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狼の唄  作者: 和田喬助
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二章

 男はサムの家を出ると、彼に教えられた山に向かって歩き出した。

 サムによれば、女の子とその父親の住む山は、中腹辺りまでは木々や草原におおわれていて、そこから頂上までは急に風景を変え、険しい岩山が姿を現すのだという。表札代わりの看板が目印らしい。

 牧場に着いた時にはなかった霧が立ちこめ、肌にべっとりとまとわりついてくる。男は猟銃を構えて警戒しながら、平らにならされた林道を進む。いつどこから獣が飛び出してくるか分からない。弾がこめられているかもう一度確認した。その目つきは、獲物をねらう肉食動物によく似ている。

 ふと、男は足を止めた。音のする方へ銃口を向ける。茂みに何か大きな生き物がひそんでいるようだ。霧の流れが速くなり、肌に刺すような冷気が絶えずおそってくる。銃の反動で体が持っていかれないように、安定した姿勢をとる。

 毛むくじゃらな太い足が――と覚悟していたが、現れたのは大きいサイズの作業用ブーツだった。

「おおっと! 頼むから銃は向けないでくれよ」

 まるで熊のような大男だ。男と同じような防寒着を身につけ、新型の猟銃を背負っている。歳は四十代のように見える。

「すみません。この霧ですから、いつどこから獣が出没するか予想できないので」

 銃を下ろすと、肩にかけなおした。ホッと大男が胸をなでおろす。

「そうか。でも気をつけてくれよ。銃がいつ暴発するのか知れたものじゃないからな」

「私はそんなミスは絶対しません」

 男の断言した口調に、大男が相手の風貌をうかがう。そして一歩下がる。

「すまない。俺には分かる。お前さんはかなりの腕前と見える。男のカンってやつだ」

「たしかに、周りからよくそのように言われます」

「ハハハハ! 否定しない所が男らしく堂々として良い。気にいった!」

 天気も悪くなってきたし、ぜひ家に寄っていけと誘ってきた。男は、これから狼の駆除のために泊まり場所を探しているのです、と答えた。すると大男は「あれ?」と首をかしげた。

「数日前にサムさんから言われたすご腕の猟師って、もしかしてあんたのことか?」

「私は、女の子とその父親がこの近くの山に住んでいると聞いてここまで来たのです」

 偶然だなぁと、大男は男の両手を握った。「間違いない。お前さんの目はうそを言ってないと分かるぞ。これも男のカンだがな! これからよろしく!」

 ガハハと笑う大男に、男は少し戸惑っていた。


「俺はジョウンだ。よろしくな」彼は男の手をもう一度握手した。こちらこそ、と頭を下げる。男はジョウンに案内され、歩きやすく整備された山道を登っていた。ふもとより確実に霧が濃くなってきていて、周辺に密生している木々もかすんで見える。見上げると、霧の奥にゴツゴツした岩山が見え隠れしていた。

「お前さんは狼を退治しに来たんだって?」

 男は、そうですとだけ答える。ジョウンは、うなりながら腕を組む。

「俺はサムさんに逆らえないから、彼に反論はできない。だが、お前さんにならできる」

「ジョウンさんは私の仕事に反対なさるのですか? 猟銃を持っているというのに」

 男の皮肉がこもった言葉に、彼は立ち止まって「誤解しないでくれ」とふり向いた。「これは護身用にサムさんがくれたものだ。俺の本業は野菜や魚をとって売ることなんだよ」

 それに、とジョウンは続けた。

「野菜をつくる時に警戒すべきは、天候の他にもう一つある。何だか分かるか?」

「……獣ですか」

「その通り。やつらは、せっかく愛情こめて育てた俺の子どもたちを食い散らかしてしまう。それが絶対許せねぇ」

「だから、獣を寄せ付けない狼の存在が必要だと……」

「ああ。俺は彼らのおかげで助かっている。自然が作りだす流れを、俺たち人間が崩していい理由があるか?」

 ジョウンが再び歩き出すと、男はだまって歩を進めた。

「俺がこんな気持ちだからって、別にお前さんを歓迎していないわけじゃないぜ。人にはそれぞれ事情があるからな」

 彼は家に着くまで、それっきり口を閉ざした。


 ジョウンがただいま、と戸を開けると、男は「おじゃまします」と家の中を見渡した。

 家そのものから家具にいたるまで、ほとんど木でできている。奥には台所と階段があり、娘と二人で暮らしているにしては、少し広すぎるような気がした。

 玄関のドア近くに猟銃を立てかけると、ジョウンが「まあ座れ」とテーブルのイスに誘う。どうも、と一言だけ返し、男は遠慮がちに腰を下ろす。

「コーヒーと紅茶とどっちがいい?」

「それでは、コーヒーでお願いします」

 イスの背もたれに防寒着をかけ、一息つく。窓から外をうかがった。少しうす暗くなったように感じる。もうすぐ雨が降るかもしれない。

 突然後ろから、何かが振り下ろされる音が聞こえた。男はとっさに横へ回避する。テーブルになたが突き刺さった。

 すばやい動きでふり返ると、九歳くらいの少女がすぐ近くに立っていた。歯を食いしばって鉈を抜こうとしている。男は少女の手を柄から引きはがし、イスに座らせた。少女の抵抗はむなしく終わった。

「サーニャ、お前何をしてるんだ!」

 ジョウンがあわてて駆け寄り、少女のほおをひっぱたいた。サーニャは、涙をこぼさないように体を震わせながらがまんしている。

「だって……、狼が死ぬのはいやだもん……」

「だからって、人が死ぬのはいいというのか?」

 何も返すことができなかった。サーニャの目から一筋の涙が落ちる。

「サーニャちゃん。きみは、狼が好き?」

 涙を拭ってやると、彼女は首を縦にふった。

「鉈で私を殺すつもりだったのかい?」

 今度は横にふった。「ただ、家から追い出そうとしただけ……」イスの上で小さく体を丸める。

「分かったよ」と男はジョウンをちらっと見た。「早く仕事を片づけて帰ることにする」

「ダメ!」とサーニャが声を張り上げて男を見上げる。

「悪いけど、仕事を辞めるわけにはいかない。約束は、絶対守ることにしているんだ」

 差し出されたコーヒーを一口すすった。雨粒が窓を濡らしていく。

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