第8話 お茶の時間
客間も兼ねた居間には、中央に大きなテーブルが据え置かれていた。その天板の端には医学書や絵本、籠に入った果物やビスケットの缶などが無造作に積み上げられているが、四人で囲んでも窮屈に感じないくらいの広さが残っている。
食器棚から出されたティーカップは色や柄がばらばらだが、白磁に青い花の絵付けがされているものや、深紅の薔薇と共に金彩で蔦が描かれているもの、貝の内側のように虹色に艶めくものなど、どれも綺麗でハナハルの趣味の良さを感じさせた。
ハナハルが沸かしたお湯をポットに注いでしばらく、ソワイエの目の前のティーカップに、澄んだ赤色のお茶が注がれる。あたたかな湯気が、窓から差し込む橙色の斜陽の中で揺らめいた。
「ソーマは砂糖の入れすぎだ」
「だってこのお茶、酸っぱすぎるだろ。甘くしなきゃ飲めねぇよ」
ハナハルの指摘に、それでもソーマはシュガーポットに入った角砂糖をティーカップに落とし続けた。1、2……3。ポチャンと水音を立てて沈むそれを、彼は無造作にスプーンでかき混ぜる。
「ソーマはお子様なのー」
「5つも入れたアビに言われたくねぇな」
「うわ、そりゃ甘すぎだ」
ソワイエは苦笑しながら、砂糖を入れていないティーカップを傾けた。口にしたお茶が薔薇の芳香と梅に似た風味で、舌をくすぐり鼻孔を抜ける。たしかに酸味が強くて独特な味がした。
酸っぱいと文句を言いながらも、花しか食べられないハナハルの体質を考慮して、薔薇の名前のついたローズヒップティーを土産に選んだソーマ。先程やたらと嬉しそうだったハナハルの様子といい、なるほどそういうことかとソワイエは一人、カップで隠した口元をほころばせる。
「ね、ね、ソワイエちゃん、こっちのクッキーも食べて。アビのおすすめなの」
クッキーの並んだお皿を両手で持ち、腕でぴんと持ち上げてソワイエに笑いかけるアビゲイル。その愛らしさにくらくらしながらも、なんとか動揺を抑えたソワイエは、狐色に焼けたクッキーのひとつに手を伸ばす。
「……うん、美味い」
「でしょでしょ! 二区のね、〈Jumelles〉ってお店のクッキーなの。レミィちゃんとレオンちゃんのお店なのよ。クッキー以外にもね、ケーキがとっても美味しいの」
満面の笑みで、えっへんと胸を張るアビゲイル。思わず抱きしめて頬ずりしたくなる衝動をこらえ、ソワイエは彼女のまるい頭をまたくりくりと撫でた。口内はクッキーの味から変わって、すすって逆流した鼻血の味がする。
「ソワイエ、お茶のおかわりはどうだい?」
腰を浮かせたハナハルを、俺がやるよとソーマが留める。悪いね、と微笑む彼女に彼は適当に相槌を打ち、沸かしたお湯をティーポットに注いだ。
「そういやあんた、四区民なんだって?」
ティーポットを軽く揺すりながら、ソーマがソワイエに尋ねる。
「ああ、うん。ちょっと前に越してきたんだ」
「そっか、どうりで見ない顔だと思った。ちなみに、どの辺に住んでるんだ?」
「えーっと、なんて名前の建物だっけか……あ、そうそう、オセロ・アパートメントってとこだよ。わりとだだっぴろいところにある、白い建物なんだけど、分かるか?」
「あぁ、あそこか。まあまあ治安はいい方だけど、もし何か困ったことがあったら、俺を訪ねてこいよ」
頼もしげに微笑むソーマが四区民であることは、異質さを含んだ気配から薄々分かっていたソワイエだが、突然頼ってもいいと言われて、初対面なのに面倒見が良すぎるんじゃないかと、思わず首をかしげてしまう。
それを見た彼は、ぷは、と吹き出した。その笑顔はソワイエが見てきた表情のなかで、一番幼く見えた。
「慈善事業じゃないから安心しろって! ちゃんと貰うものは貰うからさ。あぁでも、俺が面白いって思う案件ならタダになるかもな。〈クレセントムーン〉って名前の……まぁ言わば便利屋やってるんだ、俺」
「なんだよ仕事の話かよ……まぁでもこれも何かの縁だし、なんかあったら依頼させてもらうことにする、さんきゅ」
思わず机に突っ伏した彼女の姿を見て笑いながら、ソーマがカップにお茶を注いでくれる。ソワイエは自身の腕にあごを乗せて、彼の服の隙間から覗く、引き締まった腕を眺めていた。
(便利屋、ねぇ)
無駄な肉のついていない鍛えられた腕には、ポットより鋭い刃のような武器、あるいは何かを破壊するために握られた拳が似合う気がしたが、ソワイエはそれを口にはしなかった。
「ソワイエちゃん、こっちは食べた? あのね、ココアクッキーも美味しいの」
「……っ」
かまって欲しいのか、またクッキーをすすめてくるアビゲイルの可愛らしさに、ソワイエには思わず息を詰めて胸を押さえた。心臓を跳ね上げるときめきに耐えて、うめき声が漏れそうなので抑えた返事の代わりに、アビゲイルの頭をまたくりくりと撫でる。
(あぁ……可愛い……こんなの俺と同じ成分でできてなくて当たり前だよな……)
ソワイエが滑らせる手に、猫のように気持ち良さそうに瞳を細めるアビゲイルからは、初めから気付いていたのだが生き物の匂いがしない。外見はまったく人間の子供と変わらないけれど、人造人間――いや、機械人形だろうか。
アビゲイルの期待に応じるように、ソワイエは茶色く焼きしめられたクッキーを指先ですくい、歯を立てた。咀嚼しているうちに、口のなかで甘さと少しの苦味が広がっていく。けれどその身のうちに獣が眠るソワイエには、その味覚は味覚のまま終わり、美味という感覚の琴線が震えない。彼女の琴線を震わせる食べ物は、もはや血肉だけなのだ。
「うん、こっちも美味いな」
ソワイエは二度目の嘘をついた。
アビゲイルが嬉しそうに笑う。クッキーにまったく手を付けず、誰からもそれをすすめられないハナハルも、その様子を見て楽し気に目を細める。
「アビはすっかりソワイエになついたな」
「うん、ソワイエちゃん優しくて好きなのよ。もちろん師匠のことも大好きよ! ソーマはふつう」
「おい、そこはお世辞でも好きっていうところだろ」
「ソーマは最近師匠をひとりじめしてるからずるいのよ。だからふつう!」
「な、ちょっ……おい、俺は別にひとりじめになんかしてねぇぞ!?」
「そうか、してないのか。じゃあすべてはボクの思い込みに過ぎなかったのか。悲しいほど滑稽だな」
「おい、話をややこしくすんなハナハル!」
ソワイエは彼らの会話に、思わず声を立てて笑った。
美味しいものを囲んで交わされる、明るくてなごやかな会話。まるで家族みたいだ。
(……嘘もついているし、隠しごとだってしてるし、みんなどこか、歪なのに)
それでもソワイエは、光がたっぷりと降りそそぐあたたかな部屋で、同じものを食べたり飲んだりして、楽しく会話をして笑い合う光景に、在りし日の家族の姿を重ねずにはいられなかった。