迫られる選択
ゲイルは撤退した。
無論彼の配下の魔物たちも含めてだ。
何とか追い払うことができた。
そのままへたり込もうとする両足を叱咤し、アリジゴクのような砂場から抜け出す。
振り向くと、エルフの里の人たちがいた。
メルビンをはじめとする弓使い三人組は俺に対して小さく目礼していた。
その後方では、まるで腰が抜けたようにへたり込んでいる者達もいる。その気持ちはよく分かるし、事実俺もそうしたい。
もっともこの場で俺がへたり込んではせっかくできかけた威厳が丸つぶれになりそうなので踏ん張るしかないのだが。
そうして里に戻ろうとして一歩を踏み出すと、
「ヒッ!!」
という悲鳴が俺の耳に届いた。
悲鳴の主はしりもちをついている男のエルフだ。
その悲鳴に、俺は足を止めた。
怯えられている。その事実が俺の体をフリーズさせた。
思わず悲鳴を上げたエルフを見る。そのエルフの目には、俺に対する恐怖がありありと浮かんでいた。
魔物の群れと正面から対峙しても後退しなかった俺は、その視線の前に足が後ろに流れそうになった。
それを止めたのは、俺のもとに駆け寄ってきたアルミナだった。
「マサキさん! 左腕は! 大丈夫なんですか!?」
アルミナにまくしたてられて俺は平静を取り戻し、同時に左肩の痛みに気が付いた。
「痛っ!」
緊張が緩んだせいか、突然激痛が俺の左肩に響いた。
剣が深々と刺さっているのだ。当然といえば当然のことで、今まで意識の外にあったのがおかしいのだ。
「マサキさん。今すぐにその剣を引き抜いてください」
アルミナはいきなりそんなことを言ってきた。
「いや、いきなりこんなもん引き抜いたら出血がひどくて死にかねないよ!」
俺の世界では常識的に知られていることだ。
事故などで体を棒などが貫いている場合、それが血管にふたをしているので出血が抑えられている。そのため病院に着くまでは決して引き抜いてはいけないというものだ。
このエルフの里で、現代風の医療設備が整っているとは思えない。考えてみればかなり致命的な状態なのではないかと思うと、アルミナは言葉をつづけた。
「治癒魔法を使います。そのために剣を引き抜いてもらわないといけません」
治癒魔法!?
アルミナはそんなものまで使えるっていうのか!?
このまま放置してもろくなことにはならないのは確かなことだろう。
それなら、アルミナの治癒魔法とかいうのにかけてみたほうがよさそうだ。
「……わかった。こっちで引き抜くから、それに合わせて治癒をしてくれ」
「はい」
そういうとアルミナの右手が白く光りだした。
俺は右手で左肩に刺さったゲイルの剣の柄に手をかけて、一息に引き抜いた。
痛っっっっっっっっっっっってーーーーーー!!!!
体に刺さったものは引き抜くときの方が痛いって聞いたことがあるが本当に痛い。
だがここで転げまわるとアルミナが治癒できなくなってしまう。
歯が折れるんじゃないかというくらい食いしばる。
俺がそうして踏ん張っているうちに、アルミナの右手が、血が噴き出している俺の左肩に触れる。
その途端、俺の肩からの出血が収まりだした。
三十秒もしないうちに止血が完了するのを見て、その魔法のすさまじさを改めて実感した。
左手がもうほとんど問題なく動く。試しに肩も回してみるがほとんど痛みもない。
あんな重傷がこんなにあっさり治るとは。さすがはファンタジー。
「ありがとうアルミナ」
「よかったです。何ごともなくて」
アルミナは心底安堵したような声をして、俺の手を取り
「では、戻りましょう。里に」
そういって俺の手を引いた。
メルビンさんをはじめとする弓使い達や、ほかのエルフたちとすれ違い、里の中に入る。
アルミナは俺の手を引いたまま、里の中央に向かっていき、いきなりクルリと振り返ると。いきなり顔を近づけてきて
「マサキさん。今夜、この霊樹のふもとに来てください」
そう俺に耳打ちして、いつものように里長たちのいる建物に向かっていった。
今夜、霊樹のふもとに来てください。
アルミナは俺に何か話したいことがあるということか。
おそらくいま彼女は里長たちと俺から見て胃が痛くなるようないがみ合いをしているのかも知れない。
俺はほかにすることもなく真っ直ぐ納屋に戻った。
そして納屋に入り、一人になると、俺の頭の中は混乱した。
今日は、あまりにもたくさんの事があった。
魔物の親玉との戦い。それに合わせた里の襲撃。その魔物たちを率いるゲイルというエルフ。そして、戦いが終わった後に俺に向けられた畏怖の視線。
それらが俺の頭の中でぐるぐる回っていた。
今日の出来事は、俺にとって途方もなく重い出来事だった。
いくつもの衝撃が重なって、俺の心は徐々に混沌としていくように感じた。
魔物の親玉たちと戦った時に、彼らに抱いた畏敬の念。
その魔物の親玉たちを、理不尽に、力任せに打倒してしまった罪悪感。
ゲイルというエルフから聞いたいくつもの知りえなかった話。
そのゲイルと打ち合った時に感じた恐怖と、初めて傷を負ったという事実。
そして、魔物たちを蹴散らした後に、エルフから怯えられたこと。
そのすべてが、俺の人生の中で初めての出来事だった。
そのすべてが俺の中でごちゃ混ぜになり、思考をフリーズさせていた。
何も考えられずに、ただ時間だけが過ぎていく中、突然納屋の入り口が叩かれる音がした。
とっさに返事ができずに呆けていると、納屋の入り口がゆっくりと開いた。
そこにいたのは、弓使いの筆頭でこの里の防衛隊長でもあるメルビンさんだった。
その右手には、俺がオークから拝借した大斧。左手には、アルミナがよく持ってくるバスケットが入っていた。
「メルビンさん」
そんなそっけない返事しかできなかった。
メルビンさんは特に気を悪くしたわけでもなく、俺のもとに歩み寄ってきて、大斧とバスケットを俺の近くに置いた。
「どうぞ、あなたの斧と、今夜の食事です」
あの後、わざわざ俺が放り投げてしまった斧を取りに行ってくれていたのか。
「どうも、ありがとうございます」
そういって受け取った。
「今回は、この里を守ってもらい、本当にありがとうございます」
唐突にメルビンさんはそういって、俺に頭を下げてきた。
「ちょっ! 頭を上げてくださいメルビンさん!」
つい驚いて声を張ってしまった。メルビンさんはそれを聞いてゆっくりと頭を上げて、再びお礼を言ってきた。
「今回の一件。本当にありがとうございました」
俺は、この人に感謝されるようなことをしたのか。
そう思うと、さっきまでの混沌とした心が、少しだけ晴れるように感じた。
「いえ、私がしたことなんて」
この里に混乱を起こしただけ。そう口にしようとしたとき、メルビンさんはそれを遮った。
「マサキ殿がこの里に来てくれなければ、この里はあの魔物たちに襲われていました。この里の防衛に尽力してくれたことに対して、どれだけ感謝しても足りません」
そういうとメルビンさんは再び頭を下げそうだったので、それを止めて俺は自分が抱えている疑問を口にした。
「メルビンさん。私のところに来て大丈夫なんですか?」
「……と申されますと?」
「隠さないでください。メルビンさんならわかっているはずです。」
おそらく今回の一件で、俺に対する里のエルフたちの反応はさらに顕著になるはずだ、畏怖の念を俺に対して向けてくる連中がいるはずなのだ。
「……さすがですね。もうそこまで察しているとは」
一息おいてメルビンさんは表情を引き締めて言葉を続けた。
「実を言えば、すでに里の中では二つの意見に分かれているのです。あなたに対して里を守った英雄として迎えようという者と、魔物たちをたやすく撃破するほどの力を持った危険人物として、里から追放しようと考える者とに分かれているのです」
それは、予想通りの回答だった。
俺ははじめっからこの里にとっては異分子でしかなかったのだ。
以前本で読んだことがある。
戦乱の世の英雄は、太平の世になり多くの人を殺したとして疎まれるという話を。
戦乱の世の中で、本当に称賛されるのは戦場で命を散らせた英霊たちだ。英雄は、生きている間はその力に畏怖される。
そんな話は、創作でも現実でもいくらでもあるということなのだ。
「だとしたら、メルビンさんがここにいるのはまずいんじゃありませんか?」
俺がどちらの扱いを受けるにしても、メルビンさんが俺と接するのは、ほかのエルフ族と軋轢を生むことになる。
「私はあなたを受け入れるほうです。里を救ってくれた方に出会うことをためらう理由はありません」
「でも……」
「マサキ殿。あなたはこれからどうするおつもりですか?」
俺が反論をしようとすると、メルビンさんはそれに被せるように俺に質問してきた。
「どう、というのは?」
「この里に残るか。それとも去るかです」
単刀直入な質問だったが、それ以上に意表を突かれた。
「なんで、それを聞くんですか?」
俺は、そんなことまるで考えていなかった。まだしばらくこの里で厄介になるつもりだったのだ。
そう考えて、俺は自分の考えに盲点があることに気付いた。
俺はいつまでもこの里にいたいと、一度でも思ったか?
わずか三日しか過ごしていない、愛着など湧きようがない納屋を見回してみる。
俺は、いつまでここにいるつもりだったんだ?
少なくとも、ここに骨を埋めるつもりはまるでない。思考の盲点を突かれて俺はひたすら絶句した。
「あなたがこの里に滞在してくれるのはとても頼もしい。しかし、あなたはこの里に留まっていていい存在ではありません。そしてそれは、我々の王女にも言えることです」
その言葉に、俺はさらに深く絶句した。
今メルビンさんの言葉をそのまま解釈するなら、彼は今俺に対してアルミナとともにこの里を出るべきだといったのだ。
俺が絶句しているのをよそにメルビンさんはさらに話を続けた。
「先ほどあなたが戦った相手、ゲイルといいましたか。かの者がアルミナ王女の前で彼女がハイ・エルフであるということを明かしてしまいました。里長たちが恐れていたことが現実になってしまったのです」
「!!!!」
そういえばそうだ。
里長たちは、この里に変革をもたらすといわれるアルミナに対して深く警戒していた。
そして、彼女に対してその事実を伏せるために尽力してきたのだ。
その努力は、ゲイルと俺のやり取りによって見事に破壊されたのだ。
彼女は、今自分の生い立ちを知った。いったい今里長たちと何を話しているのだろうか。
それを今知るすべはない。だが
「メルビンさん。実は今夜アルミナと会う約束をしているんです」
「ほう。それは…」
「俺に何か話したいことがあるようでした」
アルミナは、自分がほかのエルフとはまるで違う存在であると認識したのだ。俺に話があるというのなら、おそらくそれに関係しているんだろう。
ハイ・エルフ。
ゲイルの言葉を信じるなら、アルミナは、魔族とかいう連中に対して脅威となる存在だといっていた。
「メルビンさん。魔族って何のことですか?」
「さて、それについては私もわかりません。おそらく、森の外の世界で一般的に使われているものなのかもしれませんが」
おれが今後どういう判断を下すにしても、まず今晩アルミナと会って話をするべきだろう。
俺がそうメルビンに伝えると、メルビンは目を細め。
「そうですね。それがいいでしょう」
そう口にした。
「メルビンさん。もし、俺がアルミナをこの里から連れ出そうとしたら…」
あなたはどうしますか?
言葉にできなかった質問を、メルビンさんは悟ったのだろう。
「私はそれでも一向に構わないと思います。それにあなたを止めることができる存在は、この集落ではアルミナ王女様くらいのものです」
そういった。
それは、明確なまでの里長に対する不信だ。
彼ははっきりと表明したのだ。里長ではなく、アルミナと俺の味方をすると。
「わかりました。アルミナと、よく話し合ってみます」
「よろしくお願いします」
そういってメルビンさんは納屋から出て行った。
俺は、納屋から見える夕日を見ながら物思いにふけっていた。
俺は、自分の力について何もわかっていない。
それは、ある意味ではアルミナも同じだ。
彼女は自分にある力を知りながらも、自分がほかのエルフと同じであると思い込むように育てられてきたのだ。
自分の力の本質を知らない。それは、こんなにも自分を不安にさせる。
もし、万が一アルミナが里長たちに言いくるめられて自分の存在を誤認したままなら、俺は知る限りの真実を話そう。
その結果がどうなるかはわからない。
だが、今回の一件を逃せば、彼女は自分の本質を知る絶好の機会を不意にすることになる。
それは容認するべきことじゃあない。絶対にだ。
沈んでいく夕日を見ながら、俺はそう誓った。