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Round 7

「さすがにでかいお屋敷でしたね~」


 三井は、先日襲撃を受けた春木代議士の家を肩越しに振り返りながら、周囲を憚りもせず大きな声でぼやいた。沼崎は上司への連絡をすませ携帯を閉じると、未だにお屋敷の名に恥じないそびえたつような壁を眺めている三井に同意するでもなく先に歩き始める。

 三井は後れを取った事にほどなく気が付き「おっと」と猫の敏捷さを思わせる身のこなしで振り返り、小走りで沼崎に追い付いた。


「でも、なんですよね~。身辺警護なんか、SPか所轄の連中に任せればいいと思いません? 他所にでかい顔されたくないのも分かるけど、自分たちだって暇じゃないって言うんですよ」


「仕方ないだろ。国際フォーラムの出席者が帰るまで、SPはそっちにとられる。春木にしたって息子の事を公に出したくないから、途中から警視庁に出て来られるより、初動で動いた俺らの方が都合がいいんだろ」


 沼崎は交代要員から預かった新たな資料をめくりながら車の助手席に乗り込んだ。三井は運転席に回り口を尖らせる。


「そんなの分かってますよ。ただね。僕はもっと、キャリアってデスクワーク中心なんだと思ってたんです。なのに……」


「まぁ、普通はそうだろうな。だが、俺たちは現場に出されている。それだけだ」


 気もそぞろに、励ます意味合いも対してない事を知りながら、沼崎は自分たちの現状を説明をする。

 警察庁のキャリアと言えば、任官してすぐに警部補となり、係長の役職に就くといっても、見習い期間のようなものだ。その一年後には自動的に警部に昇進。一度警察大学に戻るなりして、その二年後には警視となり課長クラスを約束される。ここまではたいてい警視庁が管轄する東京にいる事になるが、その後は東京に残って監理官になるか、県警の本部に配属されるかになる。三十までには地方の警察署長を経験し、以下はそれぞれコースがバラけてくるが、いずれも悪い場所にいく心配はない。


 自分も、東京にどれだけいられるのか、そもそもボクシングを続けていけるのかも不明だ。もし、どちらかを選ばざるをえなくなれば、その時は……。答えはとっくに決まっていた。


「どうして僕たちは現場なんですか?」


「俺が、そう、班長に希望してるからだよ」


「へ?」


 顎をしゃくり、車を出せと指示を出す。エンジンキーを回したまま手を止めた三井は、複雑な表情で顔をひきつらせた。


「どういう事ですか? 出世コースから外れてるってことですか?」


「まぁ、俺はどうせ問題が多い。外されてても仕方ないだろうな。組織に入って分かったが、キャリアと言っても所詮は組織の部品の一部だ。むしろ、キャリアの方がどうにもならねぇ事の方が多い。なら、俺は現場でやる方が性に合っている。っていうか、お上の方もどっかで殉職でもしてくれないかって考えてるのかもな」


 白石との事件を起こした後、興奮のあまり、上司を病院で殴りつけた事があった。ただでさえ、キャリアが一般市民に暴行を加えた事は警察庁にとっては大きな問題で、事後処理は上層部の頭を相当悩ませたというのに、その調本人が反省の色を見せるどころか、上司に楯ついたのだ。罷免されてもおかしくない事態だった。

 が、実際は、どういうからくりか首の皮一枚で繋がっている。事件より先に立てていた数件の手柄の功績で帳消しにできたのか、誰かが庇ってくれたのか、今も沼崎自身ですらようとしれない。

 結局は療養を兼ねた数カ月の謹慎のみでお咎めは済み、復職した時には三井という後輩の世話役を任されていた。三井を見た時、初めは自分に付けられた監視かとも疑ったが


「え~。僕はどうなるんすか。嫌ですよ。先輩と心中なんて」


 屈託のないこの後輩に裏があるようには見えない。沼崎は資料を読み終わると鞄にしまい、シートを倒して目を閉じた。


「まぁ、お前の場合は父親が何とかしてくれるさ」


「それも嫌ですよ。先輩と一緒に仕事がしたいです」


「気持ち悪い事言うな。たった今、心中したくないと自分で言っただろう?」


「心中は嫌ですが、先輩との仕事は楽しいんです」


「デスクワークよりも?」


「いや、デスクワークの方がもっと楽しいですけど」


「正直だな」


「ケイサツ ハ セイギデス ウソ ハ ツキマセン」


 おどけて片言で答える三井は、ギアをゆっくり倒す。車が警視庁へと向けて滑らかに滑り出す。

 組んで半年以上。初めは怯えてまともに目も合わさなかった三井が、こんなにお喋りで自分になつくとは思ってもいなかった。どこか温室育ちの剣呑さを感じない事はないが、むしろそれが三井の長所でもあるようだ。意外に打たれ強く、凄惨な現場でもあっけらかんとした図太さを持っている。考えようでは器が大きいとも取れない事はない。まだまだ未完の器ではあるが。

 ぼんやりと後輩の分析をしながら、片方では最新の資料にあった春木の経歴データを自分の中で更新していく。


 襲撃は、まだ一般にはおろかマスコミにも漏れてはいない……事になっていた。表向きは。

 なぜなら、襲撃した事件をたどれば、簡単にやくざの名前がゴロゴロ出てくるからだ。そこには、春木の息子の麻薬使用なんて可愛らしく思えるほど、芋づる式に様々な利権がらみの汚職や不正が繋がっている。むしろ、息子の件は、ヤクザが意図して作った春木の弱点にすぎないと言っていだろう。

 春木にすれば、政治家生命、いや本人の命事態に関わる事件だ。彼自身もマスコミに根回している可能性は十分に考えられた。

 一方で、警察側にも公表できない事情があった。

 現在、東京では国際フォーラムが開催中で、テロへの警戒を強めている。そんな中、重鎮代議士の襲撃事件があったとあらば、警察の能力の穴を疑われ、国自体のメンツにかかわる事も予想される。

 だから、表向きは何もなかった事になっており、警察庁は調査を水面下で捜査を進めつつ、春木の警護と称した証拠固めを行っているのだ。


 ケイサツ ハ セイギデス ウソ ハ ツキマセン……三井の言葉は皮肉にしか思えないほど、法も大義もあったもんじゃない、実態は下らないメンツの立てあい、もしくは狐と狸の化かし合いだ。


「あ~。休み欲しいっすよね。自分、官僚になったら、もっと楽に金儲けできて、女にもてるとおもってました」


 三井が警視庁まであと数百メートルの信号で止まった時に、誰に言うでもなく愚痴を零した。三井らしいな、と思うと同時に、金の事をこのお坊ちゃんも気にするのかと少々意外にも感じる。

 三井はそんな沼崎の視線に気がついたのか、じと目でビルの合間から頭の先だけ覗かせる警視庁を睨んだ。


「いや、警視庁でも、一応警察庁のキャリアって特別扱いじゃないっすか。で、普通、それならもっと婦警にモテモテ~とか、合コンの話とか、あると思うじゃないっすか」


 普通、そう思うものなのか? 同意できず、黙って三井の話を聞く。三井は構わず話し続ける。


「でも、実際は、皆冷たいんすよね~。よそよそしいっていうか、慇懃っていうか。で、たまに寄ってくる奴がいるかといえば、女は玉の輿狙いの計算高い奴で、男の場合は気持ち悪いお世辞並べて、今から取り行っとこうって魂胆丸出しの腰ぎんちゃく予備軍みたいなやつだったりして……。もう、うんざりっすよ」


「なかなか友好的じゃないか」


 「げ~」と吐く真似をする後輩を、沼崎は鼻で笑う。自分には挨拶と業務連絡以外、声をかけてくる人間はいない。むしろ、こんなにお喋りなのは三井くらいだ。羨ましくは思わないが、三井が言うほど悪い環境に彼がいるとも思えなかった。


「……先輩は、やっぱジムとかで出会いなんかあっちゃったりするんですか?」


 急に水を向けられ「あるわけない」ときっぱり切り捨てる。あったとしても、気にとめることはないだろう。今は、目の前しか見る事ができない。そう、出会いなんて……。

 ぼんやりと、遠い遠い、まだ自分の世界に光がさしていた時代に、自分の傍にいつもいた誰かの影が脳裡をふわっと掠めた。瞬間的に胸にチリッとした痛みを感じるが、すぐにかき消すように軽く頭を振り体を起こす。影は簡単に霧散し、存在があった事すら、記憶の彼方に追いやられる。


 今も昔も、自分に必要なのは、ゴミのような連中をぶちのめすための拳と、復讐という生きる糧だけだ。それを忘れるような事は、もう二度とあってはいけないのだ。そう、二度と。過ちを繰り返さないためにも。


 リクライニングを戻すと同時に車が静かに停まる。顔をあげると赤信号だった。簡単には目的地には辿り着けない。

 三井がギアを引きながら、ハンドルに体を預けた。


「ってか、前から聞きたかったんスけど。先輩って、彼女とか……」


 その時だった。一台の真っ赤なバイクが二人の車の横にぴったりと付いた。

 深紅の流線形のマシンに漆黒のライダーがまたがっている。その黒豹を想起させるスーツが際立たせるボディラインは、どう見ても女性のそれで、むやみやたらにに色っぽい。ヘルメットはフルフェイスで、顔こそ見えないが、そこから背中に流れる長い髪は、しなやかで、にわかに美女を期待させるものだった。


「すっごい」


 三井が質問の途中であったにも関わらず、ライダーに釘つけになり思わず生唾を飲み込む。対照的に、沼崎はそのバイクに見覚えがあり、不機嫌な顔をして目をそらした。

 助手席の窓を、ライダーが軽く二度叩く。三井が勤務中とは思えない軽薄さで窓を開けた。もし、これが襲撃だったらどうすんだ、と怒鳴り掛けたところに、女の細い指が沼崎の髪に触れた。


「話、あるの」


「へ?」


 指先に髪を絡めるその仕草にきょとんとする三井。視線で知り合いですか? と尋ねている。沼崎はますます険しい顔になり、信号の色がすぐに変わらないかと半ば祈る気持ちで前方をみるが、不幸な事に、ようやく歩行者の青信号が点滅し始めたところだった。


「透也くん」


「と、おや……くん?」


 下の名前で沼崎を呼ぶその声の温度に、三井は思わず顔を赤くして「どういう事っすか!」と沼崎に詰め寄る。

 これ以上、後輩の前で妙な事を口走られても困るな。そう判断した沼崎は嘆息すると観念して車を降りた。


「あとで連絡入れる」


 女性ライダーから渡されたヘルメットを被りながら、三井に言い放つ。何か言いたげな三井が、バイクの後ろに慣れた様子でまたがる沼崎をと女を交互にみている。

 クラクションが鳴った。

 信号が青に変わったらしい。


「じゃ。ちょっとお借りするわね」


 女は三井に笑みを含んだなまめかしい声でそう告げると、思いっきりスロットを吹かせた。

 あっという間に沼崎を連れ、風のようにその場から消えてしまう。


「……ずるいじゃないっすか。先輩ぃ」


 クラクションを浴びながら三井は唇を突き出すと、謎の女と消えた沼崎を茫然と見送ったのだった。

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