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紅い獣とすみれの陽だまり  作者: オノイチカ
第4章 断罪の火よ
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第47話 対峙


 火を灯した手燭が、屋敷を仄明るく照らし出す。

 母の──リュエットの、そして父ロランの思い出が染みついた家。今は彫りの深い濃淡にしか見えない玄関扉も、彼と彼女の思い出を沢山見知っているのだろう。

 リュリュは胸に湧き上がる感傷を、軽くかぶりを振って払った。


 一歩踏みしめるごとに小さく鳴く、床材の軋み。できるだけ音を立てないよう、爪先に意識を集中させる。廊下を歩いて玄関へと辿りついた彼は、分厚い戸板の金属取っ手に手を掛けて──


「どこに行くの」


 玄関脇で声がして、扉を押し開けようとしていた手の動きが凍る。リュリュは素早く声のした方へ手燭を向けた。闇に赤い双眸が浮かび上がる。


「……サンセリテさん」


「質問に答えて。どこに行くつもりだったの」


 彼女は表情を固めたまま、きつい口調でリュリュに詰め寄った。彼はしばらく、口を開けて何か言おうとしては、止める。

 ──きっと彼女は、僕がこうすることに気付いていたんだ。だからこそ、ここで僕が来るのを待っていた……

 リュリュは殺していた息を吐いた。言い逃れはできないと悟る。


「この村の人達に……あなた達が追っているのは、リュエットの娘のソワイエだと、伝えるべきだと思ったんです。母にどんな誤解があったのか知りませんが、人違いだと分かれば、姉さんは迫害されずに済む」


「あなたがそう言って、村人達が納得すると思う?」


「言ってみなければ分かりません」


「勇気と無謀は違うわ。死にたいの?」


 サンセリテの詰問に、リュリュは彼女から視線を外して押し黙った。

 伏せた長い睫毛が灯りに揺れた。うっすらと汗の浮かぶ頬は、まだ大人の男の鋭さはないが、かといって子どものように滑らかではない。大人と子供の境界に立つ不安定さが、手燭ひとつの寂しい灯りのもとで、炎と共に揺らいでいる。

 サンセリテは彼が逸らした視線に構わず、リュリュをまっすぐに見据える。


「それとも──殺したいの」


 彼は弾かれるようにおもてを上げた。黒縁眼鏡の下の青がサンセリテを捉える。

 彼女は知っていたのだ。初めて会った時にぶつかったリュリュが、ソワイエを守るために()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「……姉さんを守るためなら、それもいとわない」


 響いたのは、地を這うような声。慇懃だった物言いが剥がれ落ちる。サンセリテは、すぅと目を細く眇めた。


「それなら私は、あなたを決して外には出さないわ。リュエットの息子であり、ソワイエの弟であるあなたのために。それに……私を育ててくれた、村人達を守るためにも」


「──()の? それに、村人達のためだって?」 


 リュリュは短く嘲笑した。


「あいつらは、あんたを奴隷にした。母さんを迫害し、姉さんを謂れもないことを理由に傷付けた。昔も、今だって……あいつらは自分達こそが正しいと思っている。誰かを傷付けても、それが皆の総意だと言い張って、罪を罪だとも思っていない」


 声は震えを伴い、抑えてもなお怒気を孕む。


「俺はそんなずるい人間を、このままゆるしたくない」


 青く冷たい炎。それを眼のなかに飼ったリュリュと、サンセリテの赤い瞳が交わる。殺気すら滲む彼の瞳に、一歩も気圧されることなく、彼女は言の葉を向けた。


「いくら自分と似ているからって、自棄じきになるのはやめなさい」


 ──静寂が落ちる。

 息を飲むわずかな音が耳朶をかすめ、次いで乱れた呼気が届く。


「…………俺が?」


「姉のためなら、自分の命も、他人の命もいとわない。それが神花を守るために罰を与える村人達の盲信と、なんの違いがあるというの」


 乱れた靴音がひとつ響く。リュリュが顔を歪めて後ずさったのだ。心と体がかしいだ彼に、サンセリテはまた一歩、前へと踏み入る。


「あなたは本当にロランに似ているわ」


「……っ!?」


「殺したのよ、ロランも。リュエットのために村人を短剣で突いた。私はただ、見ていることしかできなかった」


 驚愕に目を見開くリュリュの腕に、サンセリテの手のひらが滑る。彼女は彼の手首を両手でくるみ、強く握り、その場に縫いとめた。

 決して彼を行かせまいと。


「あの時と同じなのよ。だから今度こそ、私は止めなくてはならない。ロランの息子であるあなたの暴挙を」


「…………違う……違う! 俺は……!!」


 苦しげに堰を切るリュリュの脳裏に、いくつもの光景が甦る。母のいない家族の光景。リュリュを産んですぐに亡くなった母。お前のせいだ。父が叫ぶ。お前のせいでリュエットは死んだ。なじられ、殴られ、痛めつけられる。ごめんなさい。掠れる声。喉から血があふれる。母の面差しを残す姉がかばう。けれど父は変わらなかった。


 行為は年を経るにつれ激しくなる。短剣で腿を一突きにされた。血が、命が、流れ落ちていく。いくら謝っても、父は赦してくれなかった。与えられた命が消えていく。姉の足音。来ないで。彼女の瞳が赤を映す。彼女の瞳があかへと変わる。彼女は怒り、()を、ずたずたにほふって──


「──俺は、二度と彼女ソワイエに家族を殺させない……!」


 ……止めなくてはならないのだ。彼女の異能を。彼女の悲しみを。

 彼女が怯える未来を消すためなら、異能を棄てるためなら、姉のためなら何だってすると、あの日リュリュは自分と約束した。父とは違うはずだ。


 ──ならばどうして、こんなに苦しいのか。


「……リュリュ? なんだ、見張りの交代か?」


 あくび混じりの声が居間から響く。ダグラットの声だ。

 その緊張感を欠いた物言いが、張り詰めていた糸を緩めた。リュリュとサンセリテは切り結んでいた眼差しを外して、口を閉ざす。


「ん、なんだサンセリテまでいたのか。何かあったのか?」


 玄関へと顔を出したダグラットに、リュリュは俯いて表情を隠したまま、持っていた手燭を押しつけた。


「いえ、別に……ダグラットさん、見張りをお願いします。僕は仮眠を取りますので」


「お? おお、分かった」


 脇をすり抜けて居間へと向かうリュリュを、ダグラットは首を傾げながら見送った。

 居間から聞こえる、掛布をたぐる音。それが止むのを見計らって、ダグラットはサンセリテに小声で呼び掛ける。


「……あんまり虐めてやるなよ」


「起きてたのね」


「まぁな」


 サンセリテはゆっくりと溜め息を吐いた。きびすを返してそのまま廊下を渡り、階段の手すりへと手を掛ける。そこで一度足を止めた彼女は、振り返らず独りごちるように呟いた。


「私はリュエットの子どもを守りたいだけ。たとえ憎まれても」


「やり方はともかく、俺も同じ気持ちではあるな。リュリュ一人行かせるわけにはいかねぇ。だがなぁ……あいつの言うことも一理ある。いつまでもここに隠れてる訳にもいかねぇだろ」


 背中に投げられた懊悩おうのうに、サンセリテはゆっくりと振り返った。赤い眼が灯りを返して煌々(こうこう)と揺らめく。薄い唇が淡い笑みをかたち作った。


「大丈夫よ。雨がやんだら──」


 彼女の声が途切れる。静まり返った玄関で、細い雨が地面をたたく音が響く。雨水がといを伝って流れる水音と、屋根から垂れた雫の不協和音。戸を閉ざした室内にも、湿った冷気がこまやかな霧の薄さでまとわりつく。


 彼女は階段へと向き直り、静かにその奥へと消えた。一人残されたダグラットは知らず詰めていた息を吐き、ほどけかけて乱れた灰色の髪を、ぐしゃりと握る。


「やれやれ……どうしてこんなことになっちまったんだか」


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