第17話 兄妹達との昼食
空は青く、太陽が強く照りつけている。ソワイエとフィデルが歩く石畳は焼けていて熱かったが、色がくっきりと濃い木陰の下は幾分か涼しかった。日陰から日陰へと渡っているうちに四区と三区の境を越えて、やがて目的地であるアナグマキッチンへたどり着く。店先のハーブは青々と茂り、あたりに清涼な匂いをまき散らしていた。
「いらっしゃいませ。……ああ、姉さん。フィデルも」
アナグマキッチンの入り口をくぐると、リュリュがにこりと笑いかけてきた。夏らしく色の薄い半袖の襯衣を着て、その上からおなじみの黒いエプロンを身に着けている。涼を取り込むために開けっ放しにしている扉から涼しい風が吹いてきて、ソワイエは汗ばんだ背中が冷えるのを感じ、ほっと息を吐いた。
どうぞ、とリュリュにうながされて店の奥へ進む。外が眩しいあまりに、食堂は少し薄暗く感じた。一番込み合う時間帯は過ぎたらしく店のなかは客もまばらで、午後ののどかで気だるい空気が流れている。
いつもの定位置であるカウンターに座ろうとして、室内の暗さに目が慣れてきたソワイエは、先客の存在に気付いた。
「ん、蜜と牡丹ちゃんじゃねぇか」
カウンターに並んで座っている兄妹――もっとも血のつながりはないらしく、似ていないのだが――の隣の椅子を引きながら、ソワイエは二人に声を掛けた。
清涼な川を思わせる薄水色の長い髪を、すみれ色の髪紐でひとつに束ねた青年が、蜜。桃色のおかっぱ頭に兄と揃いの髪紐を結って、後ろ髪だけ長い少女が、牡丹。少し前に、ここアナグマキッチンで知り合った二人だ。
東の国からこの街に来たという彼らは、着物という民族衣装をそれぞれ身にまとっている。それだけでも人目を引くのだが――
「前から思ってたんだけどさ、お前ら食べるものが想像と逆だよな……」
ソワイエが椅子に腰掛けながら、思わずそうこぼす。
蜜の目の前には、発酵させる前の茶の葉を粉状にしたものと、豆を甘く煮て練ったもの、それから生凝乳と氷菓子が乗った〈抹茶パフェ〉という冷菓が置かれている。その隣の牡丹はというと、よっぽど気に入ったのか最初に見かけた時と同じように、挽き肉と玉ねぎがぎゅっと詰まったミンチコロッケを、さくさくと頬張っていた。
可愛い牡丹の頬についた衣へとソワイエは指を伸ばしかけ、蜜に目で牽制される。
すぐさま苦笑いと共に指を引っこめる。蜜は妹を溺愛していて、下心のあるちょっかいを掛けようものなら、たとえ同性でも敵視されるのだ。
ソワイエが手を下げたのを確認した蜜は、また視線をパフェに戻して、細長い匙で氷菓子をすくう。
「人は皆、意外な一面を併せ持っているものだ。君が男勝りの言葉を使うようにな」
「ん? なんだそれ、褒めてくれてんのか?」
「好きに取るといい」
蜜の方へ身を乗り出しても、彼はまつ毛を伏せて淡く微笑むだけだった。
「なぁソワイエねえちゃん、おれオムライス頼んでいい?」
何を頼むか真剣に悩んでいたらしいフィデルが、品書きを見つめたままつぶやく。彼にとってアナグマキッチンのオムライスは思い出がつまっている料理で、ここに来るとよく注文していた。
フィデルはいつもアナグマキッチンの料理を美味しいと喜んで食べながら、食事が終わる頃になると「姉ちゃんにも食べさせたかった」と肩を落とす。ダリアの死の衝撃は時と共に少しずつ薄らいではいるものの、その不在はいまだ幼い彼に濃い影として落ちていた。
ソワイエはフィデルの頭をひと撫でして、わざと明るい声を作る。
「おお、いいぜ。俺は何にしようかなぁ」
「今日のオススメは〈タコの溺れ煮〉ですよ。今朝いいタコが手に入ったんです。今が旬のトマトと玉ねぎを一緒に煮込んだもので、ガーリックも少し入っているから精がつきますよ」
「へぇ。んじゃそれで」
水の入った杯を机に置きに来たリュリュの助言に、ソワイエは即座に乗った。そもそも品書きの文字が読めない上に、普通の食べ物が美味しいと感じられない彼女にとって、正直何を食べるかはさほど重要ではない。彼もそれは分かっているらしく、旬のもので栄養価が高い料理を中心に勧めてくれていた。
注文を受けたリュリュはてきぱきと動き、すぐさま湯気の立った皿がソワイエとフィデルの目の前に並べられる。相変わらずの手際の良さに内心舌を巻きながら、ソワイエ達は遅めの昼食を摂った。
おもむろに牡丹が蜜の着物の裾をくいと引く。彼が視線をやると、彼女ははにかみながら品書きのプリンの絵を指差した。
「リュリュ、牡丹に食後のプリンを作ってやってくれ」
「即決かよ! 蜜、お前ほんっとに甘々だな!」
「育ちざかりの牡丹に、腹一杯食べさせるのがわたしの務めだ」
ソワイエの野次に蜜は微笑を浮かべた。それから長い指で牡丹の頬を撫でる。やわらかなほっぺたにくっついたコロッケの衣を払うその様子が、いかにも妹想いの兄らしくて、ソワイエは口もとをゆるめた。
蜜は優しい。こと牡丹に対しては目に入れても痛くないほどの可愛がりようで、研ぎ澄まされた美貌の外見からは想像ができないほどだ。
(意外な一面っていうけど、蜜は色々見た目と違うよなぁ……)
初めて会った時は、今のように妹に甘い優しい兄だと思った。二度目に会った時は、ダリアを殺した犯人だと勘違いしてしまった。四区の墓守である蜜はダリアを埋葬しようとしてくれていたのだが、腰に差していた刀が誤解を生んだのだ。
その時ソワイエは激情して獣になり、彼の喉元に食らいついた。そのことを思い出すと同時に、我に返った時に感じた生暖かい血の味が脳裏によみがえる。普通なら死んでもおかしくない重傷を負ったにも関わらず、蜜の傷が見る見るうちに塞がるのを見た時の驚愕も。
異能じゃない。こういう身体なんだ。どれほどの深手を負わされようと、心臓さえ無事ならば死ぬことがない。蜜はそう言った。つまりソワイエの獣は、彼には脅威にならない。それは怖くもあったが、同時に安堵もした。彼なら側にいても、いつ殺してしまうかもしれないといった不安がない。
『わたしたちは少しだけ、似ているのだと思う』
蜜はそう独白して、ソワイエに協力を申し出てくれた。獣の異能を棄てるためにソワイエがこの街に来たように、蜜も自分の異常体質について知るために帰郷したのだという。
他に共通点といえば、彼が髪で隠した片目の色が、獣になった時のソワイエと同じく赤いことくらいで、蜜の言葉には疑問符が浮かんだままだけれど――なんせ蜜とソワイエの性格は正反対だ。しかし蜜をもっと深く知れたなら、彼の言葉の真意もいずれ分かるだろうとも思えた。
ふと彼はソワイエの方を見て、端正な眉を曇らせる。
「ソワイエ」
「ん?」
「もう皿は空だが、まだ肉叉を突き立てるつもりか?」
「……あ」
ソースだけが残った皿に視線を落として、ソワイエは居心地の悪さをごまかすように笑う。もともと深く考えごとをするのが苦手な性質なので、物思いに耽るとすぐに他のことが疎かになってしまう。
食具を付けあわせのパンに持ち替えて、皿をぬぐうようにソースを付ける。それを咀嚼しながらソワイエは隣に座った男のことを考えた。冷菓を食べながらソワイエや牡丹のことも気に掛ける、器用で思慮深い蜜。自分と彼とは、やっぱり似ても似つかない。