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全裸少年

作者: アルテルナリア


少年は生まれた時から衣服を身につけるのが大嫌いだった。少年の肌に初めて衣服がふれた時、少年は本能的な嫌悪感を抱いた。少年はその本能に従い、まだ小さなその手足を懸命にジタバタさせ、断固としてその異なる物質を拒否した。少年が生まれて初めて世界に対して示した意思表示だった。

当然両親は少年に衣服を着用させようとやっきになったが、少年は強い意志をもって拒み続けた。

なぜ服を着なければならないのか? 少年は全く理解ができず、また同様に周りの大人達もそんな少年を全く理解できなかった。

少年が小学校に入学する時のことだ。少年の父親が嫌がる少年を押さえつけ、少年の母親が服を着させようとしていた。少年の妹がその様子を遠巻きに見つめている。

「お前は獣じゃない! 人間なんだ! 人として生きるんだ!」

 父親はそう叫びながら、狂ったように暴れる少年を必死におさえこんだ。母親が少年の足を押えながら下着をはかせようとしている。

「嫌だ!」

少年はわめきながら、父親の腕にかみついた。父親は悲鳴をあげ一瞬力を緩めた。少年は母親の鼻先をかかとで蹴りつけ、父親の腕にさらに力をこめて歯を突き立てた。父親は少年の髪をつかんでひきはがすと、少年の顔面を思い切り殴った。少年は妹の足元まで吹き飛ばされた。少年はへし折れた前歯をぶっと吐き出す。血にぬれた前歯が畳の上に転がった。妹は少年のそばへしゃがみこんだ。

「おにいちゃん、かわいそう」 

 妹はそうつぶやくと、少年をぎゅっと抱きしめた。

「離れなさい、トマコ」

 母親は両手で鼻を押さえながら、妹に向かって言った。母親の手のひらから、一筋の血がこぼれ落ちて畳にポタリと落ちる。

「おにいちゃんが、かわいそう、かわいそう」

 妹は何度もそう言いながら、少年を抱きしめ泣いた。


 少年は十六になった。少年の体はたくましく成長し、また少年もその体を鍛えるための努力は惜しまなかった。彼にとって筋肉が衣服のようなものだった。自分を表現するためのツールであり、アイデンティティでもあり、存在証明でもあった。長く伸びた髪が盛り上がった背筋にかかって、少年が歩くたびにゆれた。

少年は結局小学校にも中学校にも入れられなかった。そしてぶ厚いカーテンのかかった自室に入れられ、トイレと入浴以外の外出を禁じられた。その薄暗い部屋の中で、少年は通信教育を受けながら過ごしていた。

晩秋の日の午後、少年は歴史の教科書を置くと、時計を見上げた。そろそろカウンセラーのやってくる時間だ。


 「なぜ服を着ないんだね」

  毎週水曜日の午後三時にやってくる初老の男は、いつも少年にストレートな質問をぶつけてきた。それまで少年を診てきたたくさんのカウンセラーや心理学者と、男は少し毛色が違うように少年には思えた。

 「着たくないから」

  少年はいつもどおりぶっきらぼうに答えた。男は少年の胸をぐるりと覆う大きな胸筋に目をやると口を開いた。

 「着たくないから着ない。それではまるでだだをこねる子供だ」

 「でも嫌なものは嫌なんだ」

  男は少し間を置くと、冷たく言い放った。

 「君は異常だ」

 「そんなこと知ってる」

 少年は成長するにつれ理解するようになっていった。服を着ない自分は異常なのだと。服を着る周囲の人間は正常で、自分はこの世界において異常な存在なのだと。だからこんな狭い部屋の中に閉じ込められているのだと。しかし理解したところで、どうすることもできなかった。服を着ないということは、少年の中でもはや確立されたものであり、何をどうあがいても、覆される類のものではなかったのだ。

「君は狂っている」

 少年が何も言わずにいると、男は鋭く少年を見すえながらはき捨てた。

「君は異常で、狂っている」

 少年は目線を落とした。男は少年から目を離さない。


 「僕は決して異常じゃない」

  少年は眠りに就く前、自分に言い聞かせるようにそうつぶやいた。

 「でも人は僕を異常だと言うよ。狂ってるって言うよ」

 ろくな話し相手のいない少年は、自分自身と会話するのが習慣になっていた。

 「言わせておけばいいさ。言わせておけばいい。僕は異常じゃない」

 「異常だよ、君は異常で狂っている」

 「僕は決して異常じゃない。狂ってなんかいない」

 「でも自分で気付いているんだろ? 自分は異常だって。狂っているって」

  少年は唇をぎゅっとかむとベッドにあおむけに寝転んだ。少年は自分に忠実に生きようとしていた。自分の中の本能にただ従おうとした。そのためにどうするべきなのか、少年は答えを出せずにいた。


 答えはでない。でも少年は行動に出た。こんな場所は抜け出すのだ。少年の本能がそう訴えているのだ。少年は自分の本能に素直に従った。

 その日の深夜、少年は部屋からそっと抜け出すと、妹の部屋を訪ねた。部屋のドアをそっと開けると、月明かりに照らされたベッドの上で、妹が静かな寝息を立てていた。少年はしばらく妹の寝顔を見つめるとそっと手を合わせて、「ありがとう」とつぶやいた。少年は妹だけが自分を理解してくれたように思っていた。その時妹がふっと目をあけた。妹は少年をしばらく見つめた後、「行くのね」と口を動かした。そして上半身を起こすと、枕元から髪どめを手に取って、少年の長く伸びた髪をとめた。

「気をつけてね、おにいちゃん」

 妹は少年の手をとる。少年は「ありがとう」と再び告げて部屋を後にした。


 家の外に出るのは初めてだった。いつもカーテンのすきまからのぞいていた外の世界とはまるで違っていた。夜風がびゅうっと吹きつけて、少年の前髪をゆらした。

少年は足の裏でアスファルトの武骨な硬さを何度も踏みしめて確かめた。そして大きく両手を夜空に広げながら颯爽と歩き出した。月に照らされた少年の表情はとても晴れやかだった。少年には見えていた。他の誰にも理解されなくても、自分にだけ見える世界がこの世の中のどこかにあることを。

 しばらく歩くと静かな浜辺にたどりついた。波が引いては打ち寄せる音が聞こえてくる。少年は生まれて初めて見る海に目を輝かせながら、波打ち際へと走った。そしてざぶんと海に飛び込むと気持ちよさそうに泳ぎ始めた。海水の中で少年は体をしならせながら自由に泳ぎまわった。

思う存分泳いだ後、少年は浜へとあがると仰向けに寝転がった。潮風が全身をくまなく通り抜ける。少年は気持ちよさそうに目を閉じた。

 「こんちにわ」

 ふと目をあけると男がひとり少年を覗き込んでいた。

 少年は上半身を起こすとその男を見た。その男は社会の教科書で見た毛沢東に似た格好をしていた。先端に風呂敷を結びつけた長い杖を持っている。

 「今日は穏やかな夜だね。いい夜だ」

 男は少年の隣に腰掛けると、風呂敷をほどいて中からマシュマロをひとつかみ取り出して口に放り込んだ。

「君はアダムかい? イブをさがしているのかい?」

 男は口をモゴモゴと動かしながら少年を無邪気な目で見た。少年は何も言わずに黙っている。

「見つかるといいね。僕も探しているんだ。僕のスイッチを解除してくれる人をね」

 男はマシュマロをもうひとつかみ取り出すと、少年の前に差し出した。

「食べなよ。おいしいよ」

 少年はマシュマロをひとつ手に取ると口の中にそっと入れた。男はニコッとほほ笑むと再び口を開いた。

「君さ、ねじれを見なかったかな。ねじれはさ、全身がまっくろで、すごく細くて、胴体がぎゅってねじれているんだ。だからねじれっていうんだ」

 男の顔は真剣だった。少なくとも冗談を言っているようには見えなかった。少年は首を横に振った。

「そうか。それは残念だな。あいつらはね、孤独スイッチを押すのさ。人を孤独にするスイッチさ。僕もねじれに押されちゃってね、孤独スイッチを。だから僕は孤独なんだ。どうしようもなく孤独なのさ。今こうして君と話していても、僕の心は宇宙の闇を漂っているんだ」

男は気がふれてしまったのかもしれない。少年は男の横顔を見ながらそう思った。

「ねじれを探して解除してもらわないと、僕は死ぬまで孤独さ。そんなのは御免だからね。だから僕はねじれを見つけなきゃいけない」

 男はそう言うと、さみしそうに笑った。


 男が去ってしまうと少年は瞳を閉じた。少年は男が言ったねじれと孤独スイッチについて思いを巡らせた。孤独ってどんな気持ちなのだろう。さみしいのかな。かなしいのかな。それとも楽しいのかな。少年はその言葉の意味を知ってはいても、理解はしていなかった。孤独という感情を少年はまだ理解できない。見つかるといいな、ねじれ。解除してもらえるといいな、スイッチ。少年はそう願いながら眠りについた。とても穏やかで、深い眠りだった。


 少年は夢を見た。夢の中で少年は服を着ていた。不思議と心地よかった。そういえば少年は今まで一度も服を着たことがなかった。衣服はやさしく少年を包み、少年も衣服にやさしく包まれた。

 少年はその夢の中で朝がこないように祈った。ずっとこの心地よさを全身で感じていたいと思った。

眠りについている少年の横で太陽がゆっくりと昇っていく。少年は夜に向かって逃げないようにと懇願した。それでも夜は、少年のことなどまる無視するように去っていこうとしている。

少年の体が太陽の光に飲み込まれていく。ひどくまぶしい。目がくらみそうだ。少年は目覚めることを拒んでいる。少年は負けるな夜、と願った。光に負けるな、と願った。

それでも太陽は高く昇り、夜は完全に去って行った。少年は目を開けた。そしてそのまぶしさに少年は一瞬意識を失いそうになった。昨夜見た少年の世界はなくなっていた。自分だけに見えていた世界はどこにもなかった。昨夜の晴れやかな気分は、一変して失望と絶望に変わってしまった。

少年はぼんやりと辺りを見回した。昨夜の男が残したマシュマロが砂にまみれて落ちていた。少年はそのマシュマロを手に取ると、丁寧に砂を払って口に入れた。そして男が言った孤独について想いを巡らせた。

                                            了

 



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