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紅い獣とすみれの陽だまり  作者: オノイチカ
第3章 獣の仔ら
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第30話 郷愁を探しに


「これが、わしがリュエットについて知っている、すべてのことだ。手紙のやりとりはしばらく続いたようだが、団長が曲馬団サーカスをたたんでからは分からない」


 二十数年前のことを語り終え、回想から現実に戻ってきたジョセフは、出されたコップの中身で喉を潤した。耳をそばだてて話を聞いていた目の前の二人も、大きく息を吐く。この店の主だという黒縁眼鏡の青年リュリュ、それからリュエットそっくりの容姿の女性ソワイエだ。


「……母さんが曲馬団サーカスで働いてたなんて知らなかったな。しかも、獣使い」


 ソワイエが唇に手を当てて考え込む。

 数日前に救助に来てくれた時には瓜二つだと思ったけれど、こうして見るとリュエットとは雰囲気が異なる。随分と雄々(おお)しい娘に育てたものだな、とジョセフは思ったが、聞けばソワイエが物心ついてすぐに、リュエットは亡くなったらしい。

 その話を聞いた時、薄く淡い悲哀ひあいがジョセフにみ渡った。激しい感情を持たない自分に、改めて時の流れの残酷さを思い知る。

 記憶をさかのぼっていたのか、視線を宙にさまよわせていたリュリュが口を開いた。


「モンブロワ……初めて聞く村の名です。姉さんはどうですか?」


「初耳だ。俺達が住んでた街で、母さん達はずっと暮らしてた訳じゃなかったんだな」


「その村なら、コンコルディアから2日ほど旅をすれば行ける距離だ。その後のリュエットについては、そこの村人達の方が詳しく知るだろう」


 顔を見合わせる姉弟に、ジョセフが提言ていげんする。それを聞いたソワイエがガタンと椅子を蹴って立ち上がった。


「よし、希望が見えてきた! モンブロワに行ってみようぜ、リュリュ。そのウルーって狼がどうなったのかも知りたいし、異能に関する手掛かりが村に残ってるかもしれないし」


「そうですね、現状それが最も良い手だと思います。準備は仕事の合間に整えるとして、往復で少なくとも4日……。これはアナグマキッチンを引き継いで初の、長い休みを取らないといけないかな」


「夏季休暇だと思って気にせず行ってこいよ、リュリュ。三区の奴らの腹は、別のコックに任せてさ」


 別の丸テーブルを囲んでいた筋骨隆々(きんこつりゅうりゅう)の青年が、そう言って高々と麦酒の入った杯を掲げてみせた。その隣に座っている蟲屋の店主も彼の言葉にうなずく。


「今回ばかりはクラップに同意するよ、リュリュ。ソワイエさん一人行かせるのも何かと気がかりだろうし、ボク達常連のことは気にせず行ってくるといい」


「レディ、クラップさん……ありがとうございます」


 リュリュがお礼の言葉を述べるも、彼の表情はいまいち晴れなかった。その顔を覗き込んだソワイエが、彼の背を一度豪快に叩く。


「別の店に行った常連が、長い休みの後にまたここへ戻ってくるように頑張れよ、リュリュ!」


「姉さん! 僕の思考を読んで痛いところを突くのはやめて下さい!!」


 リュリュの叫びに場がわっと沸いた。

 今晩は姉弟がこの店を貸切にしているらしいのだが、彼女らが呼んだ客は年齢や性別がばらばらだった。少し離れたテーブルには、ソワイエの異能について丁寧に説明してくれた異国の服をまとった青年もいる。隣に座っているのは妹か、娘か。ジョセフはそこで、食事に夢中になっている隣の愛娘へと視線を戻した。


「美味しいかいサラ。よく噛んで食べるんだよ」


 金の髪を撫でてやると、幼い娘ははにかみながらこくんとうなずいた。ジョセフが不在の時にこの店で食事の世話になったらしく、彼女はすっかりここのハンバーグの虜だ。

 自分のものよりいささか色の濃い彼女の肌は、今は亡き妻から受け継いだものだ。曲馬団サーカスでの仕事が廃業となり、外来一本で食べていくことに不安を覚えていた頃、動物を飼う富豪の屋敷への訪問を提案してくれたのが、あの頃は助手であった妻だった。


 不思議だ。ジョセフより若かったリュエットも妻も、とうの昔に亡くなった。年ばかり重ねた自分はと言うと、ここで愛娘とリュエットの娘や息子と食事を囲んでいる。勝手なことに、故人である彼女らに子をよろしくと、そう頼られているような気持ちを覚えた。

 ここで若者達を見守りながら、一匹でも多くの動物を救えたら。その日々が、わずかながらでも贖罪しょくざいになったなら。結果的にジョセフがその命を奪った、動物達へのつぐないには、遠く及ばないかもしれないけれど。


 ジョセフは気を取り直すように食具カトラリーに手を伸ばし、手つかずだった目の前の料理に向き直る。リュリュが作ったそれはサラと揃いのハンバーグで、付け合わせのクレソンやマッシュポテト、にんじんグラッセが色鮮やかに白い皿を彩っていた。

 まるく膨らんだき肉は艶のあるデミグラスソースをまとっていて、肉刀ナイフを入れるといとも簡単になかの肉汁を晒す。思わず生唾を飲み込み、肉叉フォークを突き立て口へと運んだ。

 絶妙なこね加減と焼き加減だった。噛めば噛むほどにじゅわりと肉汁が染み出るやわらかな挽き肉の間に、時おり玉ねぎの歯ごたえと甘さが混じる。ソースの軽い酸味も加わって、成程これはサラが夢中になるのもうなずける味だ。

 それと共に、美味しさだけでは説明できない郷愁きょうしゅうの味が舌に響く。

 リュリュは長期休暇に不安を覚えていたようだが、なかなか家庭以外では味わうことのできない懐かしいこの味が、常連の心を引きつけてやまないのだろう。きっと大丈夫だ。


 その昔、彼もリュエットの作った料理を食べたのだろうか。

 物心つく前に母親が亡くなったなら、それともこれは彼女のお腹にいる時に覚えた味なのだろうか。


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