それは事故03
また俺はこの部屋に一人になった。部屋はとても静かで、自分の心臓の鼓動が聞こえてくるようだった。
ベッドに横になる。真っ白い天井を特段理由もなく見つめる。本当に真っ白だ。しみもなく、陶器のような白だった。
これから俺はどうなるんだろう。大学はちょうど冬季休暇に入っているけれども、意地の悪い教授から出された課題は数日で終わるようなものでもないから早く退院しなければと思う。
俺の目線が宙につられた左足に移る。この足はいつ治るんだろうか。というかどうなっているんだろうか。折れているのか、砕けてしまったところまでいっているのか。
その足から左手に移る。包帯がぐるぐる巻きになっていて、自分の指も腕も見えることはない。右手を見ても同じように皮膚は見えない。
体がこの調子ならば、鏡がないから見ることは出来ないが、きっと頭も顔もひどいことになているに違いない。
なんにせよ、きっと今は無事ではない。命あっての物種とはいうけれど、こんな状態じゃとてもそうとは思えない。
少しそんな風に考えてぞっとした。
いったい事故からどれくらいの時間が経ったのかわからないが、あれはひどいものだった。
酷い、凄惨な、まるで現実とはかけ離れているような状況だった。
目の前は赤く染まり、その染めているものが誰の血なのかもわからず、俺の視界に映る人たちは誰もが息をしていなかった。中には生きている人もいただろうけれど、俺には死んだように見えていた。
急激に圧迫されたからか、耳もずっとぼやけた音を聞いていたし、肺がつぶれたのか周りの骨が折れたのか、しっかりと声を出すこともできず、ただ吐き出される唸り声がそのぼやけた音と一緒になって自分の耳をバカにしていた。
赤くなった視界には誰も動いていないように見えた。ゆっくりと、首を動かしてみても、かすかにすら動くものはなかった。
それから、気付けば意識はなく、ついさっき、目覚めてこの真っ白な天井を見たのだ。
再び俺は白い天井を見る。
俺が眠っている間に誰か来ただろうか。
友達と呼べるひとはそこまでいないけれど、誰か来てくれていたのだとしたらそれはすごくうれしいものだと思う。
ずっと天井を見ていると、ふと睡魔がやってきた。戦うこともないから、そのまま瞼を閉じていく。それから瞬くこともなく、俺は眠った。
また目覚めると、そこはやはり白い天井だった。真っ白で、他に何もない。何かを足すこともない白い天井だった。
ゆっくりとまた眼を動かして部屋の様子を見てみると、この部屋には時計がないことに気づいた。おかげで今が一体何時なのかはわからなかった。日差しはさっきよりも強くなっているので一時間か二時間か、それくらいは眠っていたのだろう。
もう一度目をつむってみる。
静かだ。
もう一度目をあける。
やはりそこには白い天井があって、右をみれば、棚のような四角いボックスの上に、色とりどりの花が挿されていた。左をみればカーテンが揺れていて、窓は少し開いているようだ。
窓が開いているというのに何の音もしないなんて不思議なこともあるのだなあと考えていると、遠くの方からサイレンが聞こえてきた。
ばたばたと扉の向こうから足音が響いてくる。いくつもの足音だ。一人のものではない数の足音が、慌てているように走っていた。
急に騒がしくなった。今までの静けさがウソのように騒がしくなった。徐々にサイレンの音も近づいてくる。足音は今だ扉の向こうで反響している。
まるでこの部屋に俺がいることがうそのように、忘れられてしまっているように、あまりにも外の世界が別のものに思えるくらい、この部屋と、扉一枚で隔てられた向こうの世界が違うように思えた。
鳴りやまない足音の中で、突然、叩き壊すように扉が開けられた。引き開けられたそのドアは終着点の壁にぶつかって、その反動で少し戻ってきた。
ついさっきやってきた白衣のおっさんが駆けこんでくる。見るからに、何か鬼気迫る様子だった。
「君をここから連れ出す」
入ってくるや否やそんなことを吐き出した。
「どういうことですか、というか俺、こんなだし動けません」
俺の言葉をすべて聞かずにその先生は口早に話した。
「今、説明している時間はない、だから君を輸送しながら話すことにしよう。さあ、彼を連れていくんだ!」
よく見れば先生の後ろには数人の看護師がいた。美人なひともいたし、愛嬌のある顔もあった。
戸惑う俺をよそにその看護師たちは俺を担架のような簡易ベッドに移して足早に部屋から連れ出した。その足はどんどん速くなっていき、最後にはみんなが走っていた。
初めて目にした長い天井はどこまでも続いているかのようだったが、この階の突き当りにあったエレベーターの扉の前で止まった。俺を除くみんなの息は荒い。
息を切らしながら先生は俺にむかって説明を始めた。
「とても申し訳ないんだが、君をここから連れ出さなくてはいけなくなってね」
その先生の言葉が俺の耳で聴きとるとともにエレベーターがやってきたという合図の高い音が聞こえた。扉が開くと先生と俺を運ぶ看護師の二人がその中に入り、他の数人はそのままその廊下に立っていた。どうしてだろうとその人たちを見ようと少し上体を起こすと、扉が閉まる前に決意を込めた表情が俺の眼にうつった。
扉が閉まるとき、その看護師たちは、俺の横にいる先生を見やったようにして力強くうなずいた。
扉が閉まると、先生は話をつづけた。
「君は奇跡だ」
「奇跡ですか?」
そうだ、と先生はうなずいた。それから、「だから君をこのままここにおいていくわけにはいかないのだ」といった。
「本当は君が完治するまで我々の手で守りたかった。しかしそれはもうできない」
「守りたかった?何からですか」
「害悪さ。世界を恨むたくさんの人々さ」
俺はいつのまに、そんな風に人に恨まれてしまっていたのだろう。ついさっきまでただの田舎から出てきた大学生だったというのに。
「君が事故にあった五年前のあの日、あのとき起きた事故はただの列車事故じゃあなかった」
「ちょっとまってください、五年前?そんなに俺は眠っていたんですか?」
「ああ、君が眠っていたのは五年間だ。詳しく話せば五年と八か月と十三日。君はずっと眠っていた」
先生はしゃがんで自分の顔を俺に向き合わせた。
「君があったあの事故は、いや、災厄といったほうがいいかなーーあれは日本だけでなく、世界各国でおこったんだ。『世界大崩壊』と呼ばれるそれは世界各地で局地的に起きた。そのせいでたくさんの命がなくなった。けれどもその被害にあった人たちの中でも生き延びた人たちもいた。そしてその人たちはもう人間ではなくなっていた。死人といえばいいのかな。といっても本当は死んではいないんだ。だが、生きてもいない。心臓は動いていないが、体は機能している」
先生の話を聞きながら、俺の心臓が飛び跳ねるような気がしていた。
「そして君もそうだった。君も生きていないが死んでいない、その宙ぶらりんな一人なんだ。そしてここからが重要なんだが、不思議なことがわかってね」
エレベーターはなおも上昇を続けている。先生の声がぼうっと圧迫された耳を刺して痛い。
「その死人たちはーー我々は『不死生人』ノーライフと呼んでいるが、彼らには特殊な能力があることがわかった。それは自身の身体能力の向上とそして超能力だった。人間の脳は誰一人としてすべてを使いこなしてはいない。その未知なる部分を君たちは既知なる部分に変えてくれるであろう存在なんだ。けれども皆が皆それを喜ぶわけじゃない。中には当然批判をする人たちもいる。だから私たちは君を隠し続けていた。しかしそれももう無理だったようだ」
エレベーターは上昇をやめて扉を開けた。そこにはたくさんの機械とモニターがあって、まるで現代とはとても思えないほど近未来的だった。
足早に俺をエレベーターから降ろすと、すでにそこでキーボードをたたいていた人たちが先生に準備は整ったと声をかけた。それを聞いた先生はわかったと短く答えて俺を人ひとりが入れるくらいの大きさの縦長な卵のような形をしたポッドの中に押し込んだ。
「私は君に未来を託したい。世界がどうなるのかはわからないけれど、それでも君に人間の可能性を託したい。君とはもうここでお別れだけれど、私は五年間君を見てきた。君は知らないだろうけどね。だからなんだか情が生まれてしまったんだ。最後まで君を看てやれなくて済まない。きっと君は次に目覚めたときには元気になっているはずだ。そうしたらこの地球に帰っておいで。さよなら」
そういうと先生はドアを閉じた。ガラスのように透明な窓から外を見ると、ちょうど先生が横を向いてうなずいたところだった。突然のことでさっぱりわからないことだらけで、聞きたいことはやまほどあるのに、なにも聞けないままだった。ポッドの中で叫んでみるけれど、外には何も聞こえていないようで、先生はただただ俺を見つめていた。ほかの人たちも俺を見つめていた。何もできなくて、ただその窓から見える外に向かって叫び続けていると、突然煙が中にあふれてきた。
故障したのではないかと思ってなおのこと叫んでみたが、誰一人として反応してくれる人はいなかった。なんだかむなしくなったけれど、それでもかまわず叫んでいた。ノドが焼けそうに痛くなっても、血管が切れそうに熱くなっても、ずっとずっと叫んでいた。
徐々にポッドは上昇していくようで、すこしずつ先生たちの顔が下に下がっていった。俺は何か動けるわけでもなく、ただその顔を見ていた。
それで、気付けば、また睡魔がやってきて、眠れと催促するものだから、必死になって耐えていたけれど、結局勝てずに瞼を閉じた。静かな部屋の中で。