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紅い獣とすみれの陽だまり  作者: オノイチカ
第4章 断罪の火よ
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第39話 母を知る人


 飛空艇は一刻もすると、また飛び立った荒野に舞い戻ってきた。脇道の外れに腰を下ろしていたソワイエ達は、さきほどの興奮が冷めやらぬなか、残りの道を急ぎ足で駆けて行く。

 バラックに着くと、ちょうど飛空艇が艇員たちを吐き出している最中だった。手近な者にダグラットのことを尋ねている最中、背後から声が掛かる。


「おお、ジョセフから話は聞いてるぜ。よく来てくれたな、ええと……ソワイエとリュリュ、だったな。はは、本当にリュエットそっくりだ」


 ひときわ背の高い体を揺らして、からからと笑った陽気な男。その男こそダグラットだった。彼は二人に近付き手を差し出す。その手をソワイエが握ると、彼は太い腕をぶんぶんと振って歓迎してくれた。

 年の頃は五十過ぎだろうか。灰色グレーになった髪をひとまとめに結ったダグラットは、がっしりとした体に黒い立襟の上衣コートを羽織っている。頬に深い古傷が走り、百戦錬磨といった力強い雰囲気をたたえつつも、その淡褐色ヘーゼルの瞳には深い知性が宿っていた。例えるなら、勇敢な海賊の船長といった風貌だろうか。

 ソワイエの隣に立つリュリュが、深く腰を折る。


「はじめまして、ダグラットさん。お目に掛かれて光栄です」


「あぁ、もっと砕けた口調でいいぜ、リュリュ。こちとら見て分かる通り、武骨なならず者の集まりだ。なぁみんな!」


 ダグラットが荷を降ろしていた艇員に大声で呼び掛けると、彼らは思い思いの言葉で、笑いながら肯定した。

 重そうな木箱を飛空艇からせっせと運び出す艇員達は、皆ソワイエ達よりもずっと年上だった。やたらと手足の長い者や、背が極端に低い者、身体しんたいに特徴を持つ者が多い。


「皆、曲馬団サーカスにいた連中さ。いつまでも体を張って夢を見せるには、いいかげん年がいってたからな。十年ほど前に曲馬団サーカスをたたんで、この仕事に鞍替えしたんだ。ほら、空を飛ぶのは男の浪漫だろ?」


 いたずらっぽく片目をつむってみせるダグラットに、何度も頷いたのはリュリュだ。彼は飛空艇が飛び立つ姿を見てすっかり魅了されたらしく、頬を紅潮させて、憧れの眼差しをダグラットに向けている。

 ソワイエ達が見たバラックは、飛空艇の格納庫だった。ひと旅終えた空飛ぶ鯨は、高い天井の下に収まって、ゆったりと休んでいる。


「まぁ、ここで立ち話するのもなんだ。案内するから、なかに入ろうぜ」


 ダグラットはそう言って、艇員たちに仕事の指示をいくつか飛ばしたのちにきびすを返し、格納庫の奥へと大股で歩きはじめる。ソワイエ達も小走りで彼のあとに続いた。


 生活の匂いのする部屋をいくつか過ぎて、廊下の突き当りにある、いっとう重厚な扉をダグラットが開く。そこは艇長室であるらしく、足を踏み入れた二人は、入ってすぐにある小さな机を挟んだ長椅子(ソファー)を勧められた。年季が入って飴色になった革張りのそれに腰を下ろして、ソワイエは部屋をぐるりと眺める。


 部屋の一番奥にある、大きな窓からまぶしい陽光が差し込んでいる。窓に背を向けるかたちに置かれているのは、どっしりとした木製の執務机。たくさんの書類が乗った机の側の壁に、大きな世界地図とコルクボードが貼られていた。

 コルクボードにはいくつかのメモと一緒に、幼い文字が書かれた紙がピンで留められている。


「飛空艇に乗った子ども達からの、感謝の手紙みたいですね」


 同じところを眺めていたのか、隣に座ったリュリュがひそりと耳打ちする。ソワイエは思わずそっと頬を緩めた。仕事が変わっても、ダグラットは子ども達に夢を与え続けている。


「ああ、あったあった。これだ」


 部屋に入ってからずっと用箪笥キャビネットを漁っていたダグラットが、酒瓶が入っていたらしき大きさの木箱を持って、ソワイエ達の目の前に置いた。そのなかに、古めかしい封筒が立ち並ぶかたちで収納されている。


曲馬団サーカスを辞めたあとも、リュエットはこまめに手紙を寄こしてくれてたぜ。子育てに追われたのか、だんだんと間隔は空いてきたもんだが、それでも亡くなるまでずっとだ」


 木箱の一番隅に立てていた封筒を、ダグラットは抜き取る。机の上に置き直したそれは薄いすみれ色の封筒で、青い万年筆で優美な文字が綴られていた。

 リュエットが書いた手紙だ。ソワイエは思わずそっと封筒に手を伸ばし、今は亡き母の気配を感じようとするかのように、それを手元に手繰たぐる。


「自由に読んでいいぜ。お前ら、珈琲コーヒーでいいか?」


 ダグラットは二人に背を向けて、用箪笥キャビネットの上に置かれていた硝子の水差しを取った。隣には金の金属筒と硝子筒が一緒になった、実験器具めいた天秤式の珈琲コーヒーサイフォンが置かれている。


「はい、ありがとうございます」


 リュリュがそう応えると、ダグラットは金属筒の方に水を注いで、懐から燐寸マッチを取り出して擦った。金属筒の下に置かれた酒精アルコール洋灯ランプの先に火を灯し、側にあった灰皿で燐寸マッチを揉み消す。

 ソワイエただじっと、手もとの手紙に視線を落としていた。封を開く気配がない、そんなソワイエの様子に片眉を上げたダグラットに、


「姉は、文盲なんです。後天的な」


 リュリュが静かに言葉を添えた。


「──どういうことだ?」


「ええと……ジョセフはどこまで俺達のことを手紙に書いてた?」


 ソワイエが困ったように視線を上げて尋ねると、ダグラットは神妙な顔つきになって、二人の向かいに腰を下ろす。


「近々リュエットの娘と息子が、母親のことを尋ねるために、俺のところを訪ねるかもしれないこと。娘の名はソワイエで、息子の名はリュリュだということ。それくらいしか書いてなかったぜ。お前達は思い出話を聞きにくるんだって、俺は軽くそう考えていたが──いやに様子が真面目くさってるじゃねえか」


「ああ、そっか……ジョセフは多分、又聞きの話を手紙に書くより、直接俺達が話した方がいいって思ったんだな」


 酒精アルコール洋灯ランプに炙られた金属筒のなかで、水が沸騰してあぶくを作る音が響き始める。


 ソワイエはかいつまみながら事情を話した。二十歳の時に異能が発動したこと。その異能は自我を失い、獣のようになって人をほふる能力であること。対価として人間らしさを徐々に失い、現在味覚障害、文盲、色盲まで症状が進んでいること。いずれ異能が自我を飲み込むかもしれないこと──


 沸騰した湯が、ふたつのうつわを繋ぐ金属の管を通り、珈琲コーヒーの粉を底に仕込んだ硝子瓶へと注がれていく。水が移動したことにより天秤は傾き、カタンと音がして、金属筒の底に引っかかっていた酒精アルコール洋灯ランプの蓋が閉まって、炎が消えた。


「……なるほどな。それで異能者が集まるコンコルディア四区育ちだった、リュエットの生い立ちについて調べてる訳か」


 ダグラットは溜め息をついて、長椅子(ソファー)の背もたれに寄りかかる。


「お前らの母親は──リュエットは、間違いなく四区出身だ。けどあいつは、異能なんてものは持っていなかったぞ。どんな動物とでも親しくなれる能力も、異能じゃないと、昔リュエット本人からも聞いたことがある。もっとも俺からしてみれば、十分魔法じみて見えたけどな」


 眼に懐かしさをにじませながら、ダグラットは思い出し笑いをこぼす。


 沸騰から落ち着いた湯が、また金属管を通って、もといた金属筒へと帰っていく。天秤は再び音を立てて傾き、その音を合図にダグラットは席を立った。金属筒に付いている活栓コックの下に珈琲コーヒーカップを差し入れ、弁を倒してあたたかな茶褐色をカップに注ぐ。

 できあがったものを三つトレーに乗せて、応接机の上で給仕しながら、ダグラットは気落ちした様子の二人に、また言葉を掛けた。


「ただ──何か問題解決の糸口になるかもしれない昔話なら、たんまりできるぞ。お前らが知らないリュエットの話を、俺はたくさんここにしまっているからな」


 得意気な様子で、ダグラットは親指で自分の胸を突いてみせた。


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