第53話 夢現の終わり
すべてを語り終えたサンセリテは、落としていた視線をそっと上げた。
「──これが、私の罪」
一輪の花欲しさに、愛しいひとを魔女に仕立て上げた。ひた隠しにしていたリュエットの秘密を、いともたやすく暴きたてて。
ソワイエは唇を噛んで黙っていた。眉根の寄った表情は、怒るのを堪えているようにも、悲しみを隠しているようにも見えた。
ソワイエは黙して語らない。サンセリテは息をついで言葉を重ねる。
「……だから、どうかここに残らせて。私は罪を償いたい」
火が躍り、木々が爆ぜる音が響く。背中に負った炎はその熱量をどんどん増していき、ひりつくような熱れで背を舐める。
サンセリテは赤い炎の影を表皮に躍らせる、リュリュとダグラットの顔を見た。彼らはソワイエの後ろに控え、言葉を失くして彼女を見ていた。ただ、驚愕の表情を浮かべて。
サンセリテは赤い瞳で彼らをなぞると、また正面に立つソワイエへと視線を戻した。そうして彼女は、愛しい面差しを見つめ続ける。リュエットの娘の……ソワイエの言葉を待って。
「……じゃない」
一瞬が、永遠に感じられる時が、過ぎて。
掠れた声がソワイエの唇から落ちた。その音を糸口にして、彼女は俯いていた視線を上げる。青い瞳が、まっすぐにサンセリテを射った。
「あんたのせいじゃない」
そう口走る彼女の顔は、ぐちゃぐちゃになった感情を必死で飲み込もうと懸命に堪えるものだった。それでも、その双眼には強い光が宿っていて、迷いは微塵も感じられない。ソワイエは再びサンセリテに手を伸ばした。
「それでも、罪を感じるなら……死で贖うんじゃなくて、生きることで濯ごう。咎人である俺と、一緒に」
「……馬鹿ね」
サンセリテの声が揺れた。遠い昔に置いてきたはずの、涙が眼にこみ上げる。
ソワイエは本当にリュエットによく似ている。光へと向かっていける強さ、誰かに優しく接することのできる強さ、そして強さ故の脆さを併せ持つところまで。
きっとあの時も、サンセリテがすべてを打ち明けたら、リュエットはその苦悩ごと自分を包み込んでくれただろう。今だってそうだ。
──だからこそ、
「私は行けない。ここに残るわ。あなた達は、逃げて」
サンセリテは自分の真心を暴かない。
返答を耳にしたソワイエの体が、傾いだ。茫然とした表情で、青い瞳から力が抜けた。眼には空虚が映って──けれどもそれも一瞬のことで、すぐに瞳の奥から激しい熱が湧き上がる。目の前の業火よりも強い熱さで。
ソワイエは彼女の手を取り、強く握った。
「嫌だ……! 嫌だ、サンセリテ! 一緒に……!」
その時、ソワイエの体が後ろに引かれた。サンセリテを掴んでいた手が離れていく。
ダグラットが背後からソワイエを絡め取ったのだ。彼の腕のなかから逃れようと、ソワイエがもがく。唸り、体を捩って、涙をこぼしながら。
「嫌だ……嫌だ! ダグラット、離せ! 離しやがれ……!」
「……あいつの意志を汲んでやれ。サンセリテは二十数年間、ずっと苦しんできた。……やっと答えを見つけることができたんだ」
「嫌だ……! サンセリテ……!」
歪んだ声で嗚咽し、それでも名前を呼び続けるソワイエに、サンセリテは微笑み返す。胸の奥からあふれるものを堪えきれず、水をたたえていた眼から、ひとしずくの熱の珠がこぼれた。
「……コンコルディアに還りなさい、ソワイエ。ロランはそこで、あの日ウルーとリュエットに施した術式の研究をしていた。きっとあなたの異能の答えは、あの街にあるはずよ」
ダグラットに連れられて、愛しい面差しが遠ざかっていく。サンセリテはソワイエが名前を叫び続けてくれるさまを、眼を逸らさず、耳を塞がず受け止め続けた。
やがてそれも遠くなり、聞こえなくなる。
背後で木々が崩れる音がした。村人達の嘆きが森から響く。
彼女は自分の側に残る人に向きなおる。眼を合わせると、リュリュは黙ってその場で深く腰を折った。そうして沈痛な面持ちのまま、彼は姉とダグラットの後を追って駆け出す。その足取りに、迷いはなかった。
──ロランはあやまちに手を染めてしまった。
でも、きっとあの子はこちら側に来ない。リュエットが光の差す方へ、彼を導いてくれるはずだ。彼女の可愛い子を。
ソワイエも同じように、彼女が天から導くだろう。リュエットの贈った名にふさわしい、そんな人生を送れるように。
もし、死後の世界があるならば。願わくば自分も、あの二人を見守るものになれたらいい。
サンセリテは眼を閉じた。今見送った、そして随分前に生き別れた、愛しい姿を思い浮かべる。自然と唇に笑みが浮かんだ。
そうして彼女は言葉を紡ぐ。あの日、スノードロップと共にリュエットに届けるはずだった真心を。
「……あなたが大好きよ」
彼女の呟きは、森が崩壊していく音に掻き消された。
そして、いつしか村からは音が消えていき──夜の帳は色を取り戻し、辺りは沈黙に守られ……やがて、何も聞こえなくなる。