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紅い獣とすみれの陽だまり  作者: オノイチカ
第3章 獣の仔ら
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第26話 紅い獣


 赤、赤、赤…… ──あか

 蜜の眼があか色の奔流ほんりゅうまれる。


 合成獣の胸にほらが空いている。その奥に肉色にうごめく心の臓が覗いている。胸からは絶えず、その巨体にふさわしい血量が吹き上がっていた。

 合成獣の腕に爪を立て、白い喉を仰け反らせているのは、ソワイエ。その牙で食い破った肉片を噛みくわえている。髪紐がちぎれたのか、服を抜け出た長い赤銅の髪が、月光に躍っていた。それは赤い薄布がたなびくような優美さで、蜜の眼球に刻まれる。一瞬の概念が崩れて時間が鈍重に流れた。


 ──目が離せない。


 密な睫毛まつげかこわれた眼は生命力に赤く輝き、血濡れの牙が覗く唇は生き生きと艶めいている。全身血に濡れているがその姿はどこか神々しく、孤高の獣を思わせた。


「……美しい」


 こぼれた声は蜜のものではない。崩れ落ちる合成獣の奥に視線をよこすと、グレゴワールがほうけた顔で立っていた。やがてその全身が、ぶるぶると戦慄く。彼は歓喜に腕を広げ、全身でソワイエを賞賛した。


「美しい、美しい、なんて、なんて美しいんだっ!!!! 君こそぼくが探し求めていた生き物だ!! びず、誇り高く、強く、生命力に満ちあふれ──ああ、最高だ!! その生ける宝石のような烈火の瞳! 見つめられると全身が悦びで震えそうだ! ねぇ、美しいひと!! ぼくのものになっておくれよ!!!!」


 激しい求愛を思わせる叫びに、ソワイエは鼻にしわを寄せて、噛んでいた肉を吐き捨てた。黒ずんだ肉が不味まずかったのだろうが、その行為はグレゴワールの申し出を断る仕草しぐさにも映る。

 彼を睨んだまま手足を床に付け、腰を高く上げて跳躍の構えを見せるソワイエ。しかし彼女がグレゴワールに跳びかかった刹那せつな、その動きが阻まれた。


「ッ!?」


 ソワイエの首に太い鎖が巻きつく。墜落ついらくして背を撃ち、鳴き声を上げる彼女に構わず、鎖は手繰られ、引きられる。首輪と鎖とを離す仕掛けが手元にあったのか、合成獣を支配した手綱で、グレゴワールは今度はソワイエをも飼い馴らそうとしている。

 彼女が暴れ回るたびに鎖がじゃらりと鳴り、からまり、ソワイエを重く拘束こうそくした。

 荒い息を吐いていた彼女が、一際大きく唸る。次の瞬間手指が重く絨毯を蹴り、ソワイエは鎖を首にたずさえたまま、グレゴワールの元へと跳んだ。口蓋を開いて牙を剥き、その喉笛を食いちぎる。──はずだったが、


「アオォォォッ!?」


 白い雷光に貫かれたソワイエは、全身を痙攣けいれんさせてどぅと倒れた。なおも続く電流の責め苦に彼女は喉を掻きむしり、のたうち回る。


「君が狩ったあの子もね、こうやって身体に教え込んだのさ。誰が主人なのかを」


 電気が途絶とだえると、ソワイエはグレゴワールを睨み上げ、報復しようと駆ける。が、そのたびに彼は容赦なく彼女に痛みを浴びせかけて、その動きを封じた。

 蜜は柄に手をかけ、いつでも斬り込める体勢をとりつつも、手立てが取れずにいた。

 グレゴワールを止めるべきだが、ソワイエの動きは予測不可能で、間違って彼女を斬ってしまう可能性を否定できない。それに、あの電流。今は加減をしているだろうが、おそらく致死量の雷撃を叩き込めるに違いない。彼を一瞬で絶命させれば問題はないが──。蜜の不殺ころさずを誓った心が焦燥する。


「ウウウッ……」


 ソワイエが荒い息を吐いて顔を上げる。痛みに打ちのめされた彼女の瞳はわずかに濡れている。

 ……その表情から激しさが抜け落ちた。生まれたての赤子に似た無垢むくな顔。抵抗をあきらめたか、とグレゴワールが息を吐き、蜜が息を飲んだ、その時。


「──ウアアアアアアアアアッ!」


 ソワイエの表情が憤怒ふんぬのそれに塗り替わる。声を上げ、自身のくびに巻かれた鎖をつかむ。渾身の力で砕こうとしているのか、鋼がミシミシと鳴り始める。


「ははは、まだ抵抗するのかい!? 無駄だよ、その鎖は大猩々の力でもちぎれないよう作ってある!!」


 グレゴワールは嘲笑ちょうしょうし、さらに彼女に電流を浴びせかける。ソワイエは一段と高い声で哭いた。が、彼女は責め苦にあえぎながらも、鎖を握りしめたまま離さない。

 腰を低く落とし、歯を食いしばり、手を震わせ、赤い髪を逆立てて──


「ガアアアアアアアァァァァァァゥッ!!!!」


 地の底から沸き立つような咆哮と共に、ガキン、と金属が弾ける音がした。うつむいていた彼女が顔を上げる。赤い瞳が業火ごうかを宿して揺れる。次の瞬間、ばらばらに砕け散った鎖が月光を受けて、星を散りばめた白い輝きを放った。空に舞い遊ぶそれは、彼女のまわりを巡って舞い落ちる。鉄琴を打つ愉悦ゆえつな音を響かせて。


「……なんだって!?」


 驚き見開かれたグレゴワールの眼は、二度と瞬くことを許されなかった。

 頸に鈍い衝撃があったかと思うと、彼の眼球は飛び散る赤を浴びて濡れた。一足に跳んでグレゴワールの喉を掻き切ったソワイエは、噴き出た血に誘われるように、また晒された肉に牙を立てる。ゴギッ、と骨が砕ける音がして、ヒュッと下手な笛の音が彼の喉から漏れた。


 それが、グレゴワールの最期だった。


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