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紅い獣とすみれの陽だまり  作者: オノイチカ
第1章 かくしてこの地の土を踏む
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第2話 引き継ぎ


 一度は栄華を極めたが、のちに何らかの原因で廃れたというコンコルディアは、荒廃都市と呼ばれるにふさわしい街並みだった。建物は廃墟のように朽ちているものが多く、窓硝子はひび割れ、壁の塗料がはがれてモルタルがむき出しになって黒ずんでいる。まるでスラム街だ。産業革命後の文明がもたらす潤いが感じられない。

 そこかしこに瓦礫(がれき)が無造作に積んである小路をいくつか抜けて、二人は目抜き通りに出た。


 さきほどの小路とは違い、大通りではここの街で生活する人々の息づかいを身近に感じられた。それ自体は古いが、乳白色の塗料が塗り替えられて比較的綺麗に整えられた建造物が並んでおり、窓から覗く日覆いの布や、窓辺に置かれた小物を眺めると、白黒だった景色がわずかに色付いたかのようだ。

 排気口から食べ物の匂いがする建物では、なかで調理人が下ごしらえをしているのだろう。食堂の他にも、雑貨屋や菓子店、薬舗や酒場が雑然と看板を連ねている。まだ朝が早いので開いている店はなく、大通りに人はまばらだったが、もう少し日が昇ればここはもっと賑わうのだろう。


 コンコルディアは第一区の宗教組織、第二区の戦闘集団、第三区の商業連合、第四区のはぐれ者の集まり――の、それぞれの代表が区画を統括する、四つの区からなる街だ。今二人がいるのは三区であるから、こうした店舗が多いのもうなずける。


 広げた紙に視線を落としながら歩くリュリュのうしろに、ソワイエがついていく格好で大通りを進んでいたふたりは、やがてぴたりと足を止めた。手もとの手書きの地図と目の前の建物を見比べるリュリュの目の前には、色違いの木を寄せて作った、穴熊の顔のかたちの看板が下がっていた。その下にぶらさがる木片には〈アナグマキッチン〉と文字が添えてある。店の前では、使い終わった樽を再利用して作られたらしい植木鉢に、料理に使えるミントやバジルなどのさまざまなハーブが揺れていた。

 ここで間違いない。深呼吸して一歩踏み出たリュリュが、控えめにコンコンと扉をたたいてしばらく――取っ手には閉店中の札が下がっている――勢いよく開き戸があいたかと思うと、なかからまさに穴熊のようにずんぐりとした体形の、大柄の中年男が飛び出てきた。


「……あんたがリュリュか?」


 ギョロリとした眼に見下ろされたリュリュは、気圧されながらもうなずいた。肯定の意をたしかめた男はパッと破顔したかと思うと、毛むくじゃらの太い腕でリュリュの手のひらをすくって握手する。


「やぁ、遠路はるばるよく来てくれた! するとうしろのがソワイエか。女の足じゃ、あの山道はきつかっただろう」


 話を振られたソワイエは、笑顔を浮かべながら首を振った。実際彼女はリュリュの速度にあわせて旅をしたのだが、男は謙遜と受け取ったらしい。人好きそうな笑みを浮かべた彼はソワイエとも手を重ねたあとで、扉の奥へときびすを返して手招きした。


「まぁ、こんなところで立ち話もなんだ。なかに入って、まずはあったかいものでも飲みな」




 天井から吊るされた洋灯(ランプ)に、使い込んで飴色になった木製の丸テーブルが、いくつも照らされている。大通りから一番離れた奥が厨房になっており、客席とを仕切る背の低い壁から突き出るカウンターテーブルにも、いくつかの椅子が並べられていた。店内はそう広くはなかったが、食堂としてはまずまずの規模だろう。

 客用の椅子に腰を下ろしたソワイエとリュリュの目の前に、ゴトリとまるいカップが置かれる。ほわりと湯気が立ったそれの中身は琥珀色のスープで、細かく刻まれた根菜が浮いていた。


「ちょうど今、朝の仕込みがひと段落ついたとこだよ。ほら、うちの自慢のオニオンスープだ」


 男は身に着けていたエプロンを取り払い、手近な椅子に勢いよく腰かけた。年季の入った椅子がギシリときしむ。


「いや、本当に助かった。なんせ急に決まった話だったから、この店はたたまなきゃいけねぇかなって、そう思ってたんだ。でもここは、三区みんなの胃袋を満たす台所だ。誰かが店を引き継いでくれればって思ってたんだよ。それでだめもとで新聞に広告を打ったんだけど……あんたがはやばやと申し出てくれて、嬉しかったなぁ」


 男がリュリュを見て、くしゃりと笑う。


「僕もコンコルディアに移住するって決めたはいいけれど、働き先が見つからなかったので助かりました。前に住んでいた街でも料理店をやっていましたし、これは逃すわけにはいかないなって」


 両手でスープカップを包み、湯気で眼鏡を曇らせながらリュリュも微笑んだ。

 コンコルディア第三区食堂、後継者募集。店主である男が出した小さな広告を見つけてすぐに、リュリュは手紙を書いて名乗りを上げた。ここで店主から食堂の風習やレシピを引き継いだのちに、彼に代わってリュリュがアナグマキッチンの店主となる予定だ。


「あんた、別の街で食堂をやってる娘夫婦のところに引っ越すんだっけ?」


「そうそう。家内が死んでオレが独り身になってから、ずっと一緒に暮らそうって誘われてはいたんだけどな。ここも繁盛してるし動けねぇって断ってたんだけど、娘がこないだ出産してさ。ガキのおもりをしながら食堂を切り盛りするのは大変だろ? オレが手伝ってやるしかねぇか、ってな」


 ソワイエの問いに照れたように答える店主の顔は、すでに孫が可愛くて仕方ない祖父の表情だ。そこからにじみでる人柄に頬をゆるめたリュリュは、持っていたカップをテーブルに置いて、居住まいを正すように背筋を伸ばす。


「……引き続き、この街で愛される食堂であるよう、精一杯頑張ります。よろしくお願いします」


 リュリュは店主に向かって深く一礼した。

 店主は目を丸くしたかと思うと、リュリュの肩を叩きながら大声でからりと笑う。


「こいつぁご丁寧にありがとさん! こっちこそよろしくな。さぁ、それを飲んだらさっそく開店準備を手伝ってくれよ。あんたにあれこれ教えられる時間はたった一週間。そんなに長くねぇんだ、初日からみっちり働いて貰うぜ?」


「はい、そのつもりで来ました。こう見えて、体力には自信がありますから」


 スープを飲み終えたリュリュは上着を脱いで、背負ってきた背嚢から黒いエプロンを引っ張り出してかぶり、手際よく紐を結わえて身につけた。その姿を頼もしげに見つめていた店主だったが、ふと笑顔をひっこめてつるりと禿げた頭を掻く。


「あー……オレはこういうこと、普段はあんまり聞かない方なんだけどよ」


 豪快な彼にしては珍しく、しどろもどろといった調子で言葉を選ぶように口を開いた。


「……いや、あのな。子どもに店を預けれねぇってわけじゃねぇんだ。知り合いは15歳で店を構えてるし……ただ、仕事を教えるのも年齢にあった扱いってのがあるから……お前さん面構えが幼いからさ、眼鏡を外すともっとかなって……つまり、ええと、あんた、いくつだ」


「…………19です」


 店主の言葉にぴたりと動きを止めたのち、笑顔の立ち消えたリュリュがむっつりと答える。童顔を気にしているらしい彼に、店主はあわてて頭を下げた。


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