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紅い獣とすみれの陽だまり  作者: オノイチカ
第2章 彼はすみれと例えられ
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第7話 異質者と訪問者


 高額なものを除いた一通りの検査が終わった。

 12日後に結果が出るから、またここに来るようにと、ハナハルがソワイエに指示を出していたその時。季節の変わりめ特有の強い風が吹き、木枠にはめられた薄い硝子がカタカタと鳴った。庭から診療室へひとひらの花びらが舞い込んで、強い花の香りがたちこめる。


「風、強くなってきたね」


 ハナハルは窓辺へ行き、立てつけの悪い窓を揺すりながら閉めた。それから窓際の棚の上に落ちた花びらを指先で拾い上げ、ごく自然な動きで舌先に乗せたかと思うと、そのまま唇を閉じて花を咀嚼(そしゃく)する。

 ソワイエはその姿に少なからず動揺したが、ハナハルは平然としていた。


「……庭からだけじゃないな。あんたからも、花の香りがする」


 窓を閉めてもなお華やかに立ちのぼる芳香に、ソワイエは鼻をひくつかせた。花びらを嚥下(えんげ)したハナハルが、しめやかに笑う。


「ボクは新鮮な花しか食べないんだ。だからかな」


 当然のことのように呟くハナハルを見て、ソワイエはそういうことかと()に落ちる。自分が異質なことをあるがままに受け入れているハナハルだから、先程ソワイエに率直な意見をぶつけたのだろう。納得がいって、思わず頬がゆるんだ。


「だからだろ。気配もどこか植物じみてる。ちゃんと心臓動いてんのか?」


 ソワイエの軽口に、ふふ、とハナハルは初めて声に出して笑った。その表情には、どこか悪戯いたずらめいた色が見え隠れしている。


「……確かめてみる?」


 ハナハルはソワイエの右手をひんやりと冷たい左手で取り、自身の頬に押し当てた。

 

「……っ」


 ソワイエは予想外の反応にたじろいたが、白木蓮の花びらのようにやわらかな感触に、肩の力が抜ける。

 そうして意識を手に向けると、ちょうどハナハルの首筋にあたった小指から、皮膚の奥で脈打っている鼓動が伝わっていることに気付く。手指をつたって流れてくる感覚に、ソワイエは微笑んだ。


「……ちゃんと生きてる。あったかい」


 人の体温は心のどこかをゆるませる作用があると、ソワイエは思う。やわらかくて良い匂いのする女性のものなら、なおさら。彼女が女性を愛玩(あいがん)する理由はそこにもあった。側にいて触れていると、安心する。


「師匠ー! ただいまーなのー!」


 突然耳に飛び込んできた愛らしく快活な声に、ソワイエははっと現実に戻った。

 鈴の音のような声音は患者にしては元気が良すぎると、ソワイエが不思議に思っているうちに、パタパタと軽く賑やかな足音が近付き――バンッと勢いよく診療所の扉が開く。


「患者さんなのー?」


 そこに立っていたのは、長く豊かな浅緑色の髪が印象的な少女だった。まるく幼いほっぺたを薄紅色に上気させ、好奇心いっぱいのきらきらした空色の瞳で、こちらの様子を伺っている。


(だれだこの女の子、可愛い!)


 ソワイエが突然現れた少女に目を奪われ、その愛らしさに固まっていると、少女はハナハルとハナハルの頬に手をあてたソワイエを交互に見て、大きな瞳を一、二度しばたたかせた。それからパッと破顔して、勢いよく二人の間に飛び込む。


「師匠とくっつきっこずるいのー! アビも混ざるの!」


「ぐえっ」


 小さな女の子とは思えない力強さで、みぞおちに頭突きをされたソワイエが(うめ)く。が、少女はそんなことを気にも留めず、二人の手を片方ずつとってぶんぶん振り回し、えへへ、と楽し気な笑い声を立てた。その視線がソワイエとぶつかると、にぱっと向日葵のように眩しい笑顔を向けてくる。


「はじめましてなの! アビはね、アビゲイルっていうの! 師匠はアビの師匠で、師匠のお友達はアビのお友達だと思うの! よろしくね!」


(わぁ、言ってることの意味は全然分かんねぇけど殺人級に可愛いマジ天使)


 ソワイエは眩暈を抑えながら、こくこくと何度も小刻みにうなずく。その返事に満足したのか、嬉しそうに自分の体に抱きついてくるアビゲイルの頭をくりくりと撫でながら、ソワイエは思わず天井を見上げた。このまま天使を見続ければ、間違いなく鼻血が垂れるからだ。


「おい、アビ。診療中は診察室に入っちゃ駄目だ。ハナハルが困るだろ」


 叱りつつも親し気に響くその声音は、まだ年若い青年のものだった。

 ソワイエが声のした方へ視線を投げると、開いた扉の向こうに黒髪黒瞳のしなやかな体躯(たいく)の青年が、こちらの様子をうかがっていた。全身黒づくめの格好に一瞬ナンバーゼロの姿が脳裏によぎるが、彼よりも若くて髪が短く、その表情にはどこか不器用さが見え隠れしている。

 扉から一歩下がり、診療所に足を踏み入れないよう気遣う青年に、アビゲイルは無邪気に笑いかけた。


「ソーマもくっつきっこするの! みんなでもちもち」


「するか! こっちに戻らないなら、買ってきたクッキーは俺一人で食うからな!」


「わあぁ、駄目なの! アビのクッキー!!」


 笑顔から一転、泣きそうな顔のアビゲイルが診療所の扉へ走る。そのままソーマの横をすり抜けて、隣の部屋──おそらくハナハルの住居へ足音は遠のき、次いでガサガサと紙袋をあさる物音が響いてきた。ソーマに横取りされないよう、あわてて買い物袋からクッキーを取り出しているアビゲイルの姿が、目に浮かぶようだ。


「……ったく。悪かったな、診療中に」


「大丈夫だ。アビのおつかいのお供、ありがとう」


「いや、別に……頼られるのは嫌いじゃないし」


少しぶっきらぼうにつぶやいたソーマは、ハナハルから視線を外して困ったように頭を掻いた。そんな彼の様子に微笑むハナハルは、先程よりどこか雰囲気がやわらかい。


「土産にローズヒップティーってやつを買ってきた。よく知らないけど、薔薇ってことはハナハルも大丈夫かと思ってさ。一息入れる時にでも飲んでくれ」


「ならちょうどいい。診察も終わったことだし、今からいただくことにするよ。ソーマ、君の分もれるから一緒にお茶にしよう。ソワイエ、良かったら君もどうだい?」


「え? あ、あぁ」


 二人のやりとりを傍観していたソワイエは、突然話題が自分に向けられたことに驚きながらもうなずいた。言葉に抑揚がついて白い頬がやや紅潮した、目の前のハナハルはどこかとても嬉しそうだ。


「じゃあ、いったん診察室を出て隣の玄関から入ってくれ。ボクの家、あんまり綺麗に片付いてないけれど」


 そう言い残したハナハルは、診療所の扉をくぐって部屋を後にする。


「アビ、手は洗ったのかい?」


「きちんと洗ったの! アビは偉いのー!」


 しばらくして、そんなやりとりが壁一枚隔てた隣部屋から聞こえてきて、ソワイエはそのなごやかさに思わず笑みを浮かべた。

 扉の先には午後の低い日差しがあふれ、黄金色に輝いている。


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