森の民
さて、ゴブリンたちは追い払った。
なぜ俺にそんなことができたのかって?
俺の体が、どういうわけかとんでもなく強くなっているからだ。
さっきゴブリンたちの殴打にさらされたにもかかわらず、俺の体には怪我はおろか痣の一つさえ残っていない。
ゴブリンたちの攻撃が赤ん坊並みだったと考えることもできるかもしれないが、あのゴブリンの迫力から考えると腑に落ちない。
もう一つ腑に落ちないのは、俺の攻撃を受けたゴブリンたちが派手に吹っ飛んだということだ。
何度も繰り返すようだが俺は売れない絵本作家である。
そんな俺が小柄であるとはいえ生き物をあんなに勢いよく吹っ飛ばせるものだろうか?
さっきゴブリンを殴った俺の手を見てみる。その手にはまだ生き物を殴った感覚が残っている。
今まで感じたことのない手応えがはっきりとこびりついている。
正直に言えば、俺の体つきはほとんど変わっていない。
引き締まっているとは言い難いし、腕力に自信があるわけではない。
喧嘩した経験もほとんどない。
だから俺にあんなパワーが出せるはずはないのだ。
考えなければならないことはほかにもある。
ゴブリンという存在は俺の世界ではゲームの中でしか存在しない生き物で、現実に目撃したという話は聞いたこともない。
だとしたら俺は第一発見者ということになるが、それに対してうれしいなんて喜んでいるような心の余裕はない。
さっきから俺の常識はぶっ壊れまくっているんだ。
いきなり森の中に放り出されたこと。
目の前に突然ゴブリンの群れが現れて襲われたこと。
それを撃退できるような身体能力が俺に備わっていたこと。
これだけいろいろな事態が起これば今俺が置かれている状況がのっぴきならない事態であることはもはや疑いようがない。
いっそ異世界にでも飛ばされたと考えた方がしっくりするくらいだ。
……いや、マジでここ異世界だったりするんだろうか?
ゴブリンに遭遇した時点で薄らその可能性は思いついたが、それを認めることがまだ出来かねているが、いい加減白黒つけておいた方がいい問題だろう。
今一度考えてみる。ここが異世界であるのかどうか。
・・・結論。わからない。
ここが異世界であると仮定した場合、俺が転移してからまだ1時間位しか経過していない。
そうである以上結論を出すのは早すぎる気がする。
いまだにゴブリンとの遭遇以外にここが異世界であると考えられる出来事はないのだ。結論を出すのはもう少しいろいろと体験してからでも遅くはないだろう。
そもそも人が住んでいる集落でも見つけないと野宿と飯抜きが決定してしまう。そういった事情から何でもいいからイベントが発生してほしい。
そんなことを考えていると、また気配のようなものを感じた。
さっきのゴブリンどもと違って物音の類はほとんどない。
足を止めて神経を集中させる。
落ち着いて気配のもとを手繰る。
俺にこんなスキルあったっけ?
と疑問に思うが、できるのだから利用することにした。
向こうも俺が足を止めたことに気が付いたのだろう。
先ほどよりもゆっくりとこっちに向かってくる。
この相手はさっきのゴブリンと違って理性があるのかもしれない。
そう考えると、気づけば気配がする方向へ走り出していた。
意思疎通ができる相手かもしれない。
異常な状態が続いた俺は、それだけで駆け出してしまった。
駆け足で気配がした方向にむかった俺は、相手の都合を考えていなかったことを理解する。
駆け寄った俺の足元に一本の矢が突き刺さったからだ。
「な、なんだ!」
突然のことで驚いた。足に矢が突き刺さる。
そんな光景を実際に経験することがあろうとは。
とっさに後退したが、今の一撃は明らかに俺を狙っていた。
今日は人生初体験のオンパレードだなとか考えて、弓が飛んできた方向をむいて、俺はここが異世界であることをほぼ確信した。
ゴブリンたちとは対照的にほっそりした体つきと清潔感あふれる緑を基準にした装いに加えて人間離れした端正な顔立ち。
それに何よりも特徴的なのは耳だ。
人のそれと比べて極端に横に飛び出ている長耳。
これまたゲームとかでしか見たことないエルフ族だ。
どうやら目の前にいるエルフ族が俺に矢を放った張本人のようだ。
俺に対して矢を放ってくるということは、こちらは完全に招かれざる客ということだろう。
だが、さっきのゴブリンたちのとは違って問答無用というわけではなさそうだ。
エルフ族の数は3人。
真ん中でリーダーのような風格と服装をしている奴。
その右側で弓をつがえている奴は腰までとどきそうな長髪が印象的だ。
さらに一番左のエルフはほかの二人と比べると明らかに軽装備。
俺にはさっぱりわからないが、おそらく彼らなりの役割分担があるのだろう。
左右の奴が俺に向けて構えているが、真ん中の奴は弓を構えていない。
見た感じあいつが3人組のリーダーだろうか。
何はともあれ、まずはこちらに敵意がないことを理解してもらわないと話もできない。
「待ってくれ! まずは話をさせてくれ!」
そういって両手を頭の上にあげる。
とっさに思いだした敵意を示さない方法はこれくらいしかない。
そんな俺の対応を見たエルフ族のリーダーは少し眉をしかめた後。
「話すことなど何もない! よそ者は去るがいい!」
そういって突っぱねてきた。
やっぱり問答無用かよ!
と心の中で嘆いてみる。
言葉が通じることに対して安堵はしたが、相手はこちらと話をするつもりはないらしい。
だが、ここで引いてしまっては俺の生死にも直結してしまう。
ここは粘らないといけない。
最悪、戦闘になってもさっきの力があれば何とかなるかもしれないと楽観的な考えができなければ、一目散に逃げていたかもしれないが。
「待ってくれ! 俺はこの森で遭難したんだ! この森から抜ける方法がわからないんだ!」
「我々の知ったことではない! ただちにここから去らぬのならば、排除するのみだ!!」
エルフのリーダー(らしいやつ)がそういうと左右のエルフが俺に向けていた矢を放った。
とっさに俺は右に回避した。
その矢が通ったところは、さっきまで俺の頭と心臓があった位置だった。
本気だ。こいつら本気で俺を殺すつもりだ。
さっきゴブリンと戦った時から自分の体が変化していることは自覚していたのだがどこまでできるのかはまるで検証していない。
少なくともこの3人はゴブリンたちよりも強いのは間違いなさそうだ。
向こうは問答無用らしい。
出来れば保護してもらいたいものだが、話をしようと思えば相手を無力化しなければならない。
逃走しようと思えばおそらく可能だろうが、できればこちらに敵意がないことをわかってもらいたい。
現状それを示す一番有効な方法は、相手を無力化して追撃をしないことだろう。
出来るかどうかは正直分からない。
だが、このまま逃げると次に言葉が交わせる相手に出会うまでにどれくらいかかるか見当もつかない。
相手は3人とも遠距離攻撃を得意としているみたいだ。
なら、近接戦闘で武器を奪う。
あるいは戦意を失う程度の攻撃をたたきこむ。難しいがやるしかないだろう。
俺がそう決めたと同時に三人とも矢をつがえて放ってきた。
上手い。狙われたのは腹で、さらにその両脇にほかの二人が放ったのであろう矢が追従している。
これでは左右に回避しようものなら追従する矢に刺さっておしまいだろう。
そう判断した俺は一気に上体を落として屈みこんだ。
俺の頭の上を3本の矢が通過する。
身体能力に加えて反応速度も無茶苦茶上がってる。
いったい俺の体に何が起こっているのか。
それは疑問に思うが今はそれどころではない。
現状においては都合がいい状態なのでこのまま押し切ろう。
しゃがみこんだ姿勢のまま俺は弓使いたちに向かって突っ込もうとした。
その時。軽装備のエルフがいきなり地面に手を当てた。
その瞬間。俺の目の前の地面が盛り上がり、俺とエルフの間に壁ができた。
「なんだこれ!」
相手に突撃しようと思った俺はいきなりできた壁にもろにぶつかった。
ドゴン!
そんな音が響いたかと思うと目の前の壁は粉々に砕け散った。
相変わらず俺の体にダメージはほとんどない。
ただし壁にぶつかったせいで突進のスピードはほぼ相殺されてしまった。
粉々に砕けた壁の向こうにいる敵の状態を確認しようとすると、長髪のエルフがすでに矢をつがえて構えている。
回避しようと構えて、その矢から薄緑色の光が発生していることに気が付いた。
なんだあれは。
ものすごくよくない予感がする。
あれは避けないとまずい!
そう考えた俺は回避に全神経を集中させる。
そして、相手の弓から、風を切るような音と共に矢が放たれた。
速い!
今までの矢とはその速さがまるで違う。
紙一重で回避した俺の後方で木が倒れる音がした。
振り向く余裕はない。
だが、さっきの一撃はこの森の木を倒すほどの威力があるということになる。
いくら俺の体が頑丈だといっても、受けて無事で済む保証はない。
なりふり構わない回避のせいで俺はわずかに姿勢を崩した。
そしてそれを見計らったかのように軽装備のエルフの手が再び地面にあてられる。
その瞬間。俺の脚元が泥沼と化した。
完全に足を取られて転倒寸前で踏ん張る俺。
しかしそこで相手の追撃をどうにかしようと弓使いたちを見据えた時。
俺は自分の見落としに気が付いた。
俺の視界の中には2人の弓使いしか残っていなかった。
おそらく初めの土の壁ができた時にもうリーダーらしい弓使いは姿をくらませていたのだ。
長髪のエルフの攻撃に神経を集中させた結果、俺は見事に相手の策にはまってしまったのだ。
だとすると今リーダーのエルフは俺を狙っている。
おそらく今の俺の死角から。
そこまで考えが至った時、右後ろの方から先の長髪のエルフの一撃をも上回るであろう一撃が俺の方に飛来してきた。
その攻撃は俺によけることも防ぐことも許さず直撃した。
仕留めた。
間違いなく直撃した。
今の一撃はエルフ族の中でも屈指の実力者である私をはじめ数名しか使うことのできない奥義の一つ。
直撃すれば生存はおろか原型を残すことすらかなわないほどの威力を誇る魔技である。
それほどの一撃だ。これでとりあえずは問題解決だろう。
しかし、あれは一体なんだったのだろうか。
マロールの土魔法『ストーンウォール』をあっさり砕き、ルビナスの高速魔技『ウインドアロー』を見切って回避した。
先ほどの奴を追い詰めた我々の連携は、普通の相手であれば『ストーンウォール』にさえぎられて足を止めているうちに私に射抜かれているか、よしんば壊すか回り込んだ時点でルビナスのウインドアローを受けておしまいなのがほとんどだ。
いや、そもそも普通の敵は初めの攻撃さえよけきれない。
奴はそんな攻撃を2回もよけた上に、破壊困難な『ストーンウォール』を破壊した上に、よけたものなど見たことのないルビナスの『ウインドアロー』を回避してのけたのだ。
さらに言えばこんな里の近くまで来れるものなど、まずいないはずなのだ。
それにも関わらず、あの者はこんなところまで踏み込んできていた。
我々が里の警備をしていると、突然森の方で聞いたことがないような雄叫びが聞こえたので偵察に出てみると、森の結界の内側にあの者が侵入していたのである。
その時点で尋常な者ではないのは見当がついた。
そのため私たちは臨戦態勢を整えたうえで迎え撃ったのである。
だが、考えても無駄なことだ。すでに敵は始末した。
そう思い踵を返そうとしたとき、煙の中で何かが動いたように見えた。
「ルビナス、マロール、油断するな!」
二人にそう叫びかける。
神経を研ぎ澄ませてみれば、煙の中で確かに奴は動いている。
土煙の中では今も先ほど自分が射抜いたであろう男らしき気配がする。
しかしそんなことはありえない!
奴は、先ほど確かに私の奥義で打ち抜いたはず!
そう思いながらも弓に矢をつがえる。
ルビナスとマロールも同じく弓に矢をつがえる。
しかし先ほど放った攻撃のせいで煙幕が張られている。
この状態で正確な狙撃はできない。
風魔法で晴らそうとも思ったがそれが逆効果になる可能性もある。
今相手の視界はゼロなのだ。
下手に煙幕を晴らすと逆にこっちの首を絞めかねない。
そんな緊張感の中でゆっくりと煙幕が晴れていく。
そしてその中から出てきたのは
無傷の標的だった。
「……馬鹿な」
思わずそうつぶやいた。
それはそうだろう。
跡形も残らないはずの攻撃を受けて、その相手はまるで無傷なのだ。
初めから只者ではないと思ってはいた。
だからこそ後先など考えず容赦なく最大火力をたたきこんだのだ。
だが、ここまでの化け物であるなど想像もしていなかった。
知らぬうちに背筋に嫌な汗が流れる。
もしや自分たちは致命的な過ちを犯してしまったのではないだろうか。
あれは標的ではない。
決して敵対してはいけない類の難敵だったということを、何よりも早く認識しておくべきではなかったのだろうか。
そんな考えが頭をよぎり、本能が今すぐ撤退するべきだと警鐘を鳴らす。
しかし相手がそれほどの脅威であると認識しながらも、彼は戦闘を中止するという決断を下せなかった。
彼は森の民の中でも屈指の腕前で、これまで苦戦というものの経験が欠けていた故の慢心から、戦闘続行を選択してしまったのである。