嘆願
「わざわざ呼び出したりして、すみませんでしたな」
「いえ、それより話ってなんです?」
国王はすでに起き上がっても平気なようだが、表舞台に上がれるほど体力は回復していないのだろう。
それよりも気になるのは、この国王がいったい何の目的で俺とだけ会うことを望んだのかということだ。
「いきなりですな。あなたとは、もっとゆっくり話をしたいと思っていたのですが」
言葉遣いも丁寧だ。
まるで俺に何かお願いでもしたいかのように低姿勢を通しているようにも感じる。
「トレルテ国王。今この国がどういう状況なのかは理解しているのでしょう?」
「ええ。エシュバットが失墜し、エステルナが次期国王として立つ準備をしている。そして」
「魔王軍がこの国に向かってきている」
俺が言葉をかぶせると、トレルテ国王は口を閉ざした。
「そうですな。なぜ今になってあの魔王がこの国に進軍するようなまねをするのか、まるで見当もつきません」
バシュトシュタイン公の話では、この大陸の魔族を束ねる魔王アルベウスは人間との戦争を一度として行っていない。
それも10年20年という単位ではなく、何百年という長い年月をだ。
そんな魔王が突如この国に迫ってくる。
その事態に対して、エシュバットが自らの親衛隊にアミュレットの加護を与え、そいつらが迎撃に向かったはずだが…。
「ん? そういえば、エストワール王国の迎撃部隊の主力はエシュバットのアミュレットの加護を受けていた親衛隊のはず。今アミュレットは女王が所有している。ということは」
「問題ありませんよ」
俺の疑問を、国王はすぐに否定した。
「あのアミュレットの加護は、所有者が改めて契約を切ろうとすればすぐにでも切ることができますが、そうしなければ所有者が変わったとしても継続されます。一度私に所有権が移りましたが、その間も随分な人数への魔力供給は滞りなく行われていました」
つまり国王は、エシュバットからアミュレットを取り返した際に再び所有者になり、その時に魔力供給がなされていることを確認したということか。
「女王が契約を切ったということは?」
「先ほどの会合の後、此度の戦が終わるまでは契約を切らない。エステルナとそう話し合ったので問題ないでしょう」
なるほど。
なら魔王軍と戦っている最中にいきなり魔力切れになるということは考えにくいということか。
「それで、魔王軍と戦って勝てる保証は?」
俺の質問に、国王はしばし目を閉じて考えていた。
「…正直に申し上げて、まるで分りません。かの魔王の実力は完全に未知数。アミュレットによる加護が通用するなら勝てるでしょうが…」
通用するかがわからないということか。
全く厄介な状況だ。
報告ひとつで平和な午後がぶち壊れる類のケースにいささか以上にゲンナリする。
「ならとりあえず当面は報告待ちってことか」
最悪俺たちは魔王軍とも戦わないといけないんだろうなーと思っていると、トレルテ国王がこちらを向いて質問してきた。
「…マサキ殿は、魔王軍とたたかわれるおつもりなのですか?」
「ん? いえ、迎撃部隊が魔王軍を打ち負かせば別に戦いませんよ」
「もし迎撃部隊が敗れた場合は?」
「それは、戦うしかないでしょう」
何のかんの言ってもこの国の人にはお世話になっている。
一宿一飯の恩というものは日ごとにたまる一方なのだ。
そんなことを考える俺に、トレルテ国王がさらに問いを投げかけてくる。
「マサキ殿はこの国の軍に所属しているわけでもなければ、この国の民であるわけでもない。だというのに、なぜそこまでこの国のために戦ってくださるのですか?」
「……成り行きですよ」
そうとしか説明できない。
そもそも俺はこの世界に飛ばされたときから状況に振り回されっぱなしなんだよ。
「成り行きですか…」
「ええ、成り行きです」
「その成り行きの途上で、私たちの国を救ってくださったというわけですか…」
「まあ、結果だけ見れば」
そういう俺に、トレルテ国王は少しだけ口元を吊り上げた。
「あなたのような力を持った方が、そんな理由で味方をしてくれるとは。これほどの幸運がほかにあるでしょうか」
「随分と大げさですね」
「大げさなどではありません。事実あなたがいなければこの国の実権はエシュバットが握っていたことでしょう」
そういうと国王はこちらに向き直り、
「今回の一件。誠に感謝の念に絶えません。今一度あなたにお礼を言わせてください」
そして深々と頭を下げた。
「…国王様。今回の功績は、俺一人でたてたものではありません」
アルミナがいなければ、そもそもエステルナ王女を開放できたかどうかも怪しい。
セルアやシルバが奮戦してくれなければ、俺は親衛隊たちにやられていたかもしれない。
そんなことはすでに王の耳には入っているはずだ。
「なのになんで、俺だけこの場に呼んだんですか?」
さっきから話の本題に入らないでのらりくらりと世間話ばかりしている気になる。
仮にも一国の国王が一対一で対話したいと思えるような何かが、この対談にはあるはずなのだ。
「…それは、あなたがエシュバットを倒してくれたからですよ」
俺がじらされるのに嫌気がさしているということを敏感に察知したのか、トレルテ国王は話の本題に入ったようだ。
「俺がエシュバットを倒したからここに呼んだと?」
「はい。アミュレットの持ち主は、この国で無類の強者となります。エシュバットであったとしても、アミュレットを保有している。それだけでこの国では最強の存在となってしまうのです。欲深き者が所有してしまえば、今回のような事態になってしまうように」
それは俺もよく理解している。
あのアミュレットは国宝にしても度を越えている。
代々のエストワール国王が他国に奪われないために肌身離さず所持しているのも納得のいく話ではある。
「それで、その話と俺に何の関係が?」
「エステルナは、正しい所有者であると、私は思っています。私よりも、いや、先代のどの国王たちよりも魔法の才に恵まれ、それを磨き上げた彼女は、もしかすればアミュレットの魔力を完全に制御してのけるかもしれません」
…国王の話では、アミュレットの力にのまれたものはその圧倒的な魔力と引き換えに、心の闇にのまれるらしい。
しかしエステルナ女王ならあるいは、アミュレットの誘惑をはねのけ、自由自在に扱えるようになるかもしれないといっているのだ。
「ですが、エステルナであってもアミュレットの誘惑には逆らえないかもしれない。だからマサキ殿。あなたにお願いしたいのです。もしエステルナが、娘がアミュレットの誘惑に負けるようなことがあれば、その時は娘を止めてほしいのです。そして、それができるのは、エシュバットを止めてくれたマサキ殿だけなのです!」
その言葉を聞いて、俺は国王が俺をこの場に呼んだ意図を察した。
「俺に女王を補佐しろと?」
国王の言葉を要約し、俺は単刀直入にそう質問した。
しかし意外なことに国王は首を横に振った。
「マサキ殿をこの場に呼ぶまではそのつもりでした。ですが、マサキ殿の話を聞いているうちに、その考えが変わりました」
「というと?」
国王は、少し遠い目をして話し出した。
「マサキ殿はお強い。成り行きで国の問題を解決してしまわれるほどに。そのような方がいれば、この国は安泰といっていいでしょう。ですが、マサキ殿はこの国の中だけで留まっていいお方なのかと、話を聞いていて思ったのですよ」
…随分な過剰評価だ。
借り物の力を持っただけの一般人を、ここまで評価するなどとも思うが、しかし、はたから見れば俺は超常の力を持ったエシュバットを屠るだけの力の持ち主ということになる。
「ですから、マサキ殿をこの国にお引止めしようとは思いません。ですが、どのようなことがあっても、私はあなたと敵対したくないのです。その力が、どのような事態であっても娘に向けられたくないのです」
そういうことか。
「安心してください。俺はエシュバットも殺してはいない。もし女王が同じことになったとしても、同様に対処させてもらいますよ」
「…約束してくだされ、私たちの国と敵対しないと」
「ええ、約束しましょう」
俺がそういうと、トレルテ国王は右手を伸ばしてきた。
それに合わせて、俺も右手を差し出す。
握手を交わした国王の手からは安堵のような感情を感じた。
「娘を頼みます」
「…私にできる範囲で、ですがね」
「十分です」
そういって、俺たちは手を離した。
これ以上はなすこともなかったので、俺は寝室を後にした。
エステルナ女王がアミュレットの誘惑に負けるようなら、その時は俺に止めてほしい。か。
もしエシュバットのようなことになれば、やはりほかのだれにも止めることができないような力を、女王も発揮するようになるのだろう。
エルマさんにほかの奴らがいるであろう書庫へと案内されている道中で、俺はひたすら先ほどのやり取りの内容を反芻していた。
『アミュレットの誘惑に負けるようなことがあれば、その時は娘を止めてほしいのです』
あの言葉に嘘も偽りもないだろうが、今までアミュレットの魔力を使わないことで平和を保っていたこの国の国王が、いったいどうしてそんな危惧を抱くのかが分からない。
そりゃあ、アミュレットの力を制御できるならそれに越したことは無いだろう。
しかし、無理に使う必要などどこにもないのもまた事実だ。
(いや、そうでもないのか)
今こちらに向かっているであろう魔王軍。
そいつらと衝突した場合、おそらくアミュレットの力が必要になる。
国王が危惧しているのは、エステルナ王女がその時にアミュレットの力を使い、その誘惑にのまれないかということなのかもしれない。
あるいはもっとほかの意図があるのかもしれない。
もっと話をしておくべきかとも思ったが、先のことなど俺に分かるものではない。
国王といえどもそこは同じだろう。
国王にとって大事なのは、あの場で俺に何があってもエステルナと本当の意味で敵対しないということを明言させることだったのかもしれない。
真意は分かりかねる。
だが一つ確かに言えることもある。
(俺も、エステルナ女王とは敵対したいとは思わないんだよな)
もし彼女が暴走するようなことがあったなら、その時はなんとしても止めよう。
俺にそれができるのかはわからない。
あの時エシュバットを止めることができた時、俺も暴走状態といって差し支えない状態だったのだが。
そんなことを考えていると、廊下の反対側から見知った顔が数名視界内に飛び込んできた。
エステルナ、そしてアルミナ、セルア、シルバの四人だ。
何か慌てているようにも見える。
「あ、マサキさん!」
案の定、セルアが俺を呼び止めた。
「どうした? そんなに急いで」
「魔王軍迎撃部隊の伝令が城に到着したとの報告が入りました。今から報告があるので、そちらに向かっているのです」
俺の質問にエステルナ女王がよどみなく答える。
「迎撃部隊からの報告か」
「マサキさんも来ていただけませんか」
女王からの言葉に、俺はすぐさま首を縦に振った。
「勿論」
謁見の間。
玉座の間とも呼ばれるその場は、昨日俺たちとエシュバットが激闘を繰り広げたせいでかなりズタボロになっている。
そのため今は催し物用の大広間を代理として使っている。
その大広間に、貴族らしき人物が集まっていた。
公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵。
階級制度は俺がいた世界では世襲制だが、この世界では役職名ととらえられている。
とまあそんなことはどうでもいい。俺はこの国の政治家さんたちの中に交じって伝令兵を大広間で待っている。
どうやら伝令兵の到着は狼煙か何かで伝えられたようで、到着が伝えられるのと実際に到着するのでは多少のタイムラグがあるようだ。
もっともそのタイムラグのおかげで貴族たちが集合するだけの時間が用意できているわけだが。
そんなとりとめのない考えをしていると、大広間の扉が突如開かれ、扉から兵士が入ってきた。
「魔王軍迎撃部隊より伝令! エシュバット王子はいずこでしょうか!」
貴族たちが集まっている中で、伝令兵は声高にそう叫ぶ。
「エシュバットは今所要にて席を外しています。代わりに報告は私が受けます」
エシュバットを探す伝令兵に、エステルナ女王がそう答える。
魔王軍とぶつかっていた連中は、昨日おこった騒乱の事が耳に入っていないらしく、ひどく混乱しているようではあったが、報告内容が急を有するものだったのかその場に跪いて話し出した。
「報告します! 魔王軍とエストワール軍は、第二砦にて衝突、そののち、魔王軍によって砦を破壊され、現在最後の第三砦まで後退しております!!」