それぞれの思い
「フ。フフ。フハハハハー!」
帳の降りた一室の中で、一人の男の笑い声だけがこだまする。
エストワール王国第一王子であるエシュバット・オロス・エストワールは首飾りを手に入れた日からワインを飲みながら毎晩笑い声をあげているのだ。
「全く。この首飾りの力は素晴らしい。いくら使えども魔力が尽きないし、今まで使えなかった魔法も簡単に使えるようになった。この力はこの私にこそふさわしい代物だ!」
「全くでございます。先代国王は、この力のことを何もわかっていなかったと見えますな」
彼の隣で酌をしているのはエシュバット王子の親衛隊副隊長であるエドガー・バレンタインである。
「お前にもわかるかエドガー。父上はこの首飾りの素晴らしさを何もわかっていない。これだけの力があれば、魔王を討伐し、東大陸を、いいや世界を征服することさえたやすいだろう」
今のエシュバットはほぼ無制限に魔法を使うことができるほどの魔力を保有している。その上、膨大な魔力に任せて今まで使うこともできなかった高等魔法を使うこともできるようになったエシュバットの実力は、事実並みの兵士の軍など相手にならないだろう。
彼の中にあるのは野望の炎。
今までくすぶっていた強欲な野望が、力を得て燃え上がっている。
「運も私に味方した。何もかも私の思い通りに動いている」
魔王がこの国に進撃してきていることは、当然ながらエシュバットの耳にも入っている。
にもかかわらず彼が余裕を崩さないのは、それだけの力を得たからか。
「この力でもって魔王軍を打ち破れば、この大陸で私に刃向えるものなどいなくなる。初代国王であるグリモール様のように、この大陸を力で支配し、世界を手中に収めるとしよう!」
「どこまでもお供いたします。エシュバット王子。いえ、エシュバット陛下」
エドガーのその言動にエシュバットは満足そうにニヤリと口元を歪めた。
「私がそうなる日も遠くはあるまい。父上はもはや魔力を失い、生命活動を維持させるのも困難だろう。そして、王位を争う唯一の敵はすでに牢獄の中だ」
「左様でございますね。しかしエステルナ王女はいったいなぜ陛下に刃向うような行動をとられたのでしょうか?」
エステルナ王女が投獄された罪状はエシュバットを手にかけようとしたという内容ではあるが、それがただの名目であり実際にはエシュバットが自分の地位を脅かすかもしれない存在を排除したと、この国の主だった者達は思っている事だろう。
しかし、エステルナ王女がエシュバット王子と敵対すると取れるような行動をとったこともまた事実なのだ。
そうでなければいくら策略に長けたエシュバットといえど王女を拘束し投獄するまでは出来なかっただろう。
「それは姉上がお前たちのように利に聡くなかったからに過ぎない。要は愚か者だったというだけの話さ」
「そういうことですか。しょせん王女とは名ばかりの小娘ということですか」
エドガーの言葉に笑みをこぼし、エシュバットは目の前のグラスに入ったワインを揺らした。
「所詮姉上は器ではないということだ」
姉上はもともと私よりも強い魔法使いだった。
というより、この首飾りを持たない者達の中では間違いなくトップクラスの実力者だったのだ。
一対一であれば王宮の魔法使いはもとより、騎士たちの中でも勝てるものはごく少数だろう。
当時政敵であった私と二人だけで会うのは危険だということなど百も承知であっただろうが、魔力で上回る自分なら優位に立ちまわることができるとでも踏んでいたのだろう。
結果は無残なものだった。
私が見せた圧倒的な魔力の前に姉上は混乱して迎撃をしようとして、私の魔法が姉上の魔法を食い尽くして直撃した。
敗者に口なし。
気を失っているエステルナ王女に事情を説明する術はなく、今回の面談を彼女の方から希望したという事実の上に今回の既成事実が出来上がったのだ。
「反乱分子はまだ残っているだろうが、今の私に敵などいない。来るならいつでも来てみるがいい。返り討ちにしてくれるわ」
「さすがでございます。陛下」
エドガーの一言に、エシュバットは今一度フッと笑みを浮かべた。
地下牢の中でエステルナ王女は目覚めた。
いったいどのくらいこの中で過ごしただろうか。
松明以外の光源がないため、どのくらいここにいるのかがよく分からない。
食事は一日に二回だけ持ってくるらしいので、おそらく投獄されてから約一か月が経過しようとしているくらいだろうとは思う。
来ている服は囚人服などではなく、普段から着こなしているドレスだ。
さすがにひと月も来ていれば服も体も汚れが目立ってくるが、水はそれなりに用意されているので、それで体を清めていた。見張りがいるが、階段付近にいることが多いためここに来ることはまずない。
「父上…」
ぽつりとつぶやく。
エシュバットとエステルナの母親は、つまり女王はすでに他界している。
ほかの兄弟はいため、国王には二人の後継者しかいない。
本来であれば側室なりなんなりを迎え入れ血脈を絶たないように努めるものかもしれないが、何を思ったのか彼女たちの父親は女王以外の人と子を成そうとはしなかった。
父の内情については、いろいろとわからないことが多い。
父は私たちに対して常に厳しかった。
『人材こそ至高の財産』を掲げる国の王になる存在の頂点に立つのなら、この国で最も優れた存在でなければならない。
父が厳しく私たちを育て上げるのは、その理念に基づいていると思い、それが父なりの愛情なのだと信じ、私は自らを磨き上げた。
立場上、弟であるエシュバットが嫡子であるため、本来私が王座に就くことはありえない。
しかし能力の差と、この国の方針がそれを許さなかった。
弟はお世辞にも魔法が優れているとはいい難く、かといって剣術も人並みに扱えるといった程度であり、さりとて政務に長けているというわけでもない。
もし長所を上げるとすれば、人並み以上に野心を持っており、自分の地位を保つために人を従える駆け引きがうまいことだろうか。
正直あまりほめられたものではないと思う。
私は別に王座に興味があったわけではない。ただ、弟が即位した場合、このエストワール王国の未来が心配になってくるのだ。
似たような危惧を抱いた者達は当然私以外にもいて、ある日私は血判状を集めた貴族たちに即位して改革の旗印になってほしいと嘆願された。
私はその嘆願に対して困惑した。
私たちの父、トレルテ国王はどちらを世継ぎにするということを明白にはしていない。
どころかその話題が上がることさえ避けているようさえも思えるのだ。
そんな状態で、この国に混乱を起こすような行動をとるという選択肢をとることは、とてもできなかった。
今思えばなんと甘い考えだったことだろうか。
現在父は原因不明の昏睡状態で、弟のエシュバットは実質この国の政権を支配している。
投獄されてからこの国がどうなっているのかはまるで分らないが、弟が権力を手にしてじっとしていることはないと思う。
さらに言えば弟は戦闘能力も手に入れてしまった。
私は、彼が何をしているのかがまるで分らず、問いただしたいと思って二人きりでの話し合いの場を設けた。
そして、弟が相手なら万が一のこともないと高をくくっていたのだ。
なんと愚かな判断だったのだろうか。
この国でも屈指の魔法使いであったことに慢心し、私は弟の魔法によって昏倒してしまい、気が付けばここに閉じ込められていたのだ。
現在私の閉じ込められている牢獄は特別製で、壁と床と天井に魔法の発動を妨げる魔方陣が描かれている。
正直このような魔法陣は見たことも聞いたこともない。
私にできない魔法を、今の弟は使うことができるのだ。
その事実が、ひと月前の敗北が、偶然ではなく必然だと訴えてくる。
この中では私でも魔法を使うことはできない。
後悔先に立たずとはこのことだろう。
状況は最悪だ。権力と魔力。二つの力を手に入れた弟は、今まで燻っていた彼の野心を燃え上がらせるだろう。
今の私にできるのはただ祈ることだけだ。
弟が暴走しないようにと、私に味方した貴族たちが無事であることと、この国が混乱に陥らないようにと。
そのためなら、私がどうなろうとかまわないと願いながら、王女はひたすら目を閉じて唇をかみしめた。
マサキ達は夕食を食べ終えてとりあえず一休みといったところだ。
「エシュバット。厄介な相手になるかもしれないな…」
知らず知らずのうちにそうつぶやいていた。
首飾りだか何だか知らないが、王子がとんでもない魔力を持っていて、強力な魔法を用いることができるというのはほぼ事実だろう。
アルミナを相手にするようなものと考えると、相手の強さの底がしれない。
全く厄介な状況である。
「でも、大丈夫ですよ。マサキさんなら」
状況に辟易する俺にセルアがそう声をかけてきた。
「なんでそう思うんだ?」
「話を聞く限りだとエシュバット王子の力というのは、本人のものではなく首飾りによってもたらされたものなんですよね?」
「ああ。おそらく」
しかしそれがどうしたというのだろうか?
その力が装備によるものであろうとなかろうと相手が強いのは事実なんだ。
「だったら首飾りを奪い取ってしまえばいいってことですよね?」
「まあ、そうだが…」
それができるなら苦労はしないだろうが、先代の国王はその首飾りを肌身離さず身に着けていたという話だった。
力の源がその首飾りだとしたら、そんなものを遠ざける可能性などないに等しいだろう。
「どうやって奪い取るっていうんだ? まず間違いなく戦闘になるからこっそり盗み取るなんて無理だぞ?」
「別にこっそり盗まなくてもいいじゃないですか。マサキさんみたいに本当に強い方なら、借り物の力で強くなったような人に負けるはずがありません」
セルアは俺を見てそんなことを言い出した。
「そうでやすよ。旦那みたいに強いお方よりも強いやつなんているわけありやせんぜ」
シルバの奴まで。そういえばこいつは俺がとっ捕まえたうえに駐屯地のカチコミに付き合わせたのだ。
「みんな…」
その言葉に、俺はどうこたえていいのかわからなかった。
今俺が強いのは、それこそ文字通り借り物の力なのだ。
なぜこの力が俺に宿っているのかがまるで分らないのは今まで通り。
ともすれば初代国王から代々受け継がれている首飾りとやらの方がよほど由緒正しいものにも思える。
実際問題この力がどの程度のものなのかはまるで分らない。
加えて俺はこの力をまるで使いこなせていない。
もしゲイルのように俺の速度に対応できて有効な一撃を放てるような相手であればおそらく高確率で敗北するだろう。
身体能力に見合った戦闘技能が身についていないのだ。
「…この際だから白状したいことがある」
俺がそういうと、全員が俺に注目した。
「俺はなんでこんな力が俺に宿っているのかがまるで分らないんだ。気が付いたらこんな体になっていただけで、元々は戦いとは無縁の人生だったんだ」
しゃべりだしたらもう止まらなかった。
「戦った経験なんてほとんどないし、今まで俺が強いと思っていたかもしれないけどそれは身体能力に依存しているだけ、それが通用しなければまず間違いなくそいつに勝てないんだよ」
事実ゲイルには見事に逃げられている。
あの時追撃をかけることもできたかもしれないが、それを選択することはできなかった。
怖くなったんだ。死ぬのが。
俺は、初めてオークとゴブリンの親玉と対峙した際に戦って勝てることはほとんど確信していた。
だが、足がすくんで仕方がなかったんだ。
死ぬことはもとより、俺が魔物たちにしたように自分の手足が切り飛ばされるのが、それどころかかすり傷ひとつ付くのにさえ抵抗があるのだ。
「だから俺にあまり期待しないでほしい。俺はただ偶然強い力を得ただけの素人なんだ。断じて強くなんてない。どこにでもいる貧弱な臆病者なんだよ」
「それは違います!」
「そんなことないでやすよ!」
「そのようなことはありません!」
俺の言葉にセルアとシルバ、そしてなぜかジェストさんまで反論してきた。
「マサキさんが臆病者なわけありません! 私たちの村が襲われたときに迷わずに助けてくれたじゃあないですか!」
「そうでやすよ。そん時にあっしはコテンパンにやられたんでやす。旦那とは何度戦っても絶対に勝てないって断言できやす。そんな旦那が弱いわけないでやすよ!」
セルアとシルバがそういって俺をまくし立てる。
正直あっけにとられるしかない。
こいつら、いつの間に俺のことをこんなに信用していたんだろうか?
茫然とする俺に、ジェストさんが追撃をかけてきた。
「マサキ殿。先ほどただ偶然強い力を得ただけとおっしゃいましたね。経緯は想像もつきませんが、普通の者が突然あなたのような力を身につければまず間違いなく増長します。あなたはまるで増長していない。それだけの強さを持っておきながら、石橋をたたいて渡る慎重さも併せ持っている」
「それは…」
この力がいつまでも俺の手元にあるという確証が持てなくて。
そう言おうとしたが、言葉にできなかった。
「それだけの力があれば、人を支配することもたやすかったでしょうに。どうしてあなたは、それをしなかったのですか?」
そんなことをして、ある日突然元通りになったら一体どうなると思う?
そんな危険な事。出来るわけがない。
「あなたはその力を使うのにふさわしい方だと思います。そして、今この国の王子が、ふさわしくない力を身に着け、この国の民を脅かしている。我々がマサキさんに味方をしてくれることが心強いのは、何もあなたの力だけの話ではないのですから」
そういわれ、俺の中でとげのように刺さっていたものが少し抜けたような気がした。
だが、未だに俺が弱いのは間違いない。
しかしとげが抜けた俺の心に、突如別の思いがわいた。
それは、強くなるための伸び代があるということ。
そう思うと同時に俺はふと思いついたことを口にした。
「ジェストさん。俺に稽古をつけてくれませんか?」