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紅い獣とすみれの陽だまり  作者: オノイチカ
第1章 かくしてこの地の土を踏む
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第3話 喧騒の食堂にて


 昼時のアナグマキッチンは、人の熱気と陽気な笑い声であふれていた。

 厨房のオーブンやフライパンからは、食欲をそそる匂いがただよっている。安くて量があり、なおかつ美味しい料理が次々とテーブルに並んでは、客の腹を満たしていく。なかには昼から杯を酌み交わす者もいて、彼らは顔を赤らめながら世間話に花を咲かせていた。


 ソワイエもカウンターテーブルの椅子に腰かけて、まるごと焼いた鶏の塊を食いちぎりながら麦酒をあおり、リュリュの働きぶりを眺めていた。

 リュリュは線が細く一見頼りなげにも見えるが、あれでなかなか器用な上に世渡り上手だ。早くもアナグマキッチンにおける配膳ペースをつかんだリュリュは、店主の動きに合わせて皿を出したり、洗い物を片付けたり、つけあわせの野菜を盛りつけたりと、てきぱきと働いている。


(……心配するまでもなかったか)


 ソワイエは弟から目線を外して、喉を鳴らしながら麦酒を飲み干す。

 それにしても、この食堂は大盛況だ。テーブルはすべて埋まり、壁際で立ち食いしている客までいる。いつもこうなのか、それとももうじき代替わりするアナグマキッチンの店主がとても慕われていて、別れを惜しんだ客が詰めかけているのか。どちらなのかは、今日この街に着いたばかりのソワイエには分からない。

 それより今彼女が興味をそそられているのは、少し離れたテーブルで食事をとっている少女達の存在だった。


(……なんかここって、可愛い女の子多くね?)


 ソワイエは頬を染めて、うっとりと彼女らを見つめた。

 ソワイエの視線の先で、肩にかかるチョコレート色の髪に、水色のリボンをカチューシャのようにつむじで結わえた少女が、小さな口で野菜を咀嚼している。隣では黒髪を高く結わえた、切れ長の涼やかな目元を眼鏡で隠した少女が、酒に顔を赤らめている。その向かいでは豊かな蜂蜜色の髪を三つ編みにした目力のある少女が、その淡い紫水晶(アメジスト)の瞳をまつげで伏せて、静かにスープを飲んでいる。彼女のすぐ側で異国の服を着た少女が、桃色のおかっぱを揺らしながらコロッケをさくさくとかじり、衣をやわらかそうな頬にくっつけている。


(こんな粒揃いの子達が集まるなんて……コンコルディアは天国なのか……? くそっ、ほっぺたに付いた衣を食いてぇ)


 彼女が男で、実際言葉にしていれば警護団に通報されてもおかしくないような思考をもんもんと巡らせながら、鶏肉と共に生唾を飲み込む。

 ソワイエは可愛い女の子が好きだ。あくまで恋愛対象としてではなく、愛玩の対象としてなのだと本人は主張しているが、今まさによだれを垂らさんばかりの表情を浮かべているので、説得力は皆無だ。


「ちょっと姉さん。お客さんにちょっかい出さないで下さいよ?」


 塩をまぶした茹でたての枝豆を彼女の目の前に置きながら、リュリュがソワイエに釘を刺す。


「これ、店主からサービスです。これでも食べておとなしくしてて下さいね」


「俺は犬か!」


 自分を無下に扱うリュリュに、ソワイエが噛みつかんばかりの勢いで食ってかかる。

 が、その勢いも言葉の途中で立ち消えた。カウンター越しに店主とむつまじく言葉を交わしている少女の姿に、ソワイエの目は吸いよせられたからだ。


「……そうか。やっぱり噂は本当だったんだね……あなたが作るオニオンスープは、どこか懐かしい味がして好きだったな……」


 そう呟いた少女は、黄金(こがね)の瞳に憂いの色をにじませて、草色のハンチング帽のつばを下げた。その動きに合わせて、青く艶やかな長髪がさらりと揺れる。もう片方の手は華奢な体を守るように胴に回して、その手は革を編み上げた服の腰のあたりを固く握っていた。

 隣に立っていた背の高い青年が、少女の頭を帽子の上からくしゃくしゃと撫でた。ソワイエとよく似た緋色の髪を短く刈っており、着崩した作業着がよく似合っている。柘榴石(ガーネット)のように赤がかった黒い瞳には、優しい色が覗いていた。遠目から見ても筋肉隆々の青年は、少女との対比でより大きく見える。


「レディ、そう気落ちするなよ。おっさんにとってはめでたいことなんだからさ。後継者にレシピを残してくれるって言ってるし、笑顔で見送ろうぜ」


「クラップ……うん、ボクだって分かってるよ」


 クラップという青年にたしなめられた少女――レディは、唇をきゅっと噛んだ。


 ──レディ。淑女。

 はかない雰囲気のあの少女に、なんてぴったりの呼び名なんだろう。

 ソワイエは甘いため息をついた。


「さ、注文な。俺はハンバーグとエビフライとミートソーススパゲティーの特製ランチ。あー、あとこれちょっと渡すの早いかもしれないけど、荷造り中ならちょうどいいだろ。〈ぬくいぜ電気湯たんぽ君〉4つ! おっさんのと、娘さんのと、旦那さんのと、赤ちゃんの分。餞別な。まだ夜は冷えるし、みんなで使ってくれよ」


「ボクはオニオンスープと、林檎とハーブ鶏のパイ包み焼きで。今日クラップから引っ越すって聞いたから準備できなくて、うちの店の在庫で申し訳ないけど、ボクからも贈り物。透明な瓶に入ったのが滋養強壮の特製ロイヤルゼリーで、茶色の遮光瓶に入ったのが、二日酔いに効くミジシンコウ虫の粉末。どちらもさじ一杯飲めば効くから。もう若くないんだし、飲みすぎや無茶には気をつけて」


 料理の注文と共に、二人はぱんぱんに詰まった紙袋を店主に手渡す。それまで彼らのやりとりを眺めていたソワイエは、レディの口から出た単語に身を乗り出し、思わず声を上げた。


「ミジシンコウ! コンコルディアにもあるのか!? 材料の虫の数が少ない上に、内臓が毒になるから解体が大変だって、大きい街でもなかなか見かけなかったのに」


「なんだソワイエ、詳しいな」


「そりゃ何度もお世話になったからな。店主、これ二日酔いにめちゃくちゃ効くぜ。お嬢ちゃんの店の商品だって言ってたよな? まだ若い女の子なのに、こんな虫を扱えるなんてたいしたもんだなぁ」


 突然出てきて勝手に感心するソワイエの存在に、クラップは目を丸くし、レディはいぶかしげに眉をひそめた。


「……見かけない顔だけど、誰? あとボクは──」


「あぁ、悪い。なんだあんた男か」


「……!?」


 その表情にさっと警戒の色を刷いたレディは、腰を低く落として拳を握った。

 毛を逆立てた猫のような彼を、クラップがまぁまぁと軽い調子でいさめながら、ソワイエに視線をやる。


「姉ちゃん、なんでレディが男だって分かったんだ? 初めて会う奴は、だいたい勘違いするんだけど。姉ちゃんも最初は女の子だって思ったんだろ?」


 ああ、余計なことを言うんじゃなかった。つい口を出してしまった自分のことを心のうちで叱りながら、ソワイエは苦笑いをして頭を掻いた。


「……えーっと、その、匂いが」


「……匂い?」


 レディが腑に落ちない表情で言葉を反復して続きをうながしたが、ソワイエはあいまいに笑って言葉を濁す。

 女の子のように、やわらかくて甘い匂いがしなかった。あんたからは、太陽と緑の原っぱと虫の匂いがする。

 そう言ったなら、ますます怪訝な目で見られそうだったから。人並み外れて嗅覚が良いことも、それが普通の人から見て異常だということも、まだ……慣れない。


「……俺、今日付けで四区の住民になるんだ」


 どう言えばきちんと伝わるか、しばらく逡巡していたソワイエは、まわりまわって回りくどい表現を口にした。彼女にとっては伝わるか微妙な言い回しだったが、レディとクラップはふっと力を抜くように警戒をゆるめる。


「……あぁ、あんた〈異能持ち〉か」


 ──ここでは一風変わった特徴を持っていても、四区の住人だと分かれば住人達は気にも留めない。

 あらかじめ調べておいた情報通りの反応に、ソワイエは複雑な心境のままクラップの言葉にうなずいた。


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