海と黒
海の果ては長い。
砂の果ても長い。
薄い雲の間から、満月が見え隠れしている。
隠しきれない光が水面に反射して、辺りを煌々と照らしている。
砂浜を、くっついたり離れたりしながら、二つの影が走り回っている。
海辺にはひとつ、まるで神様が天高くから放り投げたような石がある。それは、長い年月をかけて、波や風に吹かれてゆっくりとさらさらと平らになっていった。
今日、ふたりは、その2メートル程ある幅の石の周りを、両手を挙げて、ぐるぐる回って、時折きゃーとかわーとかの奇声をあげながら、また砂浜を勢い良く走りはじめる。
「にいちゃん、海に入ろうよ」
片っぽ、色黒が先頭を切って海に入った。水は生ぬるくて気持ち良かった。両手両足をばたばたと動かして、一気に顔をつけて潜ってみる。水が目にしみるのもお構いなしだ。
色白は弟の後につづき、そっと水へと足をすすめた。兄の方が弟より臆病だった。何より、弟よりも少し太っている。
水は兄には少し冷たくて、一瞬身震いしたが、すぐ慣れた。瞬間、ずっ、と海の中に引き込まれて、慌てて両手を動かすと、弟が意地悪く微笑みながら、片足を水中から引っ張っているのがわかった。溺れる、と四肢をばたつかせると、弟は寸前で身体を話した。
「やめろ!バカ!」
涙目の兄をみて、弟は笑った。
水中から身体を引き上げると、海からの風が吹いて、少し寒い。そうこうしてると寒気がする。寒気がしたらまた潜る。その繰り返し。その繰り返しが楽しい。
「夏は、いいよね」
「夏はいい」
「でもすぐに涼しくなって」
「海が暗くなる」
「海は寒いよ」
「でもすぐ夏が来る」
兄弟は、水面から満月を見上げた。
満月な白々とこちらを見下ろしている。
「こんなに濡れて、ママに怒られるかな」
「おかあちゃんだろ?」
「おかあちゃん」
ふたりは顔を見合わせた。
ふたりは、少しも似ていなかった。
色黒はやせっぽちで、小さいなりに筋肉ががっしりしていた。ひとみも真っ黒だった。
兄はふくよかだったけれども、精悍で、手足がとても長い。右脚を怪我しているので、あまり早くは走れなかった。弟は、よくそれをからかう。
それでも、ふたりは兄弟だった。
「ママのことをよく思い出すか?」
兄は弟に聞いた。
弟は、まだ、月を見上げていた。とうに、遊びについて記憶をなくしたようだった。
「さぁ、わからない」
「もう、おぼえてないんだ」
兄が今度は水にもぐり、弟を海の中に引き摺り込んだ。弟は、目を見開いていたが、やはり笑った。水の中でふたり、クスクスと笑あった。
「帰ろう」
「うん」
「朝になるから」
ふたりは再び走り出した。途中、何度か身震いをして、神様の石の周りをぐるぐるとして、家路を急いだ。その間も、何度か兄の足をからかった。
「ただいま」
家の近くで、ふたりが叫ぶ頃には、辺りは少しずつ明るくなってきていた。
ふたりはふざけて、何度もただいま、ただいまと言いあった。クスクス笑いながら、おかあちゃんおかあちゃんと言った。叫んだ。お腹が空いたよ、と。
「あんたたち!どこに行ってたの!」
家主が寝ぼけまなこで家から出てくる。
引き戸を開けると、ほのあかるくなった玄関に、2匹の犬が尻尾を振って待っていた。
ふたりが少し濡れているのを見ると、家主はため息をついた。
「また、海に行っていたんだね」
呆れ口調のまま、仕方ない風に撫でられて、撫で回されて、ふたりはまた、おもしろくなった。
そして2匹の犬になり、わんわんと吠えた。