 ダイヤモンド社, 2005)" 見境なく心を開くならば相手に呑み込まれ相手に説得されてしまい議論に負けてしまう危険があります。双方は決裂するか、或いは、敗者が勝者に従属し、支配される事になります。


最後のケースは理解する能力の不足を原因とする拒絶でした。その原因は「環境は教師である」或いは「世界はマインドコントロールに覆われている」(二つの表現の意味は同じだとします)ことなのです。


生きている環境のせいで認識が歪んでいき、偏見などの間違った信念を持つようになっていきます。そうすると、もはや、聴く耳を持たず、相手の言っている事を理解する能力が不足してきます。頑迷固陋な狂信者のような人になってしまいます。環境は人が作るものです。人は環境を作り変える事が出来ます。例えば、会社や学校は、政治的に、司法・行政・住民運動・マスコミ或いは労働組合などの力によって、改革する事が出来るのです。そこで有効な手段となるのが「議論」です。


真実を見極めるための知識即ち弁証法を武器として、平和的な解決手段である議論に、勝つのがやはり最善です。


【全ての生命のかかった深刻なケースで、議論による平和的な解決を図るのが最善なのです。】

かつて、あの悲惨で醜悪な戦争を続けながらも、アメリカと北ベトナムは諦める事なく、パリで議論を続けた結果ともあれ戦争は終結し多くの命が救われたのでした。




以下の通り。正しいとは思いませんか?


問い:【正論を認めさせるにはどうすればいいのか?】

答え:【真実を見極めるための知識・弁証法を武器として議論に勝てばいい】

―――――――――――――――――――――――――――――


転載するに当たり

以下:私に帰属する返信の部分を編集して付記する。


ボーロン [2019年 02月 06日 01時 24分]

感想ありがとうございます。

気になる点

「である」と「です、ます」は故意に変えています。その理由は意見・主張として断定し、説明するという意図がありました。


何に対してかというと全ての人に対してという事になります。何が言いたいのか、簡単に言うと、喧嘩して決裂する前に良く話しあいましょうね。議論をしましょう。議論する訓練をしようね。ということになります。書きたいことが適切に表現出来ない原因は私の力量不足なのは自覚しております。目標は高く掲げて精進していきます。余生はさほどありませんけど。


一言。

日本は戦後、まあまあ、うまくやってきたと、私も思っています。弱腰のようでしたたかな一面もあったのでしょうね。戦後の繁栄はその結果でもあるでしょう。核の傘に守られて、ただ乗りではなく、安保条約に定められたものより過分な負担もしてきました。ただし、非武装なとどいう欺瞞には我慢なりません。


もはや、アメリカもあてにはなりません。

核武装すべき時期がきてるのかもしれません。

アメリカにも日本の核武装を勧める論者がいることも承知しております。私は核武装論者でありましたし、武力保持を明記した憲法改正も支持しています。

アメリカにも、韓国にも、反日、親日、絶対平和主義、色んな人がいることも忘れてはいけないと思ってもいます。


共倒れを覚悟して核武装すべきだと主張する人があるなら、その人は平和的に議論をすべきなのです。エッセイを書けばいいのです。そして議論に勝てばいい。私は正しい主張に従うことに躊躇はしません。


感想をいただき本当に感謝しています。有り難うございます。



ボーロン [2019年 02月 06日 02時 01分]

つい先ほど改稿しました。

よくわからないとご指摘を受け私は考えました。より理解しやすく丁寧に説明も加えました。止むことなく努力していきます。

現実的なものは合理的であり合理的なものは現実的である。

これはヘーゲルだったかと思います。核武装であれ、小説であれ、そういうものだと、私は思います。


ボーロン [2019年 02月 06日 02時 13分]

黒い発想だよ? という人が黒い発想だよ? という小学生みたいな返信でいいですか?一言で。

(対話者の作家様は、ベーシックインカム導入を、主張される立派な方でした。即断は禁物です)


ボーロン [2019年 02月 06日 19時 56分]

感想ありがとうございます。

根拠のない何かを信じる人達、一見すると世界的な大勢力のようですが、内部には原理派、過激派、穏健派、信じてはいないんだけど様子見しながら勝手に生きてる日和見派等々。そこに突破口はある筈だと考えています。無視したくても無視することも出来ません。世界は狭くなり過ぎました。無理だと諦めてしまう訳にもいかないんです。その人達も環境に教育されて現在に至るわけですから、その環境を変えるため働きかけ、少しずつでも積み重ねていくならば、全ての理性的な個人が、いつか必ず領域を超越する統一原理で導かれた正論に、合意する筈です。


ボーロン [2019年 02月 06日 20時 34分]

追伸です。

遅ればせながら気がつきました。その根拠のない何かを信じる人達は、非論理的拒絶ですね。最後のケースの理解する能力の不足を原因とする拒絶に該当します。

能力不足は環境という教師が、原因ですから、環境を変えることに協力することで問題解決を図ることになります。

考えてくださってありがとうございました。


ボーロン [2019年 02月 06日 23時 46分]

感想ありがとうございます。

私はそれぞれの正義の源泉である異なる領域を超越する統一原理が必要であり、それは、多様性の政治哲学・多様性の倫理学であると言っています。そして、国家戦略(国家の最優先すべき目的)とは、国民の生命を守り国民が共有する国家を維持発展させること。だと考えています。

あなたの仰る大戦略とは、国家戦略の手段である「戦術」のことではありませんか?「戦略なき戦術は無意味」「戦術なき戦略は空想」「戦術は戦略に従属する」などと一般に言われておりますね。寧ろ、私はあなたに、教えていただきたく思います。

あなたも、お暇があれば、エッセイをお書きになってください。私は多忙につき、これ以上、この場では返信できません。

お許しください。


ボーロン [2019年 02月 11日 07時 12分]

感想ありがとうございます。

仰る通りですね。大衆の組織化された意見や習慣を意識的に巧妙に操作する事が「民主主義社会」では重要な要素になっていて、この目に見えることのない機構を操作する人間が国家の真の支配者であって、国家の真の支配勢力である目には見えない真の「政府」を構成しているのだと思えてなりません。我が国もイエスの時代のローマ帝国と本質的にはさほど変わっていないカモフラージュされた帝国ではないのかと疑った方がいいのでしょうか。


ボーロン [2019年 02月 08日 08時 31分]

おはようございます。

自分の文章には完全オリジナルなものは欠片もありません。影響を受けたものばかりです。私のエッセイの目的の一つは、私が印象深く覚えていて、その時々に何かに関連づけられて、フラッシュバックしてくる「名文」を読者に紹介し、魅入られそうな言葉(イデア)の世界にいざないたい。という事なのです。

悠久の歴史を振り返ると進化と反動の波はあるものの、確かに世界は進歩していると実感する。

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