砦の攻防
魔物の群れが砦に群がっている。
恐ろしいまでの数だ。
「焼き尽くせ! 豪火炎弾!」
尽きそうになる魔力を振り絞り、着弾地点に火炎の嵐をまき散らす。
魔物たちは要塞そのものをどうにかできるというわけではなく、人型の魔物たちが壁をよじ登ろうとしているくらいのものだ。
その魔物たちも先ほど自分の放った豪火炎弾の余波にて壁からはがされる。
「…何とか持ちこたえられそうだな」
王宮魔導師の一人であるクラン・マルチストはそうつぶやいた。
魔王や魔族以外の連中が相手なら、この要塞はこちらに圧倒的なアドバンテージを与えてくれる。
どういうわけなのか、魔族や魔王は魔物たちの後から遅れてやってくる。
第二砦でもそうだったのだが、どうやらそれはこの第三砦でも同様らしい。
ほとんど間断なく攻撃を続けてくる魔物たちの群れは、もはや軍隊とさえいうこともできないほどの数だ。
人海ならぬ魔物海。
砦から見れば足元に無数のありがうごめいているようにさえ見えてしまう。
唯一救いがあるといえば、空を飛べる魔物たちがいないため、こちらは魔物たちをここで食い止めることができているということだろう。
生き残った兵士たちは出撃時と比べて半分以下にまで減っている。
魔王アルベウスに砦を破壊された時点で第二砦を放棄すると判断し、この第三砦に集まった兵士たちはおおよそ一万人前後。
砦を突破された時点で大量の魔物たちが砦の中になだれ込み、逃げ遅れた者達は容赦なく殴殺されてしまった。
魔物たちは統率らしい統率を取られていたわけではなかったので、砦を破られた時点で撤退を選択した者達はうまく撤退することができた。
そのまま逃亡兵が続出してもおかしくはなかったのだが、ほとんどのものが第三砦を目指し、魔物たちとの迎撃戦に参加することを望んだのだ。
(腐っても精鋭のエストワール軍ということか)
この東大陸の各地から集められた最精鋭の王国軍に備わっているのは戦闘能力だけではなく、敵と最後まで戦い抜くという高貴な志も併せ持っている。
大陸最精鋭の王国軍は伊達ではないのだ。
(しかし、逆を言えばそんなエストワール軍であってもここまで一方的にやられるのか)
魔物たちの相手位なら何の問題もないのだが、魔王をはじめとする魔族たちと衝突した途端に我々は敗北を喫してしまったのだ。
エシュバット王子が送り込んできた親衛隊たちは、どういう了見かわからないが、魔力消費の多い広域魔法などを連続で叩き込んでいた。
そんな親衛隊たちのおかげでこちらも魔力を温存させることができていたので特に文句はなかった。
しかし、親衛隊隊長のアルモンド・エシュロスが謎のローブをまとった相手と戦闘をはじめ、その直後に現れた魔王アルベウスに砦を破壊されたのだ。
その、一方的としか言いようのない圧倒的な力の前に、我々はあまりにも無力であった。
我々のことなどまるで眼中にないと言わんばかりの魔王の進撃。
魔導師たちが全力で魔法を叩き込んでもまるで気にも留めていないその圧倒的な耐久力。
魔物の数は圧倒的だ。
それに対して我々は一人一人の質の高さと砦という地の利を持って持ちこたえていた。
その二つを見事に魔王に打ち崩されたのだ。
こちらの攻撃が効かず、地の利である砦を打ち壊されてはまるで勝負にならない。
今も魔王が現れればすぐにでもこの砦は突破されてしまうだろう。
逆を言えば魔族が現れていないからこそ我々は持ちこたえることができているといいかえることもできる。
正直に言えば戦局は絶望的だ。
魔王が出現してしまえばこの砦はなすすべなく崩されてしまうだろう。
そしてそれは人間側の国と魔物たちのテリトリーの境界がなくなるということを示している。
これまで第一砦と大森林に阻まれて遭遇することのなかった魔物たちの群れが人間界になだれ込んでくることになるのだ。
(そうなれば、砦付近の村から、いや、やがては王国さえも…)
今更なれど激しく後悔する。
魔王アルベウスには我々をいつでも滅ぼすことができたのだ。
ただそうしなかっただけ。
そう考えると今にも心が折れてしまいそうになる。
(だからといってあがくことをやめることはできませんよね)
そういって残りわずかな魔力を振り絞る。
魔力の過剰放出により気絶しそうになるが、今はそんなことを気にしている場合ではない。
魔王が現れれば、我々は抵抗することさえできないのだ。
魔物を殲滅してしまえば、少なくとも時間稼ぎくらいにはなる。
となれば、魔王のいない今のうちに魔物を一匹でも多く滅ぼしてしまうことこそが我々にできることだ。
ここに残っている者達もほとんどはそう考えていることだろう。
「ここで、死ぬことになっても、一匹でも多くの魔物を滅ぼすぞ!」
「「「オオォォォォ!」」」
クランの言葉に周りの兵士や魔導師たちが呼応する。
幾度となく味方を鼓舞しているうちにそうなってしまった。いつの間にやら自分が第三砦の指揮官のようになっているが、最早そんなことを気にしている場合ではない。
再び豪火炎弾を魔物の群れに向かって放とうとした。
その時、魔物の群れの奥にあるものの存在が映った。
「アルベウス!」
極限まで圧縮したような要塞のような出で立ちをした魔王が、魔物の群れの奥よりこちらに向かってくるのが見えたのだ。
その姿を確認したとき、耳にまるで地響きのような音が響く。
魔王の歩調に合わせて響くその振動音に、まるで自分たちが立っている砦そのものが揺れているようにさえ錯覚する。
右手に集めていた魔力をアルベウスに向ける。
無駄とわかっているが、やってみないという考えはどうしても思いつかなかった。
「喰らえ!」
豪火炎弾を魔王に向けて放つ。
魔王とその周囲にいた魔物の群れが爆炎に飲み込まれる。
通常であればそれだけで勝負ありだろう。
しかし。
「やはり…」
爆炎の中から何事もないようにこちらに向かってくる魔王アルベウス。
その姿に戦慄を覚える。
自分以外にも魔法や弓をアルベウスに向かって放つ者達は多いが、手傷を負わせるどころかその歩みを緩めさせることさえできない。
ゆっくり歩くようにこちらに向かってくるアルベウス。
第二砦の一件を考えれば、魔王が砦にたどり着いた瞬間全てが終わる。
そしてその歩みを止めるすべが我々には存在しない。
加えて魔王に攻撃を集中させてしまったせいでほかの場所から魔物たちが砦をよじ登ろうとしてきている。
「…ここまでか」
口からこぼれる弱音。
魔力は枯渇寸前。
そして目前に迫る絶望。
そのすべてがクランの心を暗く染め上げようとしたその時。
目の前に一陣の風が吹き荒れた。
否、そんな生易しいものではない。
砦にへばりついている魔物たちを吹き飛ばし切り刻むような巨大な竜巻が突如として巻き起こったのだ。
まるで計算されたかのように砦とこちらの兵士たちを避け、魔物たちだけを巻き込むように巻き起こされた竜巻は明らかに自然のものではない。
しかし魔法だとしてもあり得ない。
この規模の魔法は個人での発動はもとより、一流の魔導師たちが集団で行ったとしてもかなり難易度が高い。
膨大な魔力を緻密なまでに共有させなければならないからだ。
個人でそれだけの魔力を持つものなどクランの知る限り存在しないし、そんな緻密な魔法を発動させる余裕などこの戦場には存在しない。
いったい何が起こったのかとあたりを見回してみると、クランの後方に見知らぬ三人の人物が立っていた。
その三人のうちの一人がこちらに声をかけてくる。
「クラン・マルチスト。よくここまで戦い抜いてくれました」
「…あ、あなた様は」
ローブを身にまとっているため気が付くのが遅れたが、その出で立ちはエストワール王国に仕える兵士である自分がよく見知ったそれ。
一目見ただけで分かるほどの才気と美貌を惜しみ気もなくさらすその姿は、間違いなく以前エシュバット王子によって投獄されたエステルナ王女その人であった。
「な、なぜ?」
投獄されたはずのあなたがこのようなところに?
突如現れた王女に戸惑う私に、エステルナ王女は凛とした声で
「この戦争を、終わらせます」
そう宣言した。
間に合った。
馬を走らせること三日。
砦にたどり着いたエステルナは、未だに突破されていない砦の様子に安堵する。
しかしそんな中、隣を馬に乗って走るアルミナさんが一言ぽつりとつぶやく。
「…この気配」
「アルミナ。どうかしたか?」
そのつぶやきにマサキさんが問いかける。
「…砦の向かい側に、無数の魔物たちと、一つとてつもなく大きな気配があります」
アルミナさんの言葉に、とっさに質問を返す。
「とてつもなく大きな気配? まさか、魔王アルベウスがすでに砦に!?」
「いま砦に向かって歩み寄っているようです!」
そんなアルミナさんの言葉に、今度はジェストが狼狽する。
「それはまずいです! 第二砦は、魔王アルベウスによって突破されたと聞いています。方法は知れませんが、このままでは突破されかねません!」
ジェストがはっきりとそう告げる。
「なら、急ぐぞ!」
「「「はい!」」」
マサキさんにそういわれて、私たちは馬の腹を蹴りさらに早く走らせる。
砦の下方にたどり着いたとき、早く砦に上って迎撃を行いたいと思っていたその時。
「マサキさん! 時間がありません! 私と女王様を抱えてこの砦の上まで連れて行ってください!」
そんなことをアルミナさんが言い出した。
「な、何を!?」
私を尻目に、アルミナさんは彼女にしては珍しくまくしたてる。
「道なりに砦を上っていては手遅れになります! 時間がないんです。マサキさん! お願いします!」
「…分かった」
少し戸惑っていたようなマサキさんは、しかし右手でアルミナさんを抱えるとその体勢を大きく沈める。
まさか、この砦の上方まで人二人抱えて飛び上がろうというの!?
「エステルナ様! 今は強大な魔法使いが一人でも必要です。早く!」
アルミナさんの言葉に動かされ、私はマサキさんの左側に歩み寄る。
そうするとマサキさんは左腕で私の体を支え、そのまま飛び上がった。
息が止まるかと思うような上昇により、私とアルミナさん、そしてマサキさんの三人はあっという間に砦の上にたどり着く。
茫然とする私を余所に、アルミナさんはその身を緑色に輝かせながら砦の前方に走り出す。
その両手を前に付きだし、その魔力を開放する。
その時、城壁の向こうで巨大な竜巻が発生した。
「…すごい」
これがアルミナさんの本気の魔法!?
気が付けばマサキさんも絶句している。
アミュレットの加護を受けている今の私なら、同規模の竜巻も起こせるだろう。
しかしアルミナさんはこれほどの規模の魔法を、何の補助もなく発動させたのだ。しかもこれほどの規模の魔法でありながら、味方は全く巻き込んでいない。
膨大な魔力をここまで緻密に制御することは私にもできない。
(これが、アルミナさんの全力)
目の前の竜巻がやんだ。
しかしその眼下にはいまだに無数の魔物たちが群がっている。
これほどの魔物たちの襲撃から砦を守り続けてくれた魔導師の一人に見知った顔があったので声をかける。
「クラン・マルチスト。よくここまで戦い抜いてくれました」
「…あ、あなた様は」
かつて、幼かった私に魔法を教えてくれた宮廷魔導師。
恩師と呼んでも差し支えない存在の前に立ち、私は宣言する。
「この戦争を、終わらせます」
そういって右手に魔力を集める。
膨大な圧縮された魔力が白色から白銀色に変化する。
先ほどアルミナさんが放った魔法によって砦にまとわりつく魔物たちはほとんど倒れている。
今私が狙うべきは敵の密集している場所。
そう思い、右手に集めた魔力を開放する。
放たれた白銀の魔力は、その手から離れた直後に真っ赤に変色し、魔物の群れに飛来したのちに大爆発を引き起こした。
その威力に自分でも驚愕する。
これまで使ってきた魔法などとは比較にならないほどの威力に、私のみならず砦にいる者達全てが息をのんだ。
ギアアアアァァァァァ!!!!!
魔物たちの絶叫が響き渡る。
今の私は膨大な魔力を力任せに放つだけでしかないが、魔物の群れを殲滅するには間違いなく有効である。
爆発に軽く巻き込まれた魔物たちも全身に大やけどを負っているが、爆心に近い場所にいる魔物たちはもはや原型も残していないことだろう。
しかし、その爆心から立ち上る煙の中から異形の怪物が現れた。
「…やはり、あれほどの魔法でもダメですか」
すぐ後ろでクランがそう口にする。
「クラン。まさか、あれが…」
「はい。魔王アルベウス。我々のいかなる魔法も通用しなかった化け物です」
あれが、魔王アルベウス。
魔物の群れを屠るような魔法も、あの魔王を前にはまるで効果がない。
「女王様」
先ほど巨大な竜巻を引き起こしたアルミナが右手を、いや、その指先を光らせながら私を呼んだ。
すぐにその意図に気づき私も右手の指先に魔力を集める。
収束魔法。
魔法を放つ際に、圧縮した魔力を開放すれば広域魔法となるが、圧縮したまま放出した場合、まるで槍の一突きのように鋭い魔法となる。
攻撃範囲が狭く、圧縮したまま放つという工程から広域魔法よりもさらに難易度が高い魔法ではあるが、その殺傷能力は他の魔法の追随を許さない。
もともと魔力総量が少ない魔法使いがその魔力を有効に扱うために編み出したとされる技術なのだ。
それが今、先ほど放った魔法と同等の魔力を持って発動されようとしている。
いかに堅牢な魔王と言えど、これならば。
「行きますよ!」
「はい!」
そういって魔王に向けて収束魔法を放つ。
かくして、東大陸の中でも有数の実力者たちが第三砦にて衝突した。