第11話 道行きを一緒に
「よければまた、お店に寄って下さいね。男の人は無理ですけれど、リュリュさんには慣れるように、私、頑張りますから!」
手のひらをまるく固めて、胸の前で気合を入れるように振るフレア。その笑顔は初めて見た時よりだいぶほぐれていて、彼の存在に少しは慣れたことが分かる。
店の玄関先で牡丹と自分を見送ってくれる彼女に、軽く手を挙げることでリュリュは了解の意を伝えたが、笑顔がどこか苦笑に近くなっていることが自分でも分かった。だって男の人は無理だけど、リュリュには慣れるよう努力できるということは、要するに男扱いされていないということではないだろうか。
(うーん……まぁ、しょうがないけど)
思わず指先で頬を掻く。もしかしてアナグマキッチンの前店主のように、実年齢よりもっと幼く見られている可能性もあった。けれどどちらにしても、自分に向けられるフレアの笑顔が牡丹に向けるもののように、ふわりとやわらかくなるかもしれない、という可能性は嬉しいものだった。
「じゃあ行こうか、牡丹ちゃん」
リュリュの言葉に、彼のシャツの裾を握った牡丹がこくんとうなずく。
牡丹の歩く速さに合うよう歩幅を調整しながら、リュリュは彼女の横に並んで歩いた。ときおり、くいっと牡丹が彼の裾を引いて、曲がる道を指し示す。
牡丹が案内する道は、リュリュが下調べしていた経路とは大きく異なっていたけれど、小さな楽しみがたくさん隠れているような道だった。瓦礫の隙間で蒲公英が花をつけていたり、軒先で子犬が母犬の乳を飲んでいたり、空地の原っぱに白詰草が咲いていたり、店の裏手で野菜を洗う料理人に出会ったり、喫茶店の窓越しにお茶を楽しむ客の横顔を覗き見たりすることができた。
「あそこに木香薔薇が咲いてるよ。それでいい匂いがしてたんだね」
「牡丹ちゃん、あの犬はなんて種類か知ってる?」
慣れない二人きりの緊張をほぐすように、リュリュは何かを見つけるたびに話しかけた。最初は彼を見上げてうなずくだけだった牡丹も、そのうち立ち止まってはスケッチブックに会話を弾ませるようになっていった。
「……あぁ、やっぱりそうだ! 牡丹ちゃんとフレアさん、アナグマキッチンに昼食を食べに来てたよね」
〈うん。エリザとロゼリィ姉さんと、4人で〉
最初から既視感はあったのだ。口にするには不確かすぎる記憶だったから言わなかったけれど、初日にソワイエがうっとりと見つめていた少女達は、牡丹とフレアを含んだ4人組だった。今は自分がアナグマキッチンの店主だとリュリュが告げると、牡丹はぱちくりと目を見開く。どうやら牡丹の方は、リュリュに覚えがなかったらしい。
「レシピも引き継いだから、またフレアさんと食べに来てくれると嬉しいよ。牡丹ちゃんは、どんな料理が好きなのかな」
〈アナグマキッチンのミンチコロッケ、おいしかった。フレアお姉ちゃんの作るたまご入りハンバーグも好き〉
「意外とがっつりした肉系が好きなんだね……」
そんな会話をしているうちに、景色から少しずつ店舗や緑の数が減っていることに気付く。代わりに廃墟が増えて、街並みは色褪せていくように灰色になった。
そろそろ三区から四区へ移った頃かな、と辺りに目線を配っていると、曲がり角から4、5人の男女が、リュリュ達が歩いている道へと姿を現した。若者から中年まで幅広い年齢の集団だが、共通してゴロツキのような荒っぽさがある。大声で話し、時に下品な笑い声を立てながら大股で歩いてくる様子に、リュリュは眉をしかめて「牡丹ちゃん」と小声で呼び掛けた。
牡丹と手を繋いで、彼女がごろつきから遠くなるよう入れ替わる。できるだけ道の端を歩くようにし、視線を下げて少し歩を速めた。こういった手合いは刺激しないに限る。
不安からか握る手にきゅっと力がこもった牡丹に、大丈夫だよと伝えようと、リュリュは彼女の手の甲を数度指で叩いてあやした。まだごろつき達とは離れているにも関わらず、大声で交わされる彼らの会話は筒抜けだ。
「いやホント最悪だろ。ちょっと前にさ、変な服装の男にあいつらを半殺しにされた仕返しもできてねぇのに、今度はその男とは違う奴が、あいつらを殺ったってマジかよ? ベンとバーニーのやつ、どっちがどっちかわからねぇくらい、ぐちゃぐちゃの死体だったじゃねぇか。あれを女がやったって?」
「〈影〉のチャーリーの情報だからな、間違いないさ。これじゃ俺達のメンツも丸潰れだ。殺られたら殺り返す。なぁ、そうだろ? その女ってのを八つ裂きにしてやろうぜ。あぁ、楽しみだなぁ!」
「まぁ待ちな。モノには順序ってもんがあるんだよ。まずはすでに情報を集めた男の方から報復といこうじゃないか。住まいは四区、名は〈雪見 蜜〉――」
彼らとすれ違うか否か。ごろつきの一人が出した名前を聞いた途端、牡丹はぴたりと歩みを止めた。
「あ……」
ひゅっと息を飲む声が聞こえたかと思うと、彼女の口から言葉にならない声がこぼれ落ちた。それまでリュリュと牡丹のことを空気のように認識していなかった男達が、彼女の声に視線を動かす。ゴロツキの男の一人と目が合った牡丹は、蛇に睨まれた蛙のように、顔を蒼白にして身動き一つ取れなくなった。
「……なぁ。集めた情報にさ、雪見蜜は東の国から来た男で、〈着物〉って変わった民族衣装を着てるって、あったよな?」
男は牡丹を凝視したまま、仲間に尋ねた。
「あぁ、そうだなぁ」
「もうひとつ。雪見蜜には、連れ立ってこの街に来た、大事な妹がいるんだよな?」
「へへっ、そうだった、そうだった!」
「なぁ、神様は俺達に味方してくれてるみたいだぜ! するとつまりこいつは――」
「――っ!」
男が牡丹に手を伸ばした刹那、リュリュは反射的に牡丹を抱き上げて、土を蹴った。待ちやがれ! という男達の怒号と、けたたましい足音が後ろから聞こえてくるが、振り向く余裕などありはしない。自分の心臓がうるさい。全速力で走り始めてしばらく、すぐに息が上がる。二人分の体重を抱えて走る足の、右足腿の古傷がずきりと悲鳴を上げる。耐えろ。奥歯を噛んで痛みをこらえる。……駄目だ、それでも足から力が抜けていく。長くは走れない。先に見える角を曲がって、道が交差するたびに滅茶苦茶に蛇行すれば、あるいは――
「逃げ、んな、よっ!」
「――っあ!」
背後で声がしたと思った矢先、背を蹴り飛ばされたリュリュは、声を上げて地を転がった。守らなければと、ぎゅうと腹に抱えるように牡丹を包んで、彼女をかばいながら土に体をすりつける。
彼が体制を立て直した時にはもう、牡丹と共にごろつき達に囲い込まれていた。
「へへっ、弱いのに格好つけるから痛い目に合うんだ、ぜっ!」
「ぐっ……げ、ほっ!」
今度は腹を蹴られて呼吸が止まり、苦しくて思わず地に額をこすりつけて唾を吐いた。
大柄な男が牡丹の腕をぐいと引っ張り、無理やり立たせる。むさくるしい顔を近づけて、低く唸るような声で男が尋ねた。
「なぁ、お前、雪見蜜の妹だろ?」
「……っ」
牡丹は恐怖に顔を引きつらせながらも、それでもふるふると首を横に振って否定した。
「痛い目見たくなきゃ正直に話しな。私達は女子供だからって容赦はしないからね」
うしろに控えていた、茶褐色の髪をした細身の女がそう言葉を足すと、大柄な男は脅すように牡丹の体を揺すりあげる。
やめろ、と男の足もとに手を伸ばすリュリュの腹を、男は邪魔そうに再び蹴り上げた。
「兄を売るのが心苦しいなら、女の方はどうだ? 半月ほど前に、ベンとバーニーを殺したやつだ。そいつも知ってるんじゃないか? 赤くて長い髪を持つ、薔薇の飾りを首から下げた、若い女だ」
女の口から飛び出た情報に、腹を押さえて横たわり、荒い息を吐いていたリュリュが、ぐっと半身を起こす。
「……そのひとを探して、どうするんですか」
この期に及んで、震えてすらいない声でそんなことを聞くリュリュに、女は眉をそびやかした。
彼に視線をやると、射るような強さでこちらを睨む双眸と目が合う。怯えの見えない、弱者らしからぬ目つきが気に食わない。思わず挑発するように、女は高らかに言い放った。
「決まっているだろう。同害報復さ。目には目を、死には死を!」
――女はそれ以上、強い物言いを続けることはできなかった。
突然、心臓ただ一点を狙った、鋭い刃物を繰り出されて。