王女の過去
私は両親の顔と名前を知らない。
物心ついたときにあったのは、今と変わらない里長たちと、私が10歳になるまで面倒を見てくれた乳母と、生まれた時から対話ができた精霊だけ。
それからは、生活のほとんどを、里長たちの住む建物の一室で過ごすことになった。
里長たちの弁は、決まって『お前はエルフの王女だ。だからここにいるだけでよい』でした。
その弁に納得できないものはあった。だからといって無理に平穏を乱すような行動をする必要もないと思い、部屋の中で今までの生涯のほとんどを過ごした。
精霊と対話することのできる私には、孤独という言葉はない。そのため、精霊は森の外のことをいろいろ教えてくれた。
世界が五つの大陸に分かれていること。
雪や氷という冷たいものにずっと囲まれている国のこと。
この森よりも、ずっと広く広大な大森林。
海という、途方もなく大きな水たまり。
精霊との対話は、大雑把な概念が伝わるだけなので、理解しようと思うと自分で想像し、翻訳する必要があった。
だけど、そんなふうに想像するだけで私の心は常にわくわくした。
それこそ時を忘れてしまうくらい。
精霊はいろいろなことを教えてくれた。
魔法もその一つだ。
それが魔法だとも知らないうちに、私は精霊から習った通りにやってみてそれを成功させた。そして、魔力ではなく霊素を用いた魔法の使い方も。
私にとって精霊は、先生であり、お友達であり、この世界で何よりも信頼できる存在。
霊体である精霊は、見ることはできないし、この世界に干渉することもできない。それでも私は彼らと話ができるから、彼らがいないなんて思ったこともなかった。
精霊は私の親。私の師。私の友。里のだれよりも信頼できる私のパートナー。
そんなある日、精霊が魔の者が森に現れたと私に伝えてきた。私にそれと戦えとも。
里長たちとの会合の際、里一番の実力者のメルビンさんが魔物と遭遇したとの報告があり、そのため防衛隊が組まれることになった。
その防衛に私も加わりたかった。精霊の言葉を疑うなんて考えたこともなかったから。
でも、そんな私に返ってきた返答はいつも通り『お前はエルフの王女だ。だからここにいるだけでよい』でした。
私は、それに対して反発した。精霊の言葉を実行できない。それは私にとって初めての出来事で、到底受け入れることができなかったから。
でも、私は結局いつもどおりでした。それまで誰とも対峙したことがなかった。だから結局里長たちに丸め込まれてしまった。
そのことは、ずっと私の心にしこりのように残っていた。
精霊は、私に何かを託そうとして、私に魔物たちと戦うように言ったはず。
精霊はこの世界に干渉できない。だから私は、願いにこたえようとして、出来なかったことが何よりも悔やんだ。
そんなある日のこと。突然森の中り大きな雄叫びが響き渡った。
何事かと思った私に、精霊が突然『あの雄叫びの主と出会い、この里に迎え入れなさい』といった。
里長たちは常々私にたいして『お前は王女だから何もしなくていい』といっていたが、私は精霊の言葉を疑うという考え方は持てず、窓からまっすぐに森へ向かい、そして彼に出会った。
エルフの里の中でも随一の実力者であるメルビンさんたちでも手傷を負わせることさえできなかった凄腕の人。
それが、私がマサキさんに対して抱いた最初の印象。
しかしそれは、彼が迷子になっているという言葉で一変した。
生まれて初めて意表を突かれて大笑いした。
私が彼と出会ったのは精霊による導きに過ぎない。でも、彼との出会いは私に大きな変化をもたらしてくれた。
生まれて初めて、私に対してまともに接してくれた人。それがマサキさんだ。
彼に対して私はいっさいの警戒をしたことがない。精霊が選んだ存在だからというのも理由の一つだけど、彼は里の者達とは違って一切の虚がない。
精霊は嘘をつかない。というより、霊なる存在は隠し事ができないのだ。そしてそれは私にも言える。また、相手が嘘をついている場合も分かるのだ。
里のエルフたちが私に対して隠し事をしている。それが何なのかまでは分からないが、隠し事をしているということだけは分かる。理屈ではないが、それだけは断言できる。
だからこそ私には、私に対して隠し事をしないマサキさんが里の者達よりもはるかに信頼できたのだ。
そして、その出会いから数日後。
私は自分の生い立ちを、敵であるはずのゲイルと名乗るエルフから伝えられた。
マサキさんとゲイルさんは、戦いを始めてすぐに何かを話し出した。
その会話はよく覚えている。彼は私を殺すためにこの里に来たのだ。
私が、ハイ・エルフと呼ばれる存在で、ほかのエルフとは根本的に違う存在なのだということを、その場で初めて知ったのだ。
その時、私の中で、パズルのピースがはまっていくように一つの確信が生まれた。
これが、里の者達が私に隠していた秘密であり、ゲイルさんは一切嘘を言っていないということだ。
戦いが終わり、マサキさんを霊樹の前に呼び出したのは、私が自分の存在を正しく認識したということを伝えるため。
そして、今後について一つの提案をするために。
日が落ちてずいぶん経った。
時計をはじめとする文明らしい機器の存在しないこの世界において、時間の把握は困難であり、かなりフィーリングに頼らざるを得ない。
アルミナは今夜霊樹のふもとといっていた。おそらく、二人だけで話をするためだろう。
だったら日が沈んですぐよりも、皆が寝静まるころの方がいいだろう。そう思って普段なら眠気がさしそうな頃を見計らい、霊樹の方に向かった。
霊樹のふもとといっても、相手はスカイツリーも真っ青の高さと、東京ドームも軽く覆ってしまうほどの枝葉の広大さを持つ霊樹アルミナスのふもとで合流というのは、霊樹をぐるりと一周するくらいの気の長さが必要になる。
さて、きちんと合流できるかなと不安に思っていたが、俺がふもとに近づくと同時にアルミナがこっちに向かってきた。
相変わらず見事な探知力だ。かなりアバウトな約束なのは、彼女にとって相手と合流するのが大して難しいことではないからなのだろう。
そう思い、アルミナに近づこうとして、彼女の変化に気が付いた。
彼女の背が少し伸びていたのだ。
服装はまるで変わっていないが、袖とロングスカートに隠れていたはずの手首と踝が露出している。
目線も俺より少し低いくらいだったのに、今はほとんど同じくらいだ。
加えると、彼女から以前よりもはるかに大人びているような迫力を感じる。
まるで、生まれ変わった別人のようにも感じるほど、彼女の雰囲気が変わっているのだ。
初めて会った時からほかのエルフたちを圧倒する魅力と迫力を持っていた彼女であったが、今の彼女からはその時よりもさらに凄まじい迫力を感じる。
もし初めて会った時にこんな迫力を持っていたらおそらく萎縮していたことだろう。
「アルミナ。もしかして」
俺は浮かんだ疑問を口にしようとして
「はい。私は、本当のハイ・エルフになりました」
アルミナの返答にさえぎられた。
「本当のハイ・エルフ?」
「ええ、今までの私はハイ・エルフでありながら、その事実を認識できなかったのです。だから、私の体は完全に成熟することができなかったのです」
「体が完全に成熟できなかった?」
どういうことだ?
別に精神年齢など関係なく体というものは成熟するものだろう。
そう思ったが、今俺がいるのは異世界なのだ。俺の世界の常識を当てはめるほうが間違っているのかもしれん。
「はい。ゲイルさんが、私のことを霊樹より生まれたハイ・エルフといった時、私は自分の魂の欠落を埋められました。そのため、私の体は魂の形に合わせて作り替えられたのです」
「…そうなんだ」
どうやらアルミナの話をまとめると、彼女の魂が変化したので見た目も変化したということらしい。
この世界の常識なのかもしれないが、これを受け入れるにはもうしばらく時間がかかりそうだ。
「それは、よかったね。アルミナ」
「はい。改めて自己紹介をします。私は母である霊樹アルミナスより生まれた純血のエルフ。アルミナと申します」
そっか。霊樹アルミナスは君のお母さんだったんだ。
アルミナは、今まで本当の自分を知らないまま生まれ育ってきたのだ。
それは途方もなく不幸なことだっただろう。
それを解消したのが敵であるゲイルだったのは皮肉としか言いようがない。
「アルミナ」
「なんでしょう?」
「えっと……俺が知っていることも全部話すよ」
そうして、俺はメルビンさんから聞いたことをすべて彼女に伝えた。
ある日霊樹が輝きだし、その光が集まったところにアルミナが生まれたということ。
アルミナが、精霊の化身であり、ほかのエルフとはその根本から異なること。
里のエルフたちは、アルミナの存在がもたらす変革におびえ、この事実を隠蔽しようとしていたこと。
それについて負い目があったメルビンさんが、俺に対してこの事実を教えてくれたこと。
ゲイルが言ったことが、おそらく事実であるということ。
俺が話している間、アルミナはただ静かに話を聞いていた。すべてを話し終えたのち、アルミナはぽつりとつぶやいた。
「私の存在が、そのような事態を招いたのですね」
「それは……アルミナのせいなんかじゃあない」
アルミナは俺がそう言ったのに対して少しさみしそうに笑った。
「確かに、私のせいではないのかもしれません。ですが、私の存在が原因でこの里の皆さんに余計な負担をかけたのはどうしようもない事実です」
でしょう? と、アルミナは俺に目で問いかけてきた。
そして、認めたくはないがそれは事実なのだ。何が悪いかといえば間が悪いだけだ。
平穏に浸っていたエルフ族が変革を求めず、現状を維持したいと思ってしまうのは当然といえば当然だ。
もし俺がこの里で生まれ育てば、俺もその状況に対して何も異を唱えなかっただろう。
例えば、アルミナが戦乱の時期に生まれたとすれば、その圧倒的な魔力ゆえに強く歓迎されたことは想像に難くない。
ただ生まれた時期がアルミナを必要としなかった。それだけの話なのだ。
俺に誰かを責めることはできない。
「勘違いしないでくださいマサキさん。私は決して、悲観しているわけではありません」
俺が終わりそうもない思考をしているのに見かねたのか、アルミナがそんなことを口にした。
「私がこの場にあなたを呼んだのは、一つ提案があるからです」
「提案?」
なんだろう。アルミナが俺に提案をしてくることはよくあったけど、今回は今までのそれとはわけが違いそうだ。
「はい。でもその前に一つ確認したいことがあります。マサキさんは、これからどうするつもりですか?」
それは、さっきメルビンさんにも聞かれたことだった。
「どうして、それを今聞くんだ?」
そう思い、俺はアルミナに聞き返していた。
しかし、アルミナはまじめな表情をまるで崩さずに
「どうしても、今あなたから確認しておかないといけないことだからです」
と返答してきた。
おれは、どう返答していいのかがわからず、とっさにメルビンさんの話をした。
「…さっき、メルビンさんにも同じ質問をされたよ。この後どうするつもりなのかって。アルミナと一緒に里を出るとしても止めないって」
アルミナはただ静かに俺の様子を見ていた。
「この里に、俺の居場所はない。いつかは決めていないけど俺は、この里を出て行こうと思う」
エルフたちから、恐怖の目を向けられた時に、俺はそうするべきだと思った。
俺は、いままで人から恐れられたことなんて全くなかった。
だから、人から恐れられるってことが、こんなにも嫌なものだとは思わなかったんだ。
俺は、この里の人たちに怖れられた時点で、この里から出ていくべきなのだ。
「そうですか」
アルミナはそうつぶやき、俺を真っ直ぐに見て
「ではマサキさん。今から里を出ましょう。私と一緒に」
「!!!!」
今、彼女はなんといった!?
イマカラサトヲデマショウ? ワタシトイッショニ?
「アノ……ソレハ、どういう意味?」
言葉の意味は理解できるのだが、彼女の意図がまるでつかめない。そのため俺の脳みそは言語障害を起こしかけるほどに混乱している。
文字通り目を点にしている俺を尻目に、アルミナは説明を始めた。
「この里に、私たちがいる意味がないからです。私たちがここにいると、お互いのためになりません。里にも、私たちにも」
「いや、でも…魔物、そうだ、魔物たちがまた襲ってくるかもしれないのに」
苦し紛れの言い訳のようなものだったが、決して的外れというわけではないだろう。
魔物たちの襲撃は、今後もないとは言い切れない。
また今回と同規模の敵がやってくると、俺たちなしでは防ぎきれないはずだ。
そんな反論をした俺に対して、アルミナは目を閉じると、突然彼女の体が薄緑色に輝きだした。
そして輝きだしたのは彼女だけではない。霊樹アルミナスもほんのりと輝きだしたのだ。
月明かりほどでしかないが、あまりにも巨大な霊木が輝くという幻想的な光景に、俺は完全に目を奪われた。
ほどなくして彼女と霊樹の輝きが収まる。
その時、霊樹からこれまでにないほどの生命力の躍動を感じた。
アルミナと同質の迫力とでもいえばいいのだろうか。今までその光景に圧倒されてきたが、今はその存在感に圧倒される。
いったい霊樹に何が起こったんだ?
混乱する俺に、アルミナがそっと声をかけた。
「ゲイルさんが言っていました。霊樹が張っている結界が、一年ほど前からとても弱くなっていたと」
そうだ。ゲイルの話だと、アルミナが生まれた直後と、ここ一年間の間、難攻不落の幻惑結界が突然弱くなったのだという。
「アルミナス。私の母は、私を生み、育むために大量の霊素を消耗しました。本来、私が自らハイ・エルフであることを悟り、自ら生命力を生成できるようになれば、母は私に霊素を送る必要がなくなるのです」
「それは、つまり」
「はい。今、私は自ら世界に満ちた霊素より生命力を得ることができるようになり、母に伝えたのです。私はもう独り立ちができると。そのため再び結界は不落のものとなりました」
この里の者達は自分たちの生活を守ろうとした。しかしその方法を誤り里を脅威にさらしてしまったのだ。
これを皮肉と言わずになんといえばいいのだろうか。
「母が快復した以上、この里には一切の心配は必要ありません。私たちが守らなくても、母がこの地を守ってくれます」
「でも……」
俺にはやはりすぐに出ていかなければならない理由が分からなかった。
「マサキさん。あなたはこの里に変革をもたらしてくれました。停滞したまま、ある日突然魔物たちに襲われていれば、私たちの里は滅ぼされたでしょう。この里に変革をもたらしてくれたのは、マサキさんの行動の結果です」
「それは、たまたまだよ」
そう。タイミングよくいろんなことがあっただけだ。
「そうかもしれません。でも、私たちはあなたに救われたのです。そして、あなたの力を必要としている方々が、きっとほかにも大勢いる」
その言葉に、俺は元の世界で最後に願ったことを思い出した。
皆の役に立てるという確信がある人生を送りたいと。
かつて俺は望んだのだ。あの大男のようにたくさんの人たちの力になれたなら、それは一体どれだけ素晴らしい人生だろうと。
俺の見た目は相変わらず人並みだ。だけど、この体にはまるで絵本に書いた無敵の大男の力がそのまま備えられている。
俺は、願いをかなえることができるのだ。かつていた世界では、己の無力ゆえ決してかなえることができなかった願いが。
その瞬間俺の中で何かがはじけた。
「わかった。でもアルミナ、どうして君も一緒に来るなんて言い出したんだ」
「半分は母があなたについていきなさいと言われたから。もう半分は私があなたに付いていきたいと願ったからです」
「そうか。じゃあ行こう」
その日。俺たちは一歩前に踏み出した。
俺たちは納屋にある大斧と、ゲイルが置いていった片手剣をとってきて、里の外に出ようとして、そこに立つ人影に気が付いた。
「メルビンさん」
人影の正体はメルビンさんだった。
「この里を出ますか」
「はい。アルミナも一緒に」
そういうと、アルミナはメルビンさんにぺこりとお辞儀をした。
「この里のことをお願いしますメルビンさん。エルフの中で唯一、精霊の存在を感じ取れるあなたにお願いします」
アルミナがそういうと、メルビンさんは少し驚いたような顔をした。
「ご存じだったのですか?」
「アストラルメイネが使えるのは、精霊とつながっている何よりの証拠ですからね」
そういってアルミナはとびっきり笑顔で微笑んだ。
「これは参りました。アルミナ様。マサキ殿。いずれまたお会いできる日をお待ちしております。餞別代りにこれをお持ちください」
そういってメルビンさんは俺たちに動物の皮を用いてできた包みを一つくれた。中にはたくさんの保存食らしきものが入っていた。
「「ありがとうございます」」
そろってお礼を言ったのちに、俺たちはメルビンさんと固く握手をした。
エルフの里を出てからしばらくして、俺はアルミナに気になったことを質問した。
「もしかして、メルビンさんとアルミナが申し合わせたように同じことを言い出したのは、二人が精霊と対話したってこと?」
「私はそうですが、メルビンさんが精霊と対話することはできないと思います。だとすると、彼は直感だけでその答えにたどり着いたということになります」
それは、なんというかすごいとしか言いようがないな。
アルミナがこの里をメルビンさんに託すのも納得のいく話だ。
魔物が出なくなったとはいえ、夜の森は危険極まりない。しかし俺たちはまるで迷うことなく森を踏破する。
森を出た先には小高い丘がある高原地帯だった。
ちょうど朝日が昇る時間帯で、俺はその光に目を細めた。
序章完結となります。ここまでお付き合いいただいた皆様に感謝申し上げます。
これからもまだまだ物語は続きますので、お付き合いいただければ幸いです。