第40話 昔語りの晩餐
ダグラット達が語る娘のころのリュエットは、ソワイエが知る母親であるリュエットよりも、ずっと瑞々しい印象を受けた。優美でたおやかだった母はその昔、純粋さとあけすけの無さ、迷いのない無垢な強さに、団員達の度肝を抜くことも多々あったらしい。
虐められていた野良の動物をかばって、泥だらけになってその子を曲馬団に連れ帰った幼い頃の話。仲間であった団員が、その身体に特徴がある故に、街を歩いていて笑われた時など、一緒にいたリュエットは嘲笑した相手を問い詰めたらしい。
おてんばな面を持ち合わせながらも、どこまでもまっすぐで優しく、皆に愛された一人の娘。赤薔薇さながらの鮮やかな姿が、話を聞くソワイエとリュリュの脳裏にもはっきりと浮かんでくる。
「じゃあ姉さんの男勝りは、もしかして母さんから受け継いだものでもあるんですかね?」
「かもしれねぇな。もっともリュエットは年と共に女らしくなっていったし、こんな男言葉は使ってなかったもんだが」
「う、うるせぇなダグラット。俺の口調はどうでもいいだろ!」
苦虫を噛み潰した顔で、目の前の皿に乗った肉を肉叉でいじいじとつつくソワイエ。その様子を見た艇員達がわっと湧いて、居間は笑い声に包まれた。
大きな食卓机には、いかにも大所帯らしい勢いのある料理が、大皿に盛られて並んでいる。それらを好きなように取り分けながら、艇員達とダグラット、ソワイエとリュリュは夕食を囲んでいた。
『明日の朝に発つなら、シュルーズじゃなくてうちに泊まっていけ。なぁに、もともと人数だけは多いんだ。二人増えたところで手間は何も変わらねえし、予備の寝床だってある』
そう言ってくれたのはダグラットだ。積もる話を聞きたかったこともあり、ソワイエとリュリュは彼の言葉に甘えることにした。このあたりでは珍しい大浴場が備え付けられている宿舎でゆったりと湯に浸かり、そのあとでご馳走にありつけるなんて、旅の身としては夢のようだ。
「リュエットちゃんはねぇ、こーんなちっちゃい頃からアタシの後をヨチヨチついてきて可愛かったわよぅ。前の団長だった、ダグラットのお父様が拾ってきた時にはビックリしちゃったけど」
どこかなよやかしい仕草でありながら、しっかりと筋肉のついた年寄りの艇員が、ほぅと吐息をついて懐かしむ。リュエットはどうやら四区の孤児であったらしく、小さな頃に曲馬団に拾われたらしい。
「ダグラットとは、年の離れた兄妹みたいに仲が良かったのよぉ」
「そうだな。けどなぁ、親父が死んで、俺が曲馬団のあとを継いだあたりから、呼び方が〈お兄様〉から〈お父様〉に変わったのはまいったもんだが」
「団長って立場はそれだけ、リュエットちゃんにとって特別だったのよ。お嫁に行くときだって、曲馬団を離れることを随分と悩んでいたし。返しきれない恩があるのにって、ね」
「……馬鹿だな。あいつが幸せになることが、何よりの恩返しだって気付いてなかったのか。親父も生きてたら、きっと同じことを言うだろうさ」
ふて腐れた表情で、料理を口に運ぶダグラットの顔を横目に見て、ソワイエとリュリュはそっと笑みを交わしあった。自分達の母親であるリュエットが、小さい頃からあたたかな人達に囲まれて育ったことが、安易に想像できたからだ。
料理があらかた片付いたあとの居間では、食器を水で流す音と、細く開けた窓から虫が鳴く、か細い音が届くだけだ。リュリュが手伝いにと、台を布巾で清めている。
のどかな静けさのなかで交わされる会話はおだやかで、だからダグラットが話の途中で声を上げた時は、ソワイエは手に持った麦酒をこぼしかけた。
「本当か? 本当にあのローズが、お前らと一緒にいるのか……!」
「あ、ああ。あいつが俺を母さんと間違えたのがきっかけでな。今は俺が母親代わりだ」
ソワイエの言葉に、ダグラットは感じ入るように何度も頷き、「良かった」とぽつりとこぼした。
ローズとはスリールのことらしく、どうやらダグラットが旧友から託された娘であるらしかった。スリールが竜化したことをきっかけに、警護団を名乗る組織が曲馬団から地下牢へと彼女を引き離してから、ダグラットはスリールの生死すら分からないままだったようだ。
「もう少し大きくなったら、ここにも連れてくるよ。……しっかし、そっか。スリールの本名はローズなんだな。俺、呼び方改めた方がいいのかな」
「いや……やっと呼び名にもなじんだ頃だろうし、そのままでいいんじゃねぇか? 新しい人生を歩むにはぴったりの名前だしな」
そう答えたダグラットは、手のひらに収めた火酒の杯に視線を落とした。その唇には柔和な笑みが浮かんでいる。
「〈微笑み〉か。いい名前だ。あたたかい響きがする」
ソワイエはダグラットの一言を聞いて、きょとんとした顔になる。それから気まずそうに視線を泳がせて、手元の麦酒をぐいぐいとあおった。
頬が熱いのは、酔いのせいに違いない。いつか名付けの時に同じように、ゼロが褒めてくれたことを思い出したからではないはずだ。
片付けがすんで、注いだ酒もすべて腑のなかだ。居間に集っていた面々も、ひとり、またひとりと寝床へと散り散りになっていく。そろそろソワイエとリュリュも、割り当てられた寝室へと向かおうと席を立った時、まだ居間に残っていたダグラットが二人に声を掛けた。
「なんなら明日急いで発たなくても、好きなだけここに泊まって貰って構わないぜ。積もる話は尽きねえしな」
「ありがとうございます。でも、僕達は旅の途中なので。明日にはエト街道から馬車に乗って、モンブロワに向かわないと」
「……モンブロワ?」
リュリュの返しをなぞったダグラットは、意外そうな表情を見せる。
「あぁ、そっか。まだ言ってなかったな。そもそもこの旅は、母さんがしばらく暮らしたモンブロワに行くためのものだったんだよ。そこに何か、異能に関する手掛かりがあるかもしれないから」
ソワイエが彼に笑みを向けると、ダグラットはそうかと簡素な返事を返して、二人と就寝の挨拶を交わした。
夜が深まってきた頃、やがて居間に留まっていたダグラットも席を立ち、寝息の響く廊下を渡っていく。彼は寝室ではなく再び艇長室へと向かい、その重い扉を押し開けた。
窓には日除け布が引かれ、灯りのない室内は静寂の色に凝っている。ダグラットは懐から出した燐寸を擦り、手燭を開いて火を灯す。煌々と燃える橙の下で、彼は出しっぱなしにしていた木箱の中身を繰った。
リュエットは小さい頃こそ実直な娘だったが、年を経てからは思いやりから口を噤むことも多かった。離れてから寄こしてくれた手紙などはその際たるもので、心配を掛けまいとしているのか、不幸な言葉や愚痴などは、その文面からは見受けられなかった。
ダグラットの手が止まる。ひとつ抜き取った封筒の消印は、今から約二十年前。差し出し元はモンブロワ。彼女があの村に越して半年が過ぎたころの手紙だ。
彼は色褪せた封筒から便箋を取り出して、薄い蝶の羽を開くように、そっと紙を広げる。
〈お父様、わたしずっと幸せに暮らしていたから知らなかったわ。お父様も、お父様のお父様も、いつだって身寄りのないわたしに親切だったし、ローズだって、拾ってきた動物達だって、みんな笑顔で受け入れてくれていたから。ねぇお父様。人と人って仲良くなるまで、ほんとうはとても努力と時間が必要なものなのね〉
長年ずっと心に引っかかっていた文面が、再びダグラットの前に甦り、彼は思わず顔をしかめた。
──弱音すら吐くことのなかったリュエットの、ただ一度の。




