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紅い獣とすみれの陽だまり  作者: オノイチカ
第3章 獣の仔ら
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第19話 人探しのゆくえ


 話は少し前にさかのぼる。

 リュリュのアナグマキッチンの経営が軌道に乗り、ソワイエも日雇いの仕事先をいくつか持つようになり、二人がコンコルディアに馴染なじんできた頃の話だ。

 異能を棄てる方法を探してこの街に来たといっても、手掛かりは母親が四区で暮らしていたということくらいで、情報集めは必然的に母親の行方を追うものになる。

 三区の本部であり、各種手続きの窓口になっている商館をリュリュは訪ねた。が、戸籍などの書類はコンコルディアには無く、結局徒労に終わってしまう。


「要するに母親を知ってる人を探してるんだろ? ならまずは、古典的だけどあの方法をおすすめしたいね」


 事の次第を話したら、そう言って得意気な笑顔を返したのがクラップだ。

 彼に案内された二人がやって来たのは、洋墨インクの匂いがただよう印刷工場だった。ギアーズという家電工場のおさであるクラップが、友人の印刷工場の社長を紹介してくれる。


「人探しに貼り紙かぁ。うん、確かに古典的だけど、あちこち聞いて回るより拡散力がありそうだし、いい手だと思うな。うちは活版印刷中心だけど、安く刷りたいなら謄写とうしゃ版を使うといい。……おっと、あんまり馴染みがない名前か。ガリ版って言えば分かるかな?」


 謄写とうしゃ版とはつまり、ロウ紙という紙に鉄筆という器具でガリガリと溝を彫り、それを原版として洋墨インクをつけて、用紙を押し付けることで印刷する技法だという。溝を彫る時の音を取ってガリ版とも呼ばれているらしい。直接ロウ紙に書く必要があるため顔写真は使えないが、絵なら刷ることができる、とのこと。

 リュリュは絵が得意だという牡丹に、母親の似顔絵を依頼した。

 しかし牡丹は目を見開いたまま手を動かそうとはしない。


「牡丹ちゃん、やっぱり写真を見て描くのは難しいかな……?」


「……いや、違うだろう。今きっとわたしも、牡丹と同じことを考えている」


 蜜が目線を落として呟いた。

 営業時間外のアナグマキッチン。そのカウンターに腰掛けた牡丹の手元には、印刷工場から借りてきた鉄筆とまっさらなロウ紙、それから母親の写真が入ったロケットペンダントが置かれている。こちらに微笑みかける白黒モノクローム色の母親は若く、純白のドレスを身に纏っていた。胸元に掲げた花束ブーケ。おそらく結婚の記念に写真館で撮ったものだろう。写真を撮るのはまだまだ高価だから、これくらいしか無かったに違いない。

 けれど牡丹が黙りこくった理由は、それとは違っていた。


「ソワイエにそっくりだ。いや、この場合はソワイエが、か」


 蜜の言うとおり、ソワイエと母親はとても似ていた。色こそ灰色グレーではあるものの、ゆるくうねる長い髪、色付いた唇、意思の強そうな大きな瞳は、ソワイエとまったく同じに見える。唯一違和感を覚えるとしたら、唇を閉じて上品に微笑んでいるところくらいだろうか。母親はソワイエと違って、おしとやかだったのだろう。


「んー、俺がうんと小さかったころに死んじまったから、あんまり覚えてねぇんだけど、こうして見ると確かにそっくりかもな。髪と目の色も同じだったと思う」


「なら、それも書き添えるといい。君に似ているということは、何より重要な情報になる」


 牡丹が描き上げた母親の似顔絵――それこそ写真とまったく同じようで、ソワイエとリュリュは舌を巻いて大絶賛した――の下に、リュリュが蜜の忠言ちゅうげん通りに文字を彫っていく。


 髪:赤色 瞳:青色

 四区ソワイエ、三区リュリュの母親

 二十年以上前に四区に住んでいた

 似顔絵も約二十年前のもので、ソワイエとほぼ容姿が同じ

 心当たりがある方は、三区アナグマキッチンまで


 そこまで書き終えたリュリュは一呼吸置いて、一番下の余白に大ぶりの文字で〈リュエット〉と彫っていく。それが、ソワイエとリュリュの母親の名前だった。

 リュリュが出来上がった原版を持ち上げて、一度遠目で確認する。それから再びロウ紙を手元に引き寄せ、名前の下に〈結婚後の姓:アンブローズ〉と書き足した。


「君達は姓を持っていたのか」


「そうだよ。ソワイエ・アンブローズと、リュリュ・アンブローズ。けど地域によっては姓持ちは珍しいみたいだし、姓は家と一緒に住んでた街に置いてきた。だから今まで通り、俺達はただのソワイエとリュリュでいい」


 蜜も雪見という名を持っているし、コンコルディアでもちらほらと姓を持つ者はいる。けれどこれは、姉弟なりのけじめなのかもしれない。


 こうして、リュエット・アンブローズの貼り紙が完成した。謄写とうしゃ版で更紙ざらがみに50枚刷られたそれは、公共施設や二人の知り合いの店に貼られた。ほかにも、掲示できそうな当てがあるという友人知人に引き取られて、あっという間に印刷した50枚がさばけた。


 しかし肝心のリュエットの情報は、10日経っても何も入ってこない。



 ◆ ◆ ◆



「俺そろそろ配達先とかで、貼り紙の人だーとか、ほんとに似顔絵そっくりーとか言われるのに飽きてきた」


 ソワイエは少し不機嫌そうな顔で背を後ろに反らせて、椅子をギシギシと鳴らす。


「僕達が持ってる情報は、貼り紙に書いたことがすべてですしね。手札の少なさに焦りを感じますが、母さんが昔ここにいたのは確かです。じっくり情報が出てくるのを待ちましょう」


 リュリュは姉の不安を汲みとった上で、彼女を安心させるためにほがらかに笑った。しかし悠長ゆうちょうな言葉とは裏腹に、彼は休日になると貼り紙を片手にあちこちへ聞き込みに行っている。もっともそれはソワイエも同じなのだが。


「私もお店に来られたお客様に、できるかぎり貼り紙を見て貰って、リュエットさんについて尋ねるようにしているんですが……なかなかご存知の方に巡り合わないものですね」


「なんせ母さんがこの街に住んでいたのは二十年以上前ですからね。ある程度ここに住み続けている年配の方でないと、情報を持っていないのかもしれません」


 フレアに微笑むリュリュが、皿の上で最後のカルボナーラを肉叉フォークに巻きつける。それを口に運ぼうと腕を持ち上げかけて、遠くから聞こえてきた足音に手を止めた。


(お客さんかな……?)


 リュリュが入り口に視線を投げるのとほぼ同時、ダダッと床を蹴ってアナグマキッチンに駆け込んできた人物が立ち止まった。

 膝頭ひざがしらに手を置いて荒い息を吐くその人の顔は、外の眩しさで影になっていてよく見えない。けれどその姿にソワイエとリュリュは見覚えがあった。ハンチング帽、女の子のように華奢きゃしゃな手足、長くてまっすぐな髪。


「そんなに急いでどうしたんだ? レディ」


 ソワイエは目を丸くした。汗をぬぐう彼を見て、リュリュはコップへ水を汲むために席を立つ。どこから走って来たのか、手渡したそれを一気に飲み干しても、レディの息は整わなかった。


「……ボクの、店に」


 そこで一度口を閉じて、レディはごくりと息を飲む。

 顔を上げて、真剣な瞳をソワイエとリュリュに向ける。


「リュエットさんを知ってるお客さんが、来た」


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